#0 プロローグ
※現在推敲中です。書式等が話数によって変わっている場合があります。
ご容赦ください。
妖怪とか幽霊とかでてきますが、怖くありません。
女子高生がキャッキャする物語です。
肩の力を抜いて、お読みください。
誰かに「お化けを信じるか」と聞いた時、おそらく多くの種類の答えを得ることが出来るでしょう。「信じる」「信じない」「先祖の霊は信じる」「怪談は嘘」なんて、ちょっと考えただけでも様々な返事を想像することが出来ます。
では、ここで質問を変えるとしましょう。「お化けは実在するか」。こう尋ねたとすると、きっとほとんどの方はこう述べるでしょう。「実在しない」と。
どれだけ先祖の霊を信じていても、毎年夏に肝試しに行っていたとしても、九九パーセント近くの人は「実在しない」と答えると思われます。おかしい話です。「実在しない」と知っていても、我々はお化けを、幽霊を、妖怪を「信じている」のです。
科学が進すんだ現在では、非科学的な物に信頼を置く人は減っていっています。にもかかわらず、幽霊にまつわる文化は過去途切れた事はありません。怪談は語り継がれるわけですし、先祖の墓を荒らすことなんて出来ないでしょう?それは「彼らを信じている」から他なりません。「居ないと知っている」のに「存在を信じて」しまう。
アニミズムという、抽象物から無機物までなんでも無意識に擬人化してしまう考え方があります。ちょっと動いた気がする人形、果てはただの暗闇さえ、私達はなにか得体の知れない正体があるのではないかと考えてしまいます。……無論、頭ではそんなわけが無い事は分かっています。ただの暗いだけの道なのに怖い、それだけなのに帰り道を変えてしまうのです。
怪談の多く、特に都市伝説はそのいい例です。例えば「口裂け女」はそうでしょう。
ただ大きなマスクを付けた怖い顔の女性が居ただけなのではないかと、容易に想像が付きます。でもそんな安易な真実よりも、人々は彼女の存在を信じるために思考を凝らします。本当の正体よりも何故口が裂けたのか、我々は様々な原因を用意するのです。
その証拠に、口裂け女の口が裂けた理由には諸説あります。整形手術の失敗説、交通事故に遭った説……。どうしてこんなに通説が存在するのでしょうか。それは、語る人がリアリティを求めるからなのです。リアリティがあればあるほど信じる力が強くなっていきます。存在がより身近になっていくのです。
怪談は、彼らが存在すると「信じる」からこそ始まります。妖怪は我々に信じられるから存在します。たとえちゃちな都市伝説でも、なにかあれば現実に見えるようになる。
学校のトイレから変な音がする……慣れているはずの帰り道を何度も間違える……怖い映画と同じ怪談が昔から存在する……そんな些細なことから始まります。身近に起きることから始まっていくのです。
これから始まる物語を読む皆様も、どうか肩の力を抜いて頂きたい。
どうせお化けなんて存在しないんですから。