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Correction pen

作者: Y・Y

書いた時期が違うため、序盤と終盤の作風がかなり違いますが、ストーリーには一貫性があるので安心して見ていただけたら幸いです。


 この世界は間違っている。

 何て事を思ったりしたところで、何も変わりはしない。

 分かっている。

 僕には何の力もない。

 テレビの向こうで活躍しているような、ヒーローみたいな力や、例え悪役だとしても、皆に恐怖を与えるような力はおろか、一番下っ端の戦闘員のような力すらない。

 それどころか、その辺にいるモブのような活躍すらできない。本当に目立たなく、永遠に一人で空気のような生活を。

 ……それもできないだろう。不思議な話、何もしなくても何故か生活を送ることができるキャラも居る中で、現実の僕は、誰かに頼る、不服ながら、と言うか否定もできないが、寄生虫のような生活しかできない。

 そんな僕にも、遂に非日常が起きた。

 

 ――僕は癌だと言われた。こんな事だろうと、僕にとっては唯一の非日常であり、無二の非現実だったのだ。

 

「目立てると言っても、こんな絶望だとはな。まさに僕らしい」

 

 そう呟いてみたって、誰も助けてくれないし、助けられない。

 現代の医療では根治不可らしい。

 それがたった今見つかった。

 毎年診療は受けていた筈だ。つまり、急成長したということか?

 余命も宣告された。

 あと一年、それが僕の生きられる限界。

 こういう時、いつも思う。

 ――健康の定義とは『健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱ではないことではない』と定められている――

 と、学校で習った時からずっと思っている。

 完璧を求めるなら、医療体制も完璧であるべきだと。

 

 ――まあ、そんなの今さらどうでもいいが、

 

「もし世界を変えられるなら、僕は神にもすがろう」

 

 そして

 

「もしこのまま絶望しか無いのなら、僕は神をも呪おう」

 

 という一言も、おかしな奴。という一言で片付けられる世界は、

 やはり間違っている。

 

 その日の帰り道の足取りは、不思議と軽かった。

 何故だろうか。

 ……って考えるまでもなく、背負うものが無くなったからなのだろう。自分の命すら無くなる予定ができたからなのだろう。

 

 僕の、沈み込んで大層重くなった心に比べ、とても簡単に開いてくれた玄関のドアをくぐり抜け、

 

「ただいま」

 

 返事は無い。

 荷物を置くため、二階にある僕の部屋へ向かう。上がっているというのに、気持ちは沈んだままだ。

 一、二回程曲がった後、自分の部屋のドアに相対し、ドアノブに手を伸ばす。少しも違和感の無い、何の変鉄も無い、それどころか家具も最小限にしか無い僕の部屋が待っている。

 捻ったドアノブは、反逆することなく頭を垂れ、ドアを開けてくれた。

 ……本当に何も無い部屋を見て、改めて僕の人生は無駄だったと実感した。

 宣言通りに荷物を置き、ベッドに座る。そして考える。

 

「今死ぬのと、来年死ぬの。もうあまり変わり無いな。どうする? 死ぬか?」

 

 というか呟いた。

 かと言って、自殺できるほど恵まれてはいない。死後の世界にすら見捨てられるだろうと考えるからだ。

 明日の幸せを願ったところで、どうせ明日なんて一生来ない。意味の無い今日が来るだけだ。

 そうして一通り考えた僕は、立ち上がり一階を目指す。

 

 時計はもう七時を示していた。

 世間では家族で食卓を囲む時間だろうか。それとも、もっと後だろうか。

 まあ、どうでもいいのだが。

 僕にとっては机の上にある置き手紙を見た後、孤独に過ごす時間でしか無いのだから。

 

『ごめんね、これで何か食べて』

 

 そうして千円が置いてある。それを見越して昨日の千円で買ったお釣と、今日のを交換するのが毎日の習慣だ。

 でもこれを寂しいだとか、酷いとか思ったことはない。こうして僕が生きていけるだけの、最低限のお金を用意してくれているのだ。感謝こそすれ、恨めしく思うのは筋違いなものだ。

 かくして明日の食費を手に入れたところで、僕は今日の夕飯を取り出した。

 酷くありふれた出来合いの数々、並べても豪華に見えないが、貧しくも見えないのは何故だろう。

 そして食べ終えるまでの不毛な時間は、本当に無駄(食べ物に失礼だが)に過ぎ去っていった。

 いつもならゴミを捨てて、そのまままた二階へ戻るところだが、僕にはもう一つ仕事がある。

 

 僕は母の置き手紙に

『僕は癌らしい』

 そう、書き足した。

 本来なら直接言うべきことだが、仕方が無い。余命は聞かれたら言うことにしよう。

 

 その作業も終わったので、二階に再度向かうとしよう。

 僕は学生なので毎日の課題は欠かせないし、(できれば)予習復習もしなければ。

 さっきよりは幾分か軽い面持ちで上階に行く。

 そして自室のドアに触れた時、不思議な違和感を感じた。そこに誰かが居るような、というか居たような雰囲気を感じた。

 少々の警戒の後、静かに扉を開いた。

 そこには…………

 

 何も無く、いつも通りの部屋が、ただ広がっていただけだった。

 

「思い過ごしか」

 

 そう口に出した後、部屋の隅に置いていた鞄を肩に掛け、机に向かう。俗に言うエナメルバッグ、もといスクールバッグなので、肩に圧力が与えられたが、その痛みのせいか、お陰か、沈んだ心を一瞬だけ忘れられた。つまり、必要性も無い苦痛が、耐え難い悲痛を分散させた。

 ただ、勉強という苦痛が待っているのには変わりなく、机に道具を広げる内に、テンションは下降していった。

 

 ――その時、ふと気付いた。

 

「そういや、蛍光ペンがもう無かったんだった」

 

 後悔してももう遅い。買いに行くのも面倒臭い。そう思いながら、ペン立ての方を見た。

 すると不思議なことに、少しばかり奇妙なペンを見つけた。

 真っ白な外見に、金色の字で、

 

「コレクションペン?」

 

 ……なんだこれ。見た感じ蛍光ペンのようだが、こんなもの買ったか?

 

「七つ集めたら夢が叶うってか? 馬鹿らしい」

 

 そんな発想が出る僕の方が、圧倒的に馬鹿らしいのだが。

 良く見ると、太字の方が赤色、細字の方が青色のようだし、丁度良いので使ってやることにした。

 

 ――まず、今日の課題を進めることにする。課題と言っても、そう難しい訳でもなく、数十分間カリカリと書く音だけが響く内に、本日の課題は終了した。

 次に僕は予習を始める。太字になっているのは重要単語という、短絡的な考えでマーカーを引くという。

 

「これは……蛍光ペンか?」


 想定外な結果になってしまった。

 異常なほど、濃かった。これじゃあただのペンじゃないか。

 その言葉が見えなくなってしまったじゃないか。

 明日ここに何て書いてあったか聞かなくては。

 とにかくそれ以外を見ることで予習を済ませて、僕は寝ることにした。

 落ち込む理由を増やしながら、今日を終える。また次の今日が来る。

 課題を残しているので、少し寝付きが悪かった。

 

 

 ――時計の針が十時を過ぎた頃、

 ガチャ。

 そんな音を立てて、リビングに入室した女性が、机の上にある紙に目を落とし、そして静かに涙を流した。

 

 

 ――ああ、朝か。

 眩しい光が部屋一面に満ちている。虚ろな目で上体を起こす。

 この時間はいつも憂鬱だ。

 面倒臭いことが嫌いで、二と付くことは大抵大嫌いな僕だが、例外的に二度寝だけはしてしまう。

 そんな情けない自分に呆れもする。しかし、性懲りも無く僕は、上体を倒し始めていた。そんな自分に憤慨し、ギリギリの所で、眠気の海から浮上した。

 その勢いのまま、ベッドから抜け出し、この不毛な惑いに終止符を打った。

 と思えたのも束の間、またしても眠気が襲ってきた。

 これはいけないので、急いで下に降りて顔を洗わなければ。

 いつもより、若干急ぎ足で降りる階段は、いつもより若干危険な物であることに気付くのが遅れ(遅れたのも幸いか?)、残り二段と言うところで踏み外し、あわや頭部強打。緊急搬送を文字通り命懸けでするはめになりかけたが、起こらなかった過去などどうでも良く、今は目の前の問題に早急に対処せねばならない。

 

 だが、僕は気付いてしまった。さっきの危機一髪の一幕で、眠気は完全に覚めていることに。

 思い通りに物事が運ばないなど日常茶飯事、いちいち落胆する必要もなく、それを理解してか、僕の思考は朝食への興味に移った。

 大して食欲があった訳ではないが、習慣とは不思議なもので、朝起きれば朝食へと自然と意識が向いてしまう。

 まぁ、普通なら、朝食にさしたる拘りはそう無いだろうが、朝食を自分で作らねばならぬ性質上、気にせずにはいられないのだ。

 

 …………?

 またメモ?

『今日は朝食を作っておいたわよ。冷蔵庫に入っている筈だから』

 ……普段なら、仕事で疲れて倒れるように寝る筈なのに、事実、今でも自室で寝ているだろうに、なのに……なのにだ、母はその体で僕のために、朝食を用意してくれたのだ。

 そして、そうしようと思った理由には敢えて触れていない。

 その優しさに僕の罪悪感は膨れ上がり、今にも破裂しそうだ。母を悲しませたのは、不安にさせているのは紛れもなく僕自身だ。

 感謝を忘れることは許されない。改めてそう感じた。

 

 僕はその気分のまま、つまりは若干の喜びを感じながら、感謝をしながら箸を取り、朝食を味わう。

 白ご飯にお味噌汁、焼き魚……ではなくハムエッグ。和洋折衷と言うわけでもないが、少々驚いた。

 予想外の組み合わせに、出鼻を挫かれたかのような気分だ。

 ……いや、朝食としては何もおかしくは無いだろうか?

 何にせよ、非常に美味しかったので何でも良いのだ。

 まぁ、普段は有り合わせで慌てて作るので、味を楽しむ余裕は無い。だからこそ今日は、久し振りに味を感じられたのだ。

 

 手を合わせて、

「ご馳走様でした」

 そう呟いた後、食器を手にしてシンクに向かう。

 そして洗い物をさっさと終わらせ、学校に行く準備を済ませる。

 具体的には歯磨きと着替え。

 

 ――さて、準備もできたし、急いで学校に向かうとしよう。

 あのマーカーに塗られた部分に何があったか気になるし、しかも用があるのが一時間目だしで、事態は急を要するだろう――

 

 

 

「は……? そんな物は無い?」

 

 着いて直ぐに友達に聞いた。しかし返って来たのは、そんな記述は存在しないという回答だった。

 

「本当だって。ほら見ろよ」

 

 確かに、彼が持っている歴史の教科書には存在しない。それどころか、それに関する解説が全く載っていない。

 まるで最初から無かったかのように。

 

「でも、ここに確かに……」

 

 僕は教科書を取り出し、自身が塗り潰した部分を確認した。

 しかし、

 

「あれ……無い。昨日までは確かにあったのに」

 

 目を疑う事態が起きてしまっていたのだ。

 

「最初から無かったって」

 

 そんな、そんな筈は……僕か、僕がおかしいのか? あれは幻覚だっとでも言うのか? 癌宣告のせいで、心まで壊れてしまっていると言うのか?

 あのペンは一体何なんだ? 何が起きてしまったんだ?

 

「まあ、そんなの気にせずに、今日一日頑張ろうぜ」

 

 腑には全く落ちないが、取り敢えずは仕方が無い。

 家に帰ったら、もう一度あのペンを確認しよう。ここで悩むより家で確認する方が、何か分かる可能性が高い。

 

 

 ――と、考え続けながら一日を過ごした結果、このペンの存在が思考の大半を埋めていたせいもあり、授業が殆ど頭に入らなかった。

 

「『今日は早く帰ります』……ね」

 

 母さんが送ってきたメールを見ながら、左手に持ったペンで、ペン回しを試みる。でも、見事に落としてしまった。

 ……一応、帰り際に蛍光ペンは買ったし、もうこれ以上このペンに関わる理由など無いのだが、気になることを不明のままで結論付けられるほど割り切れはしない。

 

 だから、改めて書かれている単語を見る。

 correction penと書かれているようだが……まあ、取り敢えず意味を調べようか。

 僕は、電子辞書を取り出して、一文字一文字確認しながら検索をかけた。

 

「修正……?」

 

 ということは、修正ペンということか? だとしてもこんな色をした修正ペンなど見たことが……

 

『やっと気付いたね』

 

 ――背後からそんな声がした。

 現在の時刻は八時過ぎ。斜め前に見える外も真っ暗だ。強いて言えば、月明かりが差しているくらいか。

 だけど、何故か背後に光があるのが分かる。現在僕がこの部屋で点けているのは、目の前にあるデスクライトだけなのにだ。

 得体の知れない恐怖を感じ、振り向くのを一瞬躊躇った。

 

『無視しないでよ!』

 

 だけど、背後のその存在は、僕を急かしてきた。

 このまま硬直していても進展は無いので、恐る恐るゆっくりと振り返った、震える体を抑えながら。

 

『やあ、初めまして。天使です』

 

 そんなの信じられない。だけど、信じざるを得ない。

 

『どう? イメージ通り?』

 

 肩の辺に輝く羽を生やし、絵画でよく見るような服装を着た、この世のものとは思えない程の神々しい存在。

 おまけに癪に障るほどの美しさ。

 

『そう? 良かった!』

 

 でも、性格はイメージとかけ離れ過ぎて、せっかくの神々しさを台無しにしてしまっている。

 

『え? それはちょっとショック……』

 

 もはや、普通の女子校生同然だ。

 ……と言うか、自然に心を読むのは止めて欲しい。

 

『とにかく! 私は君に奇跡を授けに来たんだよ!』

「このペンのことですか?」

『わぁっ、急に喋らないで!』

 

 確かにいきなりではあったけれど、天使ってもっと余裕が満ち溢れている者だとばかり。

 

『人が変化するように、天使だって変化するんだよ。時代によって、微妙に捉え方が変わったりするでしょ?』

 

 微妙どころか、固定観念を完全に破壊しに行ってるよ。

 

『はい! ここでこの話はお終い! さっさとそのペンの説明に入るよ!』

 

 ……そうだ。このペンの正体だ。これは一体どんな代物なんだ?

 

『まずは太字の方。そっちは、塗り潰した言葉を完全に世界から消す機能。そして細字の方は、消した言葉を別の物に書き換える機能があるの』

 

 ――僕は、今日起きた出来事を思い出していた。この天使が言うように、確かに記述が消えていた事実を。

 

「消したものを戻すことは?」

『同じ言葉を書けば良いの。まあ、思い出せればだけどね』

 

 ……そう言われて気付いた。いや、気付かされたのだろう。

 一度はマーカーを引こうとしたというのに、それ程意識をしたというのに、全く記憶に無いのだ。

 一文字も思い出せないのだ。

 

『言葉を消すのは、君だって例外じゃない。完全にって言ったでしょ?』

 

 ……そういうことか。しかし、だとするなら、それは取り返しが付かないのと同意義になってしまう。

 

『そうだね。でも私は覚えているよ。何故か分かる?』

「……貴方がこの世の者ではないから」

『正解!』

 

 本当に軽い人だ。何が目的なのか分かりにくいレベルで。

 

『目的はさっきも言ったけど、君に奇跡の力を授けること。ここまでの話で、もう気付いているんだよね』

「僕の癌も……消せるんですか?」

『勿論可能だよ』

 

 これで、辞書なり何なりに癌と書かれた字を消せば、僕は生きられるのか?

 ……僕は、日常に戻れるのか?

 

『非日常を望んでいたのに、日常を望むの?』

 

 僕は非日常なんか望んでいない。非日常で母さんを悲しませてしまうと言うならば、そんなもの望む筈がない。

 だから日常が手に入ると言うならば、僕は喜んで手を伸ばす。

 でも、

 

「天使のくせに、僕を陥れるつもりなのですか?」

『……どういうこと?』

「消すのは言葉だけなのでしょう? なら、癌の字を消したらそれこそ終わりだ」

 

 伸ばす場所くらいは選ぶ。振りほどかれると分かっている手なんかに、僕は伸ばしはしない。

 

「癌という言葉が消えてしまったら、それは癌が発見されていないも同じ。それをしてしまえば、癌という明確な病気から、正体不明の謎の病気になってしまう。つまり、治療法まで消えてしまう」

『じゃあ、教科書から解説も含めて完全に消えたのは?』

 

 落ち着いて考えれば簡単だった。教科の特色を加味して考えれば、当たり前の現象だったのだ。

 

「歴史の教科書ってのが重要なんでしょう? だって、その言葉が消えただけで、その歴史書の信憑性は無くなってしまうから」

 

 例えば、織田信長という言葉が消えたとしよう。でも、その人物は確実に存在していて、取った行動は同じだとしよう。

 ――何処かの誰かが、天下統一に王手をかけました――

 そんな歴史書の何処に信憑性があると言うのだろうか。詳細が事細かであるのも相まって、誰かの物語程度にしか思えないだろう。

 少なくとも、歴史の教科書に載る訳が無い。

 

『……正解。よく分かったね。君は奇跡を受け取るに値するよ』

 

 彼女はテストのつもりだったのだろうか。ここで真っ先に修正ペンを使っていれば、不合格といった具合に。

 

『当たり前だよ。奇跡は簡単に手に入るものじゃない。それを受け取る資格がある人に与えるべきものだよ』

 

 そのための(ふるい)の役割を担っているのが、さっきのテストと言う訳ですか。

 

『そうだよ。でも、まだ君は合格じゃない。資格があるだけだよ』

 

 まあ、そうなるか。この場合、僕の癌を消す方法が確立していないからな。助かったとは言い難い。

 ……そう言えば、

 

「このペンに使用回数制限はあるんですか?」

『両方合わせて三回。仏の顔も三度までってね』

 

 それはちょっと違うでしょう。神様と仏様じゃ少し違うだろうし。

 まあ、あと二回使えるということが分かっただけ良しとしよう。

 

「じゃあ、消した項目はいつまで残るのですか?」

『その日だけ』

 

 昨日消した何かが、今日になって消した痕跡さえ消えていた。つまり、細字の方で書き換えれるのには、時間制限があるということだ。

 ……あとは、

 

「細字で書き換えた言葉は、どのレベルで書き換わるのですか?」

 

 これの返答次第で、僕の運命は変わる。僕が望むレベルで変わってくれるのか、それによって変わってしまう。

 

 ――彼女は、ニッと笑って、

 

『ぜひ、お試しあれ』

 

 とだけ言った。

 つまり、肝心なこの質問には答える気がないということ。

 

「天使の字を消しても良いのですよ」

『それは困るけど、それをしたら君は助からないよ?』

 

 ……まあ、そうだよな。もう僕はこれに頼るしかないよな。

 

『って、何処に行くの?』

 

 決めた。これを使う。

 

『何で一階に?』

 

 朝よりも急ぎ足で、自身が発揮できる最高の速度で階段を駆け下りる。危ないだとか、落ち着いてだとか微塵も思わなかった。

 何故なら、もう時刻は九時を回ろうとしている。母さんが早く帰ると言えば、大体この時間なのだ。

 帰ってきた母さんに、もう悲しい思いはさせたくない。無理をさせたくない。

 

『で、どうするの?』

 

 決まっている。この事実を変えてやるんだ。

 

 ――リビングの扉を開けて、僕は入室した。

 

 真っ暗な部屋で電灯のスイッチを手探りで探し、カチッと音を立てながら明かりを点けた。

 

「あった」

 

 昨日使われた紙が、固定電話のところにあるメモ帳に挟んであった。

 母さんに、大事なメモをここに隠す癖があるのは知っていた。だからこそ、簡単に発見できた。

 

『その紙をどうするの?』

 

 昨日ここに、僕は置き手紙を残した。

 

 ――『僕は癌らしい』と。

 

 だから、普通に鉛筆で『僕は』の前に『やっぱり』と書いて、

 

『良いの? どうなるか分からないんでしょう?』

 

 ……大丈夫。もう確信している。

 

「貴方は、『天使の字を〜』という件の時、『それをすると助からないよ』と言いました。それはつまり、それをしなければ助かるということ」

 

 そう呟きながら、『らしい』の字を太字で消して、『ではないらしい』と細字で書いた。

 

「つまり、細字で変えた言葉は、現実にも影響するということ」

『……正解。大正解!』

 

 書き直した紙を机の上にまで持っていき、いつものようにお釣りの下に挟んだ。

『やっぱり僕は癌ではないらしい』

 と書かれた紙を。

 

 

『――ここまでスムーズに辿り着いたのは君が初めてだよ。君って頭が良いんだね』

「それは違いますよ。ただ、必死だっただけです」

 

 二階への階段を登りながら、そんな会話をした。

 

『じゃあ、奇跡も起きたことだし、私は天界に帰りますか』

 

 僕が部屋のドアノブに手をかけた頃、彼女がそう切り出した。

 寂しいとまでは思わないけれど、彼女に助けられたのは事実なのだから、そのお礼くらいはしておこう。

 

「……ありがとうございました」

『急に改まって言われると、ちょっと照れるな』

 

 最後までマイペースな天使様だけど、最後に笑った顔は、不覚にも可愛いと思ってしまった。

 

『ふふっ、ありがとっ!』

 

 彼女が消えたと同時に光も消えたせいで、一瞬空間の把握を誤ってしまった。それでも何とかドアを開けて、デスクライトの光を頼りに椅子に座った。

 

「これは置いていくんだな」

 

 彼女のサインと思われる模様が追加された、あのペンを持ちながらそう呟いた。

 

「なんとなく、大事にはしておこうかな」

 

 インクが切れてしまっているようで、何にも使えはしないけれど、真っ白な姿に金色のアクセントが映えて、とても綺麗だから、観賞用にでも取っておこう。

 

 ――そんな風に考えていると、急な眠気に襲われて、その椅子に座ったまま寝てしまった。

 

 

 ――ガチャ。

 そんな音を立ててリビングに入室した女性が、机の上にある紙に目を落とし、そして静かに涙を流した。

 ただ、つい先日のそれとは心境が大きく違った。正反対と言ってもいい理由で、彼女は泣いたのだった。

 

 

 ――癌と宣告されて数日が経った。

 

「信じられない。癌が全て消えている」

「本当ですか!」

 

 やっぱり癌は無いと、僕がメモを残したって妙なことを言うものだから、こうして再検査に来てみれば、本当にそうなっていて驚いた。

 

「不思議だ。前回のレントゲンを今見ても、確実にあるというのに。……機械の故障だったのだろうか?」

「どうでしょう……」

 

 いや、二人して僕の方を向かれても、何も分かりませんって。

 

「まぁ、とにかく癌は見受けられないので、治療は中止しましょう」

 

 よし! 何が何だかよく分からないけれど、癌の治療費が必要無くなったのは大きいぞ。

 いくら高給とは言え、帰り時間が遅くなりがちなお母さんには、これ以上負担を掛けられない、と思っていたけれど、本当に掛けずに済むなんて僥倖だ。

 母さんは奇跡だって言うけれど、本当にそんなもので助かったと言うなら神様に感謝だね。

 

 ――今日の診療費を払って、病院を後にした。

 

「でも、朝起きたら持っていたこのペン、一体何なんだろう」

 

 全くインクが無くて、本当に何も書けない。けれど、不思議と捨てる気にもなれない。

 

「correction pen ……か」

 

 その上に書いてある模様は、正直何て書いてあるか読めないけれど、見てると何故か落ち着く気がする。

 

「ま、取り敢えず持っておきますか」

 

 ――そう呟いて、家への道を歩いていた。

 

 

ここまで見てくださり、本当にありがとうございます。

面白いと思っていただけたなら幸いです。

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