カカオ70%
わかっている。板チョコがいつかはなくなること。
箱いっぱいの板チョコ。何日だったか、何ヶ月だったか、何年だったか、わたしはそれで暮らしてきた。今、板チョコを一つ手に取ったら、あと一つしか残っていないことに気が付いた。あぁ、どうしよう。ぼんやり思う。
わかっている。いつかは板チョコを買う為、外に出なくてはいけないこと。
板チョコを買いに行かなくては。うわぁ、めんどくさい。いつか帰国子女の友達が言ってた。英語にめんどくさいという言葉はないのだと。アメリカ人だったら、何かが違ったかな。また思う。自分のことなのに、カーテンの向こう。
わかっている。いつかはチョコレートを買うお金にも困るだろうこと。
普通より苦いチョコ。カカオ70%と段ボール箱に書いてある。ミルクではなく、ビター。コーヒーはあまり好きではないけど、チョコレートは苦い方が好き。不純物が混ざっていない感じが好き。
わかっている。お金を得る為、働かなくてはいけないこと。
今のわたしの生活の中にあるのは、板チョコの段ボール箱とカカオ70%のチョコレートだけだった。わたしは、この生活をそれなりに愛している。
わかっている。働くという行為は、今の生活の破綻を意味すること。
段ボール箱に手を掛けた。板チョコになかなか手が触れない。箱の中で手を暴れさせる。そのうち、箱を手前に倒してしまった。しまった、と思う。板チョコが散らばってしまう。
わかっている。これからわたし自身が辿るだろう道、全て。
だが実際は、板チョコが床に散らばることはなかった。包装紙がかさっと気弱な音を起てた。最後の一個だった。仕方ないこういう日は当たり前にやってくると自分を宥めつつも、手が震える。
わかっている。この生活が壊れてしまうのが、恐いこと。
恐怖を惑わす為、例え話をしてみる。板チョコの70%がカカオであるなら、あとの30%はわたしの頭の端っこに存在する一抹の不安だろうか。笑っちゃうな。カーテンの向こうで、ぼんやり思う。
カーテンの隙間から、窓に映る誰かの顔を見た。寂しそうだな。元気づけようと、わたしが無理をして作った笑みに答えるように、そいつはぎこちない微笑を浮かべた。