新年早々お菓子の国の大冒険
*
手を清める水は、新年を迎えた心の内側までをも綺麗にしてくれるように冷たい。柄杓を持ち替えて両手を洗い、口をゆすいで、残りの水で次の人のために柄を洗う。一杯分の水ぴったりで清めができると、今年もいい年になりそうな気がする。
初詣に訪れる人々が一面にひかれた大きめの砂利を踏むたびに、それらがこすれ合う音がして心地よい。
そんなことを考えていると三人の姿が見えなくなってしまった。歩くたびに他人とぶつかる肩に気を取られながらも歩幅を大きく、早足で歩いて行く。
「やっと来たね」
桜色のダウンジャケットのポケットに手を入れた結月がニコッと目を細めた。
「もうー、一回はぐれたら大変だよー」
「そうだね。じゃあ二人も待ってるしお賽銭入れに行こっか」
「ちょっとは休憩させてよー」
ここ菓子原神宮で今年も新たな一年が始まった。今年はいつもの四人で初めて初詣に来た。そして、これは私の人生で初めての親がいない初詣なのだー! これで一歩大人に近づいたよね!?
今年は何をお願いしようかなと迷っていたところ、隣ではいっちゃんが凄い気迫で何かを願っている。それもちょっと引いちゃうレベルで。願い事はとりあえずみんなともっと仲良くなれますようにでいいか。そうして私は一番最後に五円玉を賽銭箱に投げ入れた。
賽銭箱へと向かう人混みを逆走しながらおみくじを引きに行く。途中、小さな女の子がその両親と手をつなぎながら巨大な干支の絵馬を見て驚いている。私がまだ小学校低学年だった頃はあんな感じだったのだろう。あの頃は何にでも無邪気に喜んだり驚いたり悲しんだりできた。最近素直に自分の気持ちを表現しているかと問われると「はい」とは答えられない。よく分からないけど、恥ずかしいのだ。
でも綺麗な巫女さんを前にすると、素直に可愛いと思える。特徴的な赤い装束。確か高校生になると助勤として巫女さんの仕事ができたはずだから、私もやってみようかな。そんな憧れを胸に抱いて、ガラガラと木筒を振った。
「みんなはどうだった?」
嬉しそうな顔をしたいっちゃんが皆に聞いた。おそらく彼のおみくじは良かったのだろう。
「ちなみに俺は大吉だった!」
ほんとにわかりやすいんだから。
「私は末吉だった」
「俺は小吉」
結月と松村くんはどちらが良いのか微妙なくじを引いてきた。
「琴音はどうだったの?」
「いやー、その……」
私は三人の前に、親指と人差指で力なく挟んだくじを差し出した。
「凶……」
三人の声が一致した。
「まあ、気にするなよ。いいことあるって」
うー! そんないっちゃんの励ましさえも辛くなってきた。せっかく友達と来たのに凶。琴音ちゃんちょっとブルーです。
少しの沈黙の後、私は去年のお守りを納めてくると言い訳をして、おみくじを木に結びに行った。みんなの元に戻る道中で、いっちゃんがおみくじの木筒を振っているところを見かけた。周りに松村くんと結月はいない。大吉だったのに引き直すつもりかと思ったけど、いっちゃんの隣には恋みくじと書かれた小さな看板が立っている。あー、なるほどね。やっぱりいっちゃんって……。
*
「お腹も減ったし露店で何か買って食べよっか」
「そうだな」
「俺もハラ減ったー
「私ヤケ食いしようかな」
相変わらず琴音は口をとがらせておみくじの結果を受け入れきれていないようだ。このまま家に帰すとお正月の間ずっと不貞寝しそう。
「うわ、凄い行列だな」
松村くんが財布を握りしめながら興味深そうにあるたこ焼き屋を見ている。
「ここのたこ焼きはホントに美味しいよ」
菓子原神宮の大きな鳥居のすぐ隣にある一店のたこ焼き屋さん。露天とは思えないほどの美味しさで毎年初詣の時は行列が絶えない人気店だ。(実話)中はふわふわほくほくで、外は生地に対してソースとか青海苔とかかつお節とかがそれぞれを主張しつつ、お互いを支えあっている。そんな私の熱弁が功を奏したのだろうか。
「じゃあ買おうかな」
「私も買う」
「そういえばあの二人は?」
「ベビーカステラ買いに行くって言ってたよ」
「ベヒーカステラでやけ食いか。お腹もふくれてちょうどいいかもな」
「あはは、そうだね」
こんな感じで食料を調達した四人は再会しお昼を食べた。その後は家に帰った。
琴音がお菓子の国を探検したいと言い出したのはこんな感じで新しい一年が始まってから一週間後の事だった。
琴音は以前からそのことを計画していたようだが、一人ではなかなか実行しにくかったと言っていた。そんな時良くも悪くもお菓子の国での琴音のことが私達に知られてしまい、今に至るわけだ。
「というわけでお菓子の国でーす!」
「いえーい?」
三人ともよく状況をつかめていない。それは、新年になったからといって特に何も考えていないモカも同じようだった。
琴音は銀のスプーンを片手に目をキラキラさせている。
「せっかく新年になったんだし、いっぱいお菓子食べよ!」
「よくわからないけど、琴音を野放しにしておいてモカはいいの?」
「僕達としてはここのお菓子は食べてもらったほうが嬉しいんだけど」
「けど?」
「今の琴音だったら、ここのお菓子全部なくなっちゃうかも。流石に殺風景にされるのは困るよ」
モカは冗談っぽく言っているが、琴音ならやりかねないと心配もしているのだろう。さらさらと甘い風が落雁の花が咲き誇る大地をそっと撫でる。その風はチョコの川で芳醇さを纏い、更にこの世界に潤いを与えていく。そして、風がやんだと同時に琴音は私達の手を引っ張るようにかけ出した。私達はとりあえず琴音についていくことになった。
「結月! まずはプリンの丘の向こう側に行こうよ!」
「えー、あれ登るの? 結構高いよ?」
「途中まで登ったことあるけど、傾斜緩いからそんなに疲れないよ。あとキラキラのカラメルソースがとっても美味しんだ」
周りを見渡してもプリンの丘ほどの高さのあるものは見当たらない。琴音は一度動き出したら止まらないタイプだから、私達も登らなければ行けないのだろう。
でも美味しいものが食べられるなら別にいいかなと思えてきた。
元気いっぱいの琴音とは対照的に後ろでは男子二人が面倒くさそうに、体重を片足にかけて立っている。
そんな二人に気づいたのだろうか。
「松村くんもいっちゃんも早く行こっ!」
そうしてお菓子の国の探検隊一行は最初のクエスト「プリンの丘のその先に」をクリアすべく一歩ずつ前に踏み出していくのだった。
プリンの丘に登り始めて30分ほど経っただろうか。頂上付近のカラメルソースはもう目の前だ。地面が柔らかくて不思議な感じだ。前を歩く琴音の足取りは更に軽くなっていくようだった。鼻歌なんて歌いながら、まるで幼稚園児の遠足みたいに大きく手を振って大股で進んでいる。
「ほらみんな! とっても甘い匂いがするね!」
カラメルソースに手が届くほどの距離まで近づいたところで、琴音が満面の笑みで振り向いた。
「こんなにたくさんのカラメルソース……」
松村くんがメガネのフレームに右手を当ててぶつぶつ呟いている。
「はい、じゃあみんなにこれ渡す」
そんな松村くんを気にしないように、琴音は三本のスプーンを差し出した。
「みんなで食べたらとっても幸せになれるよ!」
「ありがとー!いただきまーす!」
今まで静かだったいっちゃんが飛びつくように琴音からスプーンを受け取り、カラメルソースに深くスプーンを入れ、そっと持ち上げた。どこまでも透き通るかのようなキャラメル色はは、何万年も光を貯めこんできた琥珀のように艶めいている。それをそっと口に運んだいっちゃんの表情はみるみる幸せなものとなっていく。
私も味が気になったのでスプーンですくって舐めてみる。すると煮詰めた砂糖の素直な甘みが口の中でふんわりと広がる。だけどそれは甘すぎず、あくまで爽やかだ。主役のプリンを引き立てるための脇役でしかないと思っていたカラメルソースがこんなに美味しいなんて。
「ねえモカ。プリンも食べていいよね? 」
カラメルソースだけでも美味しいのにプリンと一緒に食べるともっと幸せになれるだろう。そう思った私はすぐにモカに尋ねた。
「ああ、もちろん。好きなだけ食べてくれ」
「やった!」
いつの間にか琴音より私のほうが楽しんでいた。どうしよ太っちゃう……。でも甘い物は外せないよね! 女の子だし。
*
みんなでプリンを食べて、それからプリンの向こう側の未踏の地を目指して柔らかい丘を歩いて行く。まるでトランポリンの上を歩いているかのように、地面は足にかけた体重次第でいくらでも形を変えていく。トランポリンの上なんて歩いたことないけど……。
それからしばらくは景色が変わらない黄色い世界をひたすら進んだ。5分くらいだけど。こうして歩いてみるとお菓子の世界はハリボテなんかじゃなくて、私達の住む世界みたいに地平線の向こうまで、そしてその向こうもずっと続いているんだなあと思う。本当にこの世界って何があるのかまだ全然わからない。最初は新鮮だったプリンの丘の歩行も、すっかりなれてしまって面白くなくなってきたので、モカにいろいろお菓子の世界のことを教えてもらうことにした。
「モカー。この先って何があるの?」
「噂ではチョコレートのお城があるらしいけど」
「どうしてそんなに自信がないの?」
「前にも言った通り僕達お菓子の妖精は、それぞれの与えられた場所のお菓子の整備という仕事があるんだ。君たちの世界から新しいお菓子が捨てられる度に仕事は課されるんだけど、最近は少し少なくて、こうして今君たちといるわけ。つまり僕達は自分の持ち場以外の場所のことはあまり知らないんだ」
「そうなんだ。でもチョコレートのお城って可愛いね!」
「僕にはカワイイというものが何かわからないけど、それも楽しいと同じなのか?」
「ちょっと違うけど大体そんな感じ。自分が楽しくなっちゃうくらい他のものが素敵ってこと。そういえば私達ってどこに向かってるの?」
「チョコレートがよく落ちてくる地域だよ。そこにチョコレートのお城があるらしいんだ。僕も前から見てみたいと思っていたことだし、ちょうどいい機会かなと思って。」
「道はわかるの?」
「わからないよ」
「いやいや、わからないよじゃないでしょ。どうするのよ」
「そう言うと思ってチョコレートの整備をしている妖精に道案内を頼んでいるんだ。もうすぐしたらいると思うんだけど」
「モカってそんなに友達が多いの?」
「まあね」
「そうなんだ」
チョコレートの香りが私達を包み込む。どうやら今チョコレートの国は近いようだ。
ちょうどその頃何もないプリンの斜面に一人(いや、一匹?)で座っている妖精らしきものが視界に入った。モカが手を振ると、向こうも振り返していているようだ。
「遅かったなモカ」
「この四人がお菓子を食べる時間のことは考えてなかったよ」
「幸せそうでいいじゃないか」
「まあそうだね。それじゃあここから先はよろしくショコラ」
ショコラと呼ばれた妖精は緑の帽子を被っている。モカはクッキー担当でオレンジの帽子だったから、担当するお菓子によって帽子の色が違うようだ。そして相変わらずそんなに可愛くない……。
そんなことを言われているとも知らないでショコラはどんどん進んでいく。
「置いて行くぞー!」
「待ってよーショコラー」
また私一人が置いて行かれそうになった。
「ほら見えてきたぞ」
やっとのことでみんなに追いつくと、ショコラが前方を指差した。
「うわぁ! ホントにチョコレートばっかりだー!」
丘から眺めるチョコレートの国は、この世界の入り口があるクッキーの国とはまた違って大人びた雰囲気がある。そして、チョコ100%の重厚な風。このお菓子の国は何度来てもまた新しい発見があって、いつも私の想像を簡単に超えてくる。
「ようこそチョコレートの国へ。自己紹介が遅れたな。俺はショコラ。このチョコレートの国の整備長だ」
ショコラは真ん中に青い玉が埋め込まれた腕輪を見せてきた。
「この青い玉が整備長の証さ」
んんっ? これどっかで見たことあるような……。
私は左にちょこんと立っているモカの方を見た。モカは不思議そうな顔で、妖精共通のクッキーのペンダントと青い玉が付いた首飾りを光らせている。
「モカってそんなに偉かったの?」
「あれ、言ってなかったっけ? 僕はクッキーの国の整備長だよ」
「ええー!」
四人の声が重なった。でもよく考えてみたら自然なことだ。私達をこうやってここまで連れてきたり、合奏の時に妖精をみんな一箇所に集めたりできるのも、それなりの地位に立っていたからだろう。
そんなことよりも、とショコラは私達の少し前に進んで、小さな体を懸命に大きく見せて言った。
「じゃあ早速チョコレートの城を目指すぞ!」
「おー!」
夢にも見たお菓子のお城。次はどんな幸せが私を待っているのかな。
おわり