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第五話 お菓子の国の奇跡

もう夕方にもなったし、散歩でもしようかなと思い、運動靴の紐をきゅっと締めた。

いつものお散歩コース、といっても私の住んでる住宅街の中をジグザグに歩いていくだけなんだけど……。


「あれ? 中谷?」

振り返るとそこには大きなリュックサックを背負った松村くんがいた。

「あ、今日も塾?」

「俺は今終わった。警報出たと思ったら、朝から来いって電話かかってきて、その帰り」

「なるほど。私はただお散歩してるだけ」

「へー。健康的でいいじゃん」

私たちは自然と歩き始める。この先に目的地はもちろんないが。

「そうでしょ? でも、こんな平日の日に散歩するのは初めてだからちょっと変な感じ」

「あー、分かる分かる! 多分平日は学校って身体に染み付いてるんだろうな」

気付けば住宅街の西端まで来ていた。実はこの先の細い道を歩いていけば森林公園に五分もかからず行くことができる。認めたくないけど、実はここけっこう田舎です……。


「誰かと思ったら琴音じゃん。どうしたのこんなところで」

「なんでもないよ!」

前から息を切らした琴音が走ってきたと思ったら、風のように通り過ぎてしまった。


「なあ、中谷。あいつ、もしかしてお菓子の家に行ってたんじゃないのか」

「琴音は約束破ったりしないよ!」

「でも、今のあいつ、スプーン握ってたぞ」

「え……」

ううん、琴音は約束なんて破らない! 疑っちゃダメ!


結月に、部活が終わってから校門前集合ね、と言われてから嫌な予感はしていたが、まさかその予感が見事的中するとは……。

これで私は裏切り者扱いされて、悲しい一人ぼっちの生活を送ることになるのだろうか。でも、せめてその前に、言い訳だって捉えられるとわかっているけれど、私に時間を下さい……。

「ねえ、琴音。昨日何してたの?」

結月が真剣な眼差しで、下を向いた私を覗き込む。

「散歩だよ」

「でも、あの時スプーン持ってたよな」

松村くんがその高い視点から私を見下ろす。

「それは……」

「もしかしてお菓子の家か?」

心拍数が上昇していく。私は無言を突き通した。でも、こういう状況で言葉を発さないのは、肯定として捉えられることが殆どである。

「この前約束したよな? 自分からわざわざ危険かもしれない場所に行かなくていいんじゃないのか」

危険かも知れない場所。そのセリフで、私は何かが爆発したかのように、感情が溢れてきた。

「違……違う! あの場所は危険なんかじゃない!」

「だってお菓子の家だぜ。あんなものが現実にあって、安全だと思うほうがおかしいよ」

「確かに私も、あの場所を安全とは言い切れない。でも、でも! 私はあの場所に住む妖精たちに楽しいを届けなくちゃいけない!」

「妖精? そんなものがいるわけ無いだろ」

「ちょっと、松村くんも琴音も落ち着いて」

結月が場をなんとか抑えようと動くが私はもう気にしていられない。


「松村くんはお菓子を無駄にしちゃったことがないの?」

「なんだよ急に。誰だって、賞味期限切らしたりとかあるだろ」

「そのお菓子、どうしたの」

「仕方ないけど捨てたよ」

「人間が捨てたお菓子は全部あの世界に降ってくるんだよ! そのお菓子をもう一度美味しくして、綺麗に飾ったのがあの世界の本当の姿。お菓子の妖精はその仕事を課されているの。でもお菓子の世界には娯楽がないんだ。皆、楽しいがない世界で、この世にお菓子が生まれてからずっと働いてきたんだよ!」

あのあとモカはお菓子の世界のことを詳しく教えてくれた。もう彼らを放っておくことなんてできない。

「だからお願い! みんなに手伝って欲しいんだ!」

三人とも驚いた顔をしている。私も自分からこんなにもたくさん言葉が出るなんて思わなかった。

「手伝うって何を」

「松村くんもお菓子無駄にしちゃって、妖精たちの仕事増やしたんだから手伝ってよね」

「だから何を!」

「この四人でお菓子の世界に音楽を届けよう」


「え?」

見事に三人の声が一致した。

あ! とにかく説明しなきゃ。

「だから演奏するの。お菓子の妖精、私が最初に会ったのはモカっていうんだけど、私の鼻歌が頭から離れないらしいんだよ。だから四人でも楽器使ったらきっとお菓子の妖精も喜んでくれると思うんだ」

「ねえ、琴音今までの話本当なんだよね? それなら私手伝ってもいいかなって」

「結月、本当にありがとう!」

「私、さっき琴音を問い詰めるようなことしてごめんね」

「私も約束破ったのは事実だからごめんね。だからお互い様でどう?」

「うん。今回はお互い様ね」


すると結月は松村くんといっちゃんの方を向いて命令に近い説得を始めた。

「二人とも、手伝ってくれるよね?」

「俺はいいけど、どうするんだ敏男」

「わかったよ! 俺もやる」

「よし! 私たちは琴音に協力するよ!」

結月が満面の笑みで手を差し伸べてきた。私もこれ以上ない笑顔で結月の手を握った。


六時になるともう真っ暗な帰り道。もう最近はずっとこの四人で帰っている。そんな中で私達の並び方は徐々に固定されていき、今では結月といっちゃんが横に並んで前を歩き、私と松村くんがその後ろを歩くことになっている。それと松村くんは最近私のことを名前で呼ぶようになった。この四人が仲良くなってきた証拠かな。

「手伝うって決めてくれてありがとね」

「いや、琴音があまりにも真剣だったからちょっと驚いた。琴音ってあんな大きな声出るんだな」

「もう、言わないでよ」

一言余計だ。でも、松村くんも手伝ってくれることになって良かった。

「それと、やっぱりごめんね、約束破っちゃって」

「俺も何も知らずに強く言って悪かった。だから、琴音の考えには全力で協力するよ」

「ありがとね」

終わりよければすべてよし。

あまりにも言葉通り過ぎて笑えてきた。


琴音が勇気を振り絞った日から少し経った頃。

「ねえねえ、私も一緒に帰っていいかな?」

うわー、最悪。あれ以降、関わらないようにしてきたのに、向こうから来るとは。

せっかく、四人の合奏の話も上手くまとまって、いい気分で帰れると思ったのに。


ほーら、またその目。いっちゃんと仲良くしてるのを見せつけるようにチラチラこちらを見てくる。なんかイライラしてきた。


あれ? なんで私、あいつにイライラしてるんだろ……。


二学期最後の定期テストはなんとか乗り越えた! 正直言うと、躓きそうになったけど。

えへへ。

合奏の練習してたから仕方ないよね、うんうん。


それなのに学年一位取ってくる松村くんは何者なんだろう。それを自慢しない所が松村くんらしい。

さて、私たちは合奏の日時を三日後に決めた。特に理由はない。ただ、やるなら冬休み前がいいということで。三日後の今頃はもう、重大な仕事をやり遂げているのだろう。ちょっと信じられない。あ、モカに三日後は演奏会だって伝えに行かなくちゃ。

行ってきまーす!


朝起きた時、部活してる時、ご飯食べてる時、寝る時、頭は合奏のことでいっぱいだった。そういう時は、時間の流れが早い、というより時間が流れていることに私が気付いていないということだろう。


そしていよいよ当日。ちょうど日曜日だし、部活も休みだし完璧な日。松村くんはチューバだから、特に頑張って楽器を持って帰ってきた。私はケースに入ったクラリネットを片手にさくら公園へと向かった。

いっちゃんはアコギを背負って走ってきた。

残念、遅刻です。


流石にパーカッション担当は仕事がないので、趣味でやっているというギターを持ってきてもらうことにした。

「よし、全員揃ったし行くか」

「結局、松村くんが一番張り切ってるんだね」

「ああ、やってるうちに楽しくなってきてな。全力で協力するって言ったし」

「ふふ、ありがと。でも、私緊張してきた」

今まで勢いで突っ走ってきたようなものなので自分が緊張しいのことなんて完全に忘れていた。どうしよう……。一回思い出すと手が震え始めて止まらない。

「落ち着けって」

「だって今から二千人のお菓子の妖精の前で演奏するんだよ。幼稚園の時みたいにまた失敗しちゃったらどうしよう」

「多分、琴音は自分のこと考え過ぎなんだと思う。どうしても自分のこと考えたら緊張するから」

「確かに私、人のことしか考えてなかったかも。ありがとう」

「まあ、頑張ってくれよ」

「うん」


私はこのお菓子の世界に入るのは初めてで、正直言って怖かった。琴音が平気な顔してどんどん進んでいくのも怖かった。まるで何かに取り憑かれているようで……。


「初めまして。君たちの話は琴音から聞いてたよ。今日は僕達お菓子の妖精のために集まってくれて本当にありがとう。みんなこの時のために頑張って仕事したよ」

「よろしくお願いします」

この子がモカなんだ。小さい。琴音の話によると、この子の方がかなり年上だからしっかり敬語を使っておこう。


「さあ、こっちで皆が待ってるよ」

「あ、ちょっと待ってね。楽器組み立てなくちゃ」

やっぱり年上に見えなくて、敬語か出てこない。


私はフルートのケースが汚れないように地面に置き、三本の銀色に輝く筒を一つにした。

中学生になった頃、最も人間の声色に近いから、という理由でフルートを選んだ。周りの空気を優しさで包み込むこの音色が大好きで、もっと綺麗な音を出したくて練習してきた。この音色を初めて聞くならば、きっと音楽が大好きになってくれるだろう。

この喜びを届けたい。


「みんな準備できたよ、モカ」

「こっちだよ」

一歩進めばまた鼓動が早くなる。地面を蹴り出す足も、かなり前から震え始めている。胸に手を当てると強い力で押し返してくる。お願いだから本番、うまくいって!

私達に用意された場所は周りより少し高くなってみんなから私達の顔がはっきり見えるような場所だった。

たくさんの目がこちらに向いている。

「どうしよう結月……。私上手くできないかも。せっかく、初めて音楽を聞いてもらうのに」

「だからこそ、自分のこと考えちゃダメだって。琴音が緊張しいなのにここまで頑張ってきたのは妖精さんたちの幸せのためなんでしょ? じゃあ、幸せを届けることだけ考えなくちゃ。分かった?」

「うん……。ありがとう頑張ってみる」

「じゃあ、もうちょっと真ん中に行こ」

そう言って結月は私の手を握り、男子二人とモカのところまで引っ張っていってくれた。その手は暖かく優しかった。


辺りが静寂に包まれる。妖精たちの目がキラキラ輝く。第一音が発せられるまでのこの時間が一番緊張する。私ははじめから最後までずっと緊張してるんだけど……。

私達の選んだ曲はホルストの木星。ゆったりしてて、心に深く染み入ってくるものがある。だからこそこの曲を選んだ。

結月のフルートの音色が、静かな空間に滑り込んでくるように、この世界に広がっていく。そこに松村くんのチューバが主旋律に潜り込みながら、自己を主張していく。さあ、私の番だ。最も盛り上がり、引き込まれていくこの旋律に私も加わる。指が震えて、足も震えて、頭は全く仕事をしない。

リードに息を吹き込んだその時。やらかしてしまった。全員の音がひとつになるはずのところで私は盛大に音を外してしまった。それも今にも途切れそうな情けない音で。


それからなんとか体に染み付いた運指と息遣いで立て直したけど、いつ崩れだすかわからない。依然として指は小刻みに震えている。


ふと、頭の中を松村くんの言葉がよぎった。

『自分のこと考え過ぎだと思う。自分のこと考えたら緊張するから』

そうだ。私は、私が失敗しないことばかり考えている。松村くんの言葉が本当なら、私が今考えるべきものは……四人で楽しく合奏を披露すること、そしてお菓子の妖精たちの幸せだ! お菓子の妖精の労働に関して、抜本的な解決になるということでもないが、少しでも音楽から受け取った幸せとか楽しさとか喜びなんかで生きる楽しさを見つけてほしい。負の感情しかなかったこの世界に花を咲かせるのは私たちなんだ! 


ふと目の前が光に包まれたかと思うと、初めてモカと出会った落雁の花畑を中心に、あちらこちらの花が光のベールに包まれた。驚いたが、演奏をやめるわけにもいかないので、音色を奏で続けていた。すると、その光が旋律を伝ってくるように私達を包み込み始めた。まるで糸のように繊細な光。胸の奥からすっと何かが抜け去っていくのを感じた。

あれ。心が軽い……。不思議と手の震えは止まっていた。どうしてだろう。鼓動も穏やかになっている。

その何かはあの時のトラウマ、そしてそこから生まれた緊張しいな私。

花畑の方を見ると先ほどの光がそっと私に微笑んでくれたような気がした。


私は一人で音楽を作り上げているのではない。この四人で、私と結月といっちゃんと松村くんの四人で一つの音を紡ぎ出している。今までにはない感情で心でいっぱいになる。ずっとこうして皆と演奏し続けたい。楽しめば楽しむほど緊張が消え去っていく。嬉しい! 合奏できて、聞いてくれる人がたくさんいることが嬉しい!


演奏が終わり、息を吹き込むのをやめても、まだ音がこの世界に響いているようだった。

横を見るとモカは涙を拭っている。モカが今まで流してきたのとは全く違う涙。

「どうだった? モカ」

「これが楽しいなんだね。ありがとう。それでお願いなんだけど……」

「何?」

「時々、こんな風に音楽を聞かせてくれないかな?」

「私はいいけど、みんなは?」

私は後ろを振り向いた。結月が喜色満面の笑顔で答えてくれた。

「いいみたいだよ」

「本当にありがとう。それで、お礼なんだけど、こんなもので良かったら受け取ってね」

そう言いモカは、先に丸いクッキーが付いたペンダントを四個差し出した。

「わあ! とっても可愛いよ! ありがとね」

「これはお菓子の妖精ならみんな持ってる大切な物なんだ。心がひとつになれた証として大切に持っててね」

「分かった。約束するよ」



たまたまボランティアで一緒になったこのメンバー。その偶然で私は大きなしあわせを手に入れることができました。


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