第二話 出会い
私がさくら公園に着くともう皆は待ちくたびれたような表情で待ってくれていた。朝なのに夏の日差しが頭に照りつける。私たちは自転車で十分ほどの川に出かけた。
ひなちゃん曰く川まで行く途中に通る道に見晴らしのいい丘があるらしい。そこで夕日を見て帰ろうという話だ。
早く川に行ってこの暑さから開放されたい、そう思いペダルを強く踏み込むと汗が滲むという悪循環。私は冷たくもない風を必死に感じようと背筋を伸ばした。
町中でもなく山奥でもない、この中途半端な田舎を流れる川に、私は昔から夏になると泳ぎに来ていた。プールでは味わうことが出来ない冷涼感、自然の一部であるという満足感。それらは中学生になった今でも充分感じ取ることができた。こちらが自然を受け入れれば、自然はいつになっても変わらぬ姿で応じてくれる。
ただ、昔は平気だった飛び込みが今では少し怖く感じてしまうのは、おそらく自分が変わったからだと思う。
「ほら、一緒だったら怖くないよ」
「平気平気!」
結月とひなちゃんが両端から励ましてくれる。小さい頃は何も考えなかったが、今は川底の地形とか深さとか余計なことを考えてしまい不安になる。いっちゃんと松村くんが先に飛び込んだから安全は保証されているのだが。
「じゃあ結月! 琴音の右手握って!」
右手を結月に左手をひなちゃんに握られた私は必然的に飛ばなければならなくなってしまった。
「じゃあ行くよー! せーの!」
岩から足が離れると、懐かしい感覚。下から風が吹き上げてきて、髪がふわりと持ち上がる。いつまでもそのまま宙に浮いていられそうな気がした。
「ナイスファイト!」
水から顔を出し泳いで浅瀬に行くといっちゃんが親指を立てて待っていた。
「やっぱり飛んでみたら楽しかったよ」
「だろ? あれ、そういえばひなたは?」
私達と一緒に飛び込んだはずのひなちゃんがいない。岸にも上がってないみたいだ。四人が周りを見渡していると、後ろで大きな水飛沫があがった。
「何回飛んでも気持ちいいね!」
水泡ともに浮かんできたひなちゃんがキラキラした笑顔でピースした。ひなちゃんが誰にでも好かれる理由がわかったような気がした。
まだお弁当を食べてから1時間くらいしか経っていないと思っていたら、もう四時になっていた。
「ごめん。私、五時までに帰ってきなさいって言われてるから先に帰るね」
ひなちゃんは残念そうな顔をして、帰る準備をし始めた。
「それじゃあ、また明日」
ひなちゃんは寂しそうな顔で手を振って帰っていった。
やはり、皆より先に帰るのは辛いものだ。帰り道にする小さな話も楽しいし、そういうことの方が思い出になったりする。このまま遊び続けるのも悪い気がして、私達はひなちゃんとお別れした後、すぐに片付けを始めた。どうせなら一緒に帰れば良かった。
自転車を走らせると、また行きのように汗が出てくる。夏から逃げることは出来ないようだ。私達は今、ひなちゃんが教えてくれた見晴らしのいい森林公園の一角に向かっている。川からも近く、自転車で行けるらしい。川沿いの道から木と木の間に敷設された道路へと自転車を進める。まるで樹海にでも繋がっているのかと疑うほどの道には、山から湧いてきたのであろう水がコンクリートの隙間から滲み出ている。
空が木に覆われて時間と明るさが一致しない。
本当に着くのか不安になっていると二股に別れた道が現れ、看板が目に入った。
「展望台って書いてある方でいいんだよな?」
マウンテンバイクに乗ったいっちゃんが振り返って尋ねてきた。
「うん。左は県道って書いてあるし」
右側の道路を走り始めると、直ぐに日差しが強くなった。森が開けてきたのだ。
看板から四百メートルほどで道は行き止まりとなり、その先に木で作られた舞台のような物がある。柵の近くには望遠鏡が設置されているからおそらくこれが展望台なのだろう。
「やっと着いたね!」
「結構森の奥なんだな」
嬉しそうな結月に続き松村くんが疲れを口に出した。
「まぁ、とりあえず行ってみようぜ!」
いっちゃんを先頭に静かな舞台へと登壇する。落下防止の柵に歩み寄ると、先程までの木に囲まれた閉塞的な空間とは一変、緑がどこまでも続く大自然。こんなに大きな景色を見ると私が今まで悩んでいたことが急に小さく思えてくる。もしかして緊張なんて初めから私の思い込みだったのかもしれない。胸いっぱい空気を吸い込むと、心が洗われたような気がした。
欲を出せばこの景色を五人で楽しみたかった。気づくと、その事を少し残念に思う気持ちが声に出ていた。
「ひなちゃんもいたら良かったのにね」
「今度は五人で来たら良いじゃん」
「うん、そうだね。絶対来ようよ」
私もいっちゃんのように前向きに物事を考えられるようになりたかった。別に、二度とここに来られないわけでもないのだ。未来は必ず私達の元へやって来る。それなのに、はっきりとした予定が決められていない漠然とした未来に不安を抱いてしまう。
私は最後に際限のない緑を携帯で撮影し、すっかり自転車の近くに移動した皆と合流した。
また先ほど来た道を走る。一番後ろを走っていた私はあることに気づいた。
「こんな所に道あったっけ?」
「結構細いから気付かなかっただけじゃない?」
確かに結月の言う通りかもしれない。しかし、この先に何か普通じゃない物がありそうな気がする。
私がこの道の存在に気づいたのもそれが原因だった。
この道の奥から甘い匂いがするのだ。
森の奥からするはずのないふわふわした匂いの正体を突き止めたくて仕方がなかった。妙な好奇心に駆られた私は自転車のスタンドを立てて、匂いの発生源を確かめるために川遊びで疲れた足を懸命に動かした。
「どこ行くんだよ」
後ろからいっちゃんの声が聞こえてくる。後方に目をやると、三人が走って私を追いかけてきている。私は気にせず走り続けた。何か凄い物がそこにはあるはずだ、と思い夢中で地面を蹴り続けた。
まだ少ししか走っていないのに、川で泳いだせいか疲れがすぐに溜まる。始めは比較的快調に動いていた足が次の一歩を嫌がっている。しかし、確実に匂いは強くなっている。もうすぐその姿が現れるはずだと思った時、前方に森が開けた場所があることを発見した。
「琴音! そろそろ戻った方が良いよ!」
結月が息を切らしながら呼びかけてきた。
「ごめん! もう少しだから!」
本当にあと少しなのだ。先程まで微かな香りが漂っていただけなのに、今では甘いお菓子が鼻の前にあるかのような強く深い香りを感じる。匂いの元を想像出来ないまま、ついに私は開けた場所に足を踏み入れた。
「嘘でしょ……」
私に追いついた結月が、目の前の信じられない光景に唖然としている。私も言葉が出ない。もしかしたらここは夢の中の世界なのかもしれない。私は今夢を見ている。まるで子供が見るような純ファンタジーの夢。
しかし、現実に追いつかない思考の中でも、これが夢でないことくらいは分かった。お菓子で作られた家を前に、私達の混乱が終わりを迎えることはなかった。
それは、私の、お気に入りだったお話に出てくるお菓子の家にそっくりだった。クッキーとかチョコとか、身近なお菓子ばかりで、ただそれらが異常に大きい。私達を包み込む柔らかい香りは、川遊びで疲れた体に食欲を誘う。
「なあ、これ食べれるのかな?」
いっちゃんが結月に尋ねた。
「食べられると思うけど、やめといた方が良いよ」
「お前だったら食えるんじゃないのか」
結月に続いて松村くんがツッコむ。
「俺を何だと思ってるんだよ」
「残飯処理機?」
「言ったなー!」
このコンビはいつ見てても飽きない。ボケ担当のいっちゃんと鋭いツッコミの松村くん。一見、喧嘩しているように見える時もあるけど、お互い冗談で言い合っていることをちゃんと分かっているから、二人の仲が悪くなる事は決して無い。だから、二人の仲は吹奏楽部の中でも有名である。
「ヘンゼルとグレーテルみたいに、お菓子の家の中に入れるのかな?」
私はずっとそれが気になっていた。
「お話のとおりだったら中に魔女がいるんじゃない?」
「それは怖いかも……。でも、中が気になる」
「じゃあ、じゃんけんで負けた人が中覗いてみたら良いじゃん」
いっちゃんがとんでもない事を言い出した。でも、松村くんはツッコまない。もしかして、クールな顔しながら、松村くんも実は中が気になっているのかもしれない。
「じゃあ、じゃんけんするぞー」
先ほどまで目の前の景色が信じられなかったのに、もう皆慣れてきているようだった。これが魔王の城とか地獄への入り口とかだったらすぐに逃げ出しているだろう。でも、私達の目の前には甘そうで可愛い家が建っている。小さい頃夢見たお菓子の家に心が飛び跳ねる。
「じゃんけんポン!」
私は見事一発で負けた。中は見たいけど怖い。怖いと思っているのに憧れの世界を夢見て心が舞い踊る。じゃんけんで負けることを期待していた自分がいたのかもしれない。とにかく私は、早くお菓子の部屋を見たくて他の三人を気にせず、チョコレートでできたドアを押して人間とは無縁だった世界に足を踏み入れた。
ドアを開けるとふわりと甘い風が吹いてくる。真っ青な空には綿飴の雲が浮いていて、プリンの丘が遠くに見える。足元には落雁の花が咲いている。どうやら、私の想像していたお菓子の世界とは違っていて、この世界は和菓子でも彩られているようだ。それより、私は先程お菓子の家の扉を開けたはずだ。しかし、扉の向こうでは小さな部屋でも魔女でもなく、どこまでも広がるお菓子の世界が私を迎え入れてくれた。本当に、意識したわけでもなく私の足は自然とその夢の世界へと動いていた。
「入って大丈夫なの?」
「戻って来たほうがいいって」
結月といっちゃんが心配してくれる。振り向くと、松村くんが信じられないような表情で私の後ろを見ていた。頭の良い松村くんならお菓子の世界なんて想像することもないだろう。心配ないよ、と三人に残して私はおそらく人間で初めてお菓子の世界に足を踏み入れた。
気温とか地面の感じとか、特に私達の住む世界と変わったことはないのだが、とにかく空気が甘い。クッキーの温かい香りが吹き渡り、どこからか漂うチョコの風と調和する。
小さい頃、夢にまで見た幸せな世界。後ろの三人とは違い、私は緩んだ頬で手を大きく広げて幸福の風を胸いっぱい吸い込んだ。
「琴音、早く帰ろうよ」
私は結月に手を引っぱられた。でも、結月は決してお菓子の世界には入らずに、扉を支えにして必死で手と足を伸ばしている。もっとここにいたかったが、幼馴染にここまでされては帰るしかなかった。
帰り道は皆とても静かだった。さっきの短時間で感情が掻き回された。
始めは怖かったが後半は楽しかったし、嬉しかった。だから、今は少し名残惜しい。他の三人は、お菓子の家は平気だったが、お菓子の世界は信じることができなかったのだろう。自転車を漕ぐ皆の表情は堅く、自然とスピードは上がっていった。
明日の授業の予習も済んだので、私は特に何かするわけでもなくベッドの上に転がった。腕に抱え込んだ枕を口に当て、そのままごろんと仰向けになる。目を閉じると、お菓子の世界の風景が鮮明に思い出され、まだあの場所で甘い香りを楽しんでいるような気分になる。ご飯を食べてる時も、お風呂に入っている時も、頭の中はもうひとつの世界のことでいっぱいだった。
ちょうど、家庭科の教科書に桜餅の作り方のページがあったことを思い出した。勉強机から教科書を引っ張り出して、お目当てのページを開いた。お菓子の世界には桜餅もあるのかな、と疑問に思う。私はあの世界の事を何も知らないようなものだ。そうなると、ますます気になってくる。今度行く時は、皆にもお菓子の世界に入ってもらおう。そうすれば、皆が抱く不安もなくなるはずだろう。私は既に小さい頃から今まで潜在的に憧れていたあの世界の虜になっていた。
翌日、部活が終わって結月と帰ろうとしたが、どこにもいなかったので一人で帰ろうと校門を出た時松村くんに呼び止められた。
「吉川、ちょっと話があるんだ」
見ると、結月やいっちゃんまでいる。
「結月、帰ったんじゃなかったの?」
「私もさっき呼び止められて」
三人が松村くんの方を見る。視線が自分に集まったことを確かめた松村くんは話し始めた。
「皆に集まってもらったのは昨日のことをどうするか話し合う為だが、皆まだ誰にも話してないよな?」
うん、と首を縦に振る。
「それで、あの事はこの四人だけの秘密にした方がいいと思うんだ。皆はどう思う?」
「私もそうした方が良いと思ってたんだ。何が起こるか分からないし」
結月が真っ直ぐな意志を持って答える。すぐにいっちゃんも続いた。
「俺も秘密にした方がいいと思うし、もう行かない方が良いと思う」
「吉川はどう思う?」
最後に私の番が回ってきた。本音を言うと、今すぐにでもあの場所に行きたい。四人の秘密にするべきだけど、もう行かないっていうのは嫌だ。でも、他の三人の視線を感じると、そんなこと言えるわけがなかった。もし私がここで自分の意見を突き通したら、確実に言い争いになるし、味方のいない私が負けることは簡単に想像できる。私はこの空気に流されなければならなかった。
「私は……」
迷ってしまう。でも、自分を押し殺さないと。
「私も……秘密にした方がいいと思う」
うん、これでいいんだ。
「じゃあ、話もまとまったし、帰るか」
ボランティア以来、話す機会が増えた私たちは仲良く横に並んで歩いていく。皆、心に抱えた重荷が取れたようで表情は柔らかかった。
「そういえば、夏休みの宿題終わった?」
結月が話題を持ち出すと、いっちゃんの顔が引きつった。
「さては、まだ終わってないんだな」
松村くんが苦笑いで確認すると、返事は予想通りだった。そして、全力の言い訳が始まった。
「夏休みってどうしてこんなにも短いんだろうな。しかも、宿題の量も多すぎるし。もっと遊ばせてくれよ」
「いや、たっぷり遊んだ結果がこれだろ」
「敏男、宿題教えてくれ!」
「俺はそんなに暇じゃないんだ」
たくさんの教材が詰め込まれているのであろう松村くんのリュックが忙しさを物語っていた。私達の家と同じ方向に塾があるらしいので、一緒に帰っているということは、これから塾で勉強するということになる。私達が携帯とかで遊んでいる間、松村くんは机に向かっているのだ。感動までも覚えてしまう。
しかし、松村くんが手伝えない今、いっちゃんはどうするのか。
「じゃあ琴音! 教えてくれ!」
「私そんなに頭良くないから……。結月に頼めば?」
結月が不意を突かれたような表情をする。でも、嫌がっているわけではないようだ。
「えっと、私で良ければ教えてあげるけど」
いっちゃんの顔がぱあっと明るくなる。
「ありがとう!本当助かるよ」
今は、結月といっちゃんが前、私と松村くんが後ろに並んで歩いている。ふと隣を見上げると、満足そうな横顔が見えた。
「どうしたの?松村くん」
「いや、良かったなって思って」
前で楽しそうに歩いている二人にはこの会話が聞こえていないようだった。
「良かったなって?」
「この話はいつかするよ。」
松村くんが小さく微笑みながら答える。分からないことだらけだが、誰かの幸せに関することなのだろう。そう思うと、深く問い詰める必要もなくなり、特に気にならなくなった。
「じゃあ明日とかどう?」
結月がいっちゃんに尋ねる。勉強を教えてあげる上に、予定まで考えてあげるなんて、結月はかなりのお人好しだ。
「おう。でも、どこで?」
「私の家に来ればいいよ」
「マジで?ありがとう」
嬉しそうないっちゃん。その姿を後ろから見ていると、勉強への意欲が感じ取れたような気がした。
今日は部活が遅くまであったが、明日は昼までだから宿題日和といったところだ。しかし、勉強会は意味があるのだろうか。
大抵の場合、途中から机を挟んでのおしゃべり会が始まる。そして、お菓子の袋が机の上に広げられ、勉強道具はその下に隠されて当初の目的を見失ってしまう。
自分のことではないが、少し心配になる。
それに、男の子と女の子二人きりの勉強会なんて……。好きな人ができたら私もそんなことしてみたいな、と思ってみたりした。どんな話をしたのか今度聞いてみよう。
今日の晩ご飯はハンバーグだった。デミグラスソースの味に負けないくらい、想像上のお菓子の甘さが口の中に広がっていた。もう行かないとは言ったものの、それは本音ではないし私の頭からお菓子の事が抜けるはずもなかった。それから、寝るまでずっと他のことを考えられなかった。
私は、森の中を歩いている。お菓子の家に向かって一直線に。ただし今回は自転車に乗っていない。木と木の隙間からその姿を確認した私は何かに引っ張られるかのように走った。変わらない香り。私は夏でも溶けない魔法のチョコの扉を開き、跳び跳ねるような足取りで再びお菓子の世界に足を踏み入れた。もっとこの世界の事を知りたい、そう思ってどんどん奥へ入っていく。
その時、後ろでパタンと音がした。振り返った時には、大きな板チョコが地面に直撃し粉々に割れていた。チョコの扉だった場所には何もない。私は幸せの籠に閉じ込められた不幸な小鳥になってしまった。
元の森に戻れる方法を探す為走り回っても、疲労が溜まるだけで何の解決にもならなかった。動かなくなっていく足と反対に気持ちはどんどん焦ってくる。先程から水を見かけない。もしこのままこの世界に残ることになれば、その先は……。そんなの絶対に嫌だ。まだまだやりたいことがたくさんある。こんな所で誰にも気づかれずに喉の渇きに苦しみながら死んでしまうなんて絶対に嫌だ。でも、思いとは相反して足が重たくて動かない。上がらない足は小さな段差で躓き、私は倒れ込んだまま眠ってしまった。
金属音が部屋に響く。夏の朝日が、カーテンを閉め忘れた私の顔を直接照らしている。目を開けると、深い悪夢から目覚めた私におかえりと天井が言ってくれたように感じた。タオルケット一枚だけだったのに、パジャマは汗で湿っている。
立ち上がり、窓を開けて早朝の空に手を伸ばすと、気持ちの良い日光が私をこの世界へ迎え入れてくれた。
朝は五時に起きるのが私の習慣。すっきりとした頭でこなす宿題はあっという間に終わる。宿題が終わらないって悩んでいる人がいるけど、皆早起きして朝からすればいいのに。そしたら、すぐに終わるよ。私は、どこかの誰かに向けて心の中でそんなことを思った。
それから一時間ほど勉強した後、母に呼ばれたので私は朝ごはんを食べるためにリビングへ向かった。
「宿題は終わった?」
「大丈夫、去年みたいに最終日まで残したりしないから」
一年前の今頃、私はまだ余裕と思って夏休みの宿題を最後の週まで、それも見事に全部残した。どうなったかはご想像の通りで、課題テストの結果も散々だった。
今年こそはちゃんとやるんだ、と心機一転。生活スタイルを朝方に変えた結果、宿題はとっくに終わったし今は二学期から始まる授業の予習なんてしてる。
もしかして私って……。やめておこう。それに勉強以外に部活も頑張らなくては。私は部活の準備をするため、少し急いでご飯を食べた。
今日の午後は何をしようか。結月とは遊べないし……。鞄にタオルや水筒、スコアを詰めながら予定を考える。最近起こったことは、先輩の引退、ボランティア、川遊び。
あ、川遊びの日は部屋の掃除をするって決めてたんだ。
散らかった机の上を見てちょっと憂鬱になったが、このまま放っておけば物の置き場がなくなる。そうなると、やる気さえなくなってしまう。今日の予定も決まったところで私は玄関へ向かった。
吹き抜けの天窓から見える空には入道雲が天高く伸びていた。