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9.アカムギ村昼前(前)

 眩しい太陽の光。広い青空には薄くかすかに(かすみ)がかかっており、太陽の脇には純白で壮大な積乱雲がそびえたっている。

 遠く周囲を縁取る密林(ジャングル)(もや)かかっているが、黒っぽいほど濃い緑だ。

 少女が草原(サバンナ)を走る。荒い息で裸足で走り続けている。

 かろうじて少女と呼べるほど幼い少女の、明褐色の肌は汗だくで、おかっぱの肩近くまで伸びた白銀色の髪は、額に頬に貼り付き、着ている赤いブーゲンビリア柄の膝丈のムームーが汗で脚にまとわりつき、走る邪魔をする。

 暑い、呼吸(いき)が苦しい、喉が痛い。砂利で足の裏が痛く、アサイー椰子(ヤシ)の樹に登るためにサンダルを脱いだことを何度か後悔していた。

 (さび)のように赤い草原(サバンナ)の大地は熱い。

 熱い大気が揺らぐ。水たまりで転びかける、黄色く濁った生温い水たまりの底の、尖った砂利(じゃり)で左の土踏まずに怪我をした。立ち止まり、うつむき、(まぶた)の汗を指先で拭き、大きな天色(シアンブルー)の瞳で、水たまりを睨み、低い丘の向こうに見えてきた村の門を睨む。

 叫ぼうとする。呼び掛けようとする。しかし荒い息は声になっていない。一度瞼を閉じ深呼吸してから、再び走りだす。左足をかばいながら。

 見えてきた二人の門番は、村の中を見ながら話し込んでいる。

 歯を喰いしばってさらに走る。

 やっと村に着いたが、門番達は、まだ話に熱中している。

 喘ぎながら、(ヘルメット)を被った門番長の背中の上衣を掴んで座り込んだ。

 髭面の門番長は、驚いて振り向き、しゃがんで少女の目を見て尋ねた。

「オチビ、どうした?」

 息が苦しくて声が出ない。

 座り込んだままの少女は喘ぎ声を上げながら自分の首からペンダントを引きちぎり、門番長の男の鼻先に突きつけた。

 ペンダントの石の独特な砕けかたを確認した門番長は、門番小屋前に吊っている赤い綱を引き下ろす。綱に引かれ、村を囲む石の壁に並んでいた全ての小箱が開き、小箱の中の黄燐マッチが擦れ発火し爆竹が小箱の時計回りの順番に破裂音を発する。全ての小箱の下の鳴子も鳴り続けた。村中に警戒音が鳴り響く。

「みんなで大門を閉めろ。木戸にはお前とお前の二人が付け! 魔物が来るぞ! マナが切れた」門番長は手下に指示をだす。

「河の北。バオバブの林の東。密林の入口。アサイーの樹の少し南。角兎一匹」少女は荒い息でかろうじて報告した。

 ふらふら歩く少女は、門番小屋近くの自分の背丈ほどある土器の大壺の木の蓋を勝手に開けると、(ひさご)(縦半分に割ったひょうたん)で水を汲んで飲む。左足の裏に水を掛ける。

「バッチャを知らない?」二の腕で口を拭いながら。

 門番小屋の木の扉が開いて、一人の老婆が現れた。「ここであんたを待ってたんだよ。あんたの荷物はこれ、予備のサンダルも入ってるからさっさと履いて、さっさと船に乗りなさい。向こうでの指図は村長がするから。さあ」

 老婆は右膝の下が無く、木の義足を付け、右手に木の杖(身長より少し短く、灰白がかった茶色)を持って、左手に麻の背負い袋を持っている。

 暗褐色の肌、紺碧(コバルトブルー)の瞳、チリチリの白髪を肩まで垂らし、赤いハイビスカス柄のムームーを着て、生ゴムのサンダルを履いている。

「いや! エンゾの家に行く。もうすぐラウラおばちゃんの赤ちゃんが産まれるから、白の産婆さんの手伝いをする。その後赤ちゃんと逃げる。サンダルは履く、ありがと」

「強情な子だね、誰に似たのやら」

「村のみんなは、あたしはバッチャ似だって言ってるよ」

「口が減らないのも、わたし似かね」

 老婆は指を口に入れると、勇ましい曲を短く吹いた。

「バッチャって口笛がヘタだったんだ」

「今のは合図の曲だからわざと変なんだよ。これで仲間が集まる。エンゾの家にはわたしと一緒に行くよ。ピンガ酒(サトウキビの蒸留酒)(老婆の好みで水、氷、砂糖、ライムの入ったカクテルだった)を御馳走さま、失礼するよ」門番に手を降って歩き出した。

 村人たちは爆竹音で、もうすぐ村のシールドや全ての魔術が使えなくなり、魔物が襲来することを理解した。白い漆喰の壁と赤瓦の家が並ぶ、小さな村の狭い中央通りに村人達が飛び出した。荷車に家財を積む者、集まって相談する者たち。

 村人のほとんどは、北キリネの情報を知って既に逃げたのだが、動かしたくない病人や怪我人のいる家族、医療従事者、彼等に食料品等を作る人達、等々まだ数十人は逃げ残っている。出産直前のラウラもだ。

「村長を捜して指示をもらってくれ」門番長は手下に指示した。

 髭の門番長は門番小屋の階段から村の壁を昇り、河の北をしばらく睨む。オチビが魔物の群を誘導していないことに、少しだけ安心した。


 魔物は既に一匹、村に隠れていた。門の近く、草熱(くさいき)れに蒸れた草陰に。

 小さな兎ぐらいの大きさ、赤い目の兎のような姿。ただその体は緑色の昆虫のようなキチン質の殻に覆われ、耳のあるべき場所には、昆虫のような翅が左右二づつ生えていて、翅は音を出さずに震えていた。

『殺す。殺す。人間を殺す。でも今飛び出したら、ただアタイが殺されるだけ。魔物達の足音が聞こえる。誰かに呼ばれた、大勢の魔物がココに来る。アタイが呼ぶはずだったけど、どうでもいい。大勢来たら混じって殺す。殺す。殺す』歯ぎしりが止まらない。

遠くから特別な声が聴こえる『カアチャン怒ってる?』『オイラ達、悪いコ? 』

『違うよ。違うよ。ついしゃべっちゃった。お前たちはみんな良いコ。これは魔王様の呪いのせい。』右前足を舐めて顔を擦った。

『食べられる草をおぼえたよ。まだ卵の殻から出てないから見たことないけど、どれがどんな色で形で味か言えるよ。オイラは良いコだよね?』

『食べちゃいけない草の形と色を言えるよ。オイラも良いコ?』

『一番大切なのは卵の殻から出たら、みんなで体をなめあうことだよね。一番良いコはオイラだ』

『どれも違うよ、いいコはオイラだ。一番大切なのは、卵から出るのをみんなで助け合うことだよね』

『ほんとにみんな、いいコ。いいかい。卵から出たときに、みんな同じ形と色だから、違う形なのがいたら追い出すんだよ。早くそっちに帰りたい。アタイが変な卵が混じっていないか確かめて見つけて、殺したい。殺す。殺す。人間を殺したい。殺す。殺す』


 少女は跳ねるような足取りで老婆についていった「ラウラにあげようと思ったアサイー椰子の実は走るのに邪魔で、捨てちゃった。アサイーの汁を飲んだら、アリーシを産む元気が出ると思ったんだけどな」

「もう名前が決まってたのかい、普通は産まれてひと月ぐらい経ってからだけど」

「あたしが決めたんだ」

「よその子の名前をあんたが勝手に決めちゃダメだろ」

「あたしの妹分になって、次からアリーシがオチビと呼ばれるんだ」

「オチビと呼ばれるのが、そんなに嫌だったかい?」


『「ウむ」? もうすぐ卵をウむ人間がココにいるのかな? 「カアチャン」になろうとがんばっているのかな?  この大きい人間と小さい人間。肌の色も、毛の色も、目の色も、みんな同じ。「バッチャ」と「オチビ」は「カアチャン」と「コ」なのかな? アタイがコ達が大切なように、大きい人間は小さい人間が大切なのかな? アタイがいつのまにかコ達のことを考えているみたいに、大きい人間はいつも小さい人間の事を考えているのかな?』左前足を舐めて顔を擦った。 

『お腹が痛い。人間が殺したい。殺す。殺す。お腹が痛い。もう卵はウんだのに。卵。卵の所、コ達の所に帰りたい。「カアチャン」と「コ」。人間を殺したい。殺す。殺す。お腹が痛い』

参考文献

開高健 『オーパ』

醍醐麻沙夫 『アマゾン河の食物誌』

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