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6.黒森闇夜

 小糠雨(こぬかあめ)が降り止まない。

 じっとりと濡れた黒森は、闇に包まれ、諸処に蛍光性の(きのこ)がほの暗く光る。

 黒森の樹々の、丸まり黒変した葉をまといつかせた枝々の、無明の闇空に向かって伸びる(さま)は、地の底で水を求めてまさぐる、樹の根のようであった。

 のびる枝先は、闇にしがみ付くようで、広げた小枝の先は闇に溶け込もうとしているようだ。

 絶え間ない雨音で満たされた黒森に、遠くから低くしわがれた声がする。

「ジゅんカい」「じゅンかい」「じゅんかイ」「じュんかい」

 遠く樹々の隙間から灯かりが漏れる。

 地響きを伴って近づく灯かりの列は、松明を掲げた大蝦蟇(がま)の行進であった。

 どの大蝦蟇も獣車ほども大きく、異様に大きい頭骨と不自然に脆弱な後足が歪さを感じさせる。

 大蝦蟇達は皆その前足の片方に松明か棍棒を掲げ持っている。

 松明は(やに)が強く、降りかかる雨のしずくがバチバチとはぜる。

 大蝦蟇達は言い難そうに口々に『巡回』と呟き続けながら、残りの三本の足で這っていた。

 二十人前の大皿ほどもある巨大な眼球には何の感情も意志も見受けられない。

 闇の中から順々に現れる大蝦蟇達は、顔を前に向けたまま、『巡回』と呟き、ときおり下瞼で瞬きをし、行進を続け、順々に樹々の隙間に去っていった。


 最後の大蝦蟇が去って、その声も聞こえなくなってしばらくの後の事、とある一本の大きな樹の幹が脈打つように歪み、(うろ)が現れた。

 樹の洞から赤い猿の右手首と青い蜥蜴(トカゲ)の右脚をもった男が這い出した。ボロボロの衣服をまとい、抱木砲と鏡窓の破片を肩から下げ、小振りの短剣(ダガー)(うごめ)く麻袋をベルトにくくり付けている。男は人間の右目を閉じ、顔の左半分を覆う傷跡の中の闇に蒼く光る縦長の瞳孔を凝らして、大蝦蟇が去った方角を見つめ続ける。

 時を計るために左親指を首筋に当て、鼓動を数えた。左腕は人間の腕だった。整った鼻筋と薄い神経質そうな口元。男はマリッシェだ。マリッシェは鼓動を百数え、安心して小さく溜め息をついた。

 次の瞬間、目の前に一頭の大蝦蟇がいた。

 マリッシェの青い鱗の右足が地面を蹴る。

 マリッシェのいた場所を大蝦蟇の伸ばした舌が通り過ぎ、樹の幹にぶつかり、樹の皮がはじける。

 マリッシェの真っ赤な獣毛の生えた右手が遥か頭上に在った樹の枝を掴む。

 すべてはマリッシェの意識の外で行われた。

 事態を認識出来たのは、揺れる樹の枝からぶら下がり、冷たいシャワーのような水滴を浴びたその後だった。

 湿気(しけ)った枝の海綿(スポンジ)のような感触。

「めシ」

 空ろな目の大蝦蟇が上向きながら呟くと、巨大な口を開いた。

 (からだ)全てがその口腔の後ろに隠れ、口腔の肉色の壁の中央で粘った舌が蠢く。

 樹上のマリッシェは既に(ぬめ)る枝の上にまたがり、抱木砲を構えていた。

 撃つ。

 轟音とともに放たれた散弾は大蝦蟇を中心とした地面一帯を穴だらけにした。大蝦蟇は血まみれになった口を閉じて「テき」とつぶやいた。

 砲撃の反動で枝から揺れ落ちかけたマリッシェは、蜥蜴の右足で枝を掴み蝙蝠のように逆さにぶら下がり次弾の早合(はやごう)を詰め、撃つ。

 再びの轟音。

 次弾に選んだ鉄弾は大蝦蟇の頭蓋骨を打ち砕いたが、その反動で掴んでいた枝はへし折られ、墜落したマリッシェは大蝦蟇の死体に叩きつけられた。

 右腕が折れ、折れた尺骨(しゃっこつ)の先が皮膚を割いて飛び出し、マリッシェは泥濘(ぬかる)んだ地面をのたうつ。

 不意(ふい)に、四頭の大蝦蟇が現れた。

 慌てて今度は自分の意思で再び樹の上に飛びあがったマリッシェは、右腕の赤い獣毛が肘にまで広がっていることに気付いていない。先ほどの激痛が骨折の為であることにもそれが完治していることにも気づく余裕がない。

「てキ」

 樹上を見上げた正面の大蝦蟇が舌を伸ばしてマリッシェの胴体を掴む。肋骨が軋み肺の空気が絞り出される。大蝦蟇が引っ張る。

 マリッシェは猿の手と蜥蜴の足で樹の幹を掴み、大蝦蟇の牽引を堪えた。

 抱木砲は大蝦蟇の足元に転がっていた。

 体をよじって左手で泥に滑る短剣を引き抜き、大蝦蟇の舌に爆裂の印形(シジル)を刻み、腰の麻袋を突き刺す。

 麻袋が血を流し、短剣の逆五芒星の紋章が明滅する。

 マリッシェはささやき声で呪文を唱える。

 大蝦蟇が舌をひねり、樹の皮が千切れる。マリッシェはむしり取られた。

 マリッシェが空中で恐慌状態(パニック)になった瞬間、大蝦蟇の舌に(しる)された印形が発光し爆発した。

 舌を失った大蝦蟇は唐突に()き消えた。

 墜落したマリッシェは再び泥の中をのたうち回った。

 大蝦蟇達はマリッシェを遠巻きに囲むと、あるものは棍棒をまたあるものは岩を舌先で掴んだ。

 輪になって泥塗(どろまみ)れのマリッシェを舌で殴る、殴り続ける。マリッシェの手足があらぬ方を向き、呼吸が止まっても殴り続けた。

 マリッシェが血達磨(ちだるま)になった頃、遠くから雄叫(おたけ)びが聞こえた。

 大蝦蟇達の動きが突然止まり、いっせいに同じ方向を向く。

「およビ」「オよび」

 大蝦蟇達が整列する。

「オよビ」「おヨび」

 何も無かったように大蝦蟇達の行進が再開された

 立ち去っていく大蝦蟇の最後の一頭が通りすがりにマリッシェをくわえると、瞼を閉じて呑み込んだ。

 その最後の一頭の歩みが遅い。

 立ち止る。

 口から煙を吐いた。

 瞬時の後、口と目から炎を吹き出し、大蝦蟇の全身が燃え上がった。

「オヨび」「おヨビ」

 他の大蝦蟇達は燃える大蝦蟇を気にかけずに歩き去った。

 再び雨音で満たされた黒森に、炎の燃えさかる音が響いた。


 炎が消えたのはしばらくののちであった。

 生焼けになった大蝦蟇の口が開いた。

 マリッシェが這い出す。

 マリッシェの全身は燃え上がっていた。

 燃え焼け焦げては再生するマリッシェ。その姿は顔の左半分が黒い猫、右手左足が赤毛の猿、左手右足が青い蜥蜴。

 錯乱したマリッシェは声にならない叫びをあげ、泥濘(ぬかるみ)を這った。

 マリッシェの背中と腹では赤い獣毛と青い鱗とが陣取り合戦をするように、表皮を奪い合っている。

 泥土に潜りかけてマリッシェが止まった。炎が消えた。何度も喘ぐ。

 理性を取り戻したマリッシェが自分の両手を見た。慌てて両足、身体を見、顔にふれた。

 座り込んで(うつむ)いたマリッシェの肩が吃逆(しゃっくり)をするように痙攣する。

 笑っているのだ。

 引き付けを起こしたような笑い声をあげた。

「何だこれは。何だこれは。何だこれは」

 地面を叩きながら笑い続けた。

「魔物だ、魔物だ。人間じゃない」

 涙を流しながら笑い続けた。

 息切れを起こして笑いの発作が収まると泣きだした。声を立てずに静かに泣いた。

 霧雨がマリッシェに降り続けた。

 泣きやんでも少しの間、黙ってうずくまったままだった。

「マユラ。僕はもうダメらしい。でも」

 マリッシェは振り返ると、(くすぶ)っている大蝦蟇の死体の口をこじ開けた。

 腹の中に潜り込んで、鏡窓の破片を回収しなければならないのだ。

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