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5.ミクラ市白昼

 キューク神は海豚(イルカ)神である。

 世界を巡航する十六頭のイルカの群れであるキューク神は、曇天のミクラ市に立ち寄っていた。

「あのような犯罪者予備軍ども、無理矢理にでもゲッシュを誓わせて再徴兵致しましょう」中央広場に集まる敗残兵を見下ろしながら、輝くミスリル銀の鎖帷子(チェイン・メイル)(まと)った僧兵が言う。

「そのようなこと、ランル神様の御心に沿うはずもない。また、キューク神様がなんとおっしゃるか」右手首に巻いた金剛石(ダイヤモンド)数珠(ロザリオ)紅絹(もみ)の浄衣の袖で磨きながら僧侶が答えた。

「我が名を呼ぶは、誰そ?」中空に流れる一輪の風船花を追っていたイルカが舞い降りてきて訊ねた。

 神殿の正面、中央広場に通じる階段の上である。

「キューク神様。苦しみに遭う者を救われる方」僧兵は拳を胸に打付け、僧侶は掌を胸に当てて礼拝する。

「また、(いくさ)か?」キューク神の上半身が一瞬かすみ、人型の上半身とイルカ型の下半身を持つ姿になった。

 今日の姿は、肌の色は、闇夜の空の色。髪の色は、晴れた真夏日の真上の空の色。瞳の色は、夜明けの空の、日の出ずるいま少し前の色。そして、岩場に砕けた波の、そのきらめく飛沫の瞬間を連ねたものを幾重にも首から胸に重ねた。長年の経験で、ヒトがこのような姿を敬う事を知っていたのだ。

「昨夜から黒森が急速に広がり出しました。このままでは近隣の村も危険です」と、僧侶。

「先の攻略の失敗は、敵の機動力を見誤った為です。我が軍はそれぞれが鏡窓を持つ複数の小隊に分かれ、撹乱しつつ同時に潜行し、北キリネ村に鏡窓を運ぶ計画でしたが、結集し迅速に稼動する敵に個別撃破されました」とは、僧兵。

「此度は総力を結集して――」

「もうよい。我は戦の(すべ)は知らぬ。ヒトは如何なる神よりも、戦上手の戦好き。戦の術に口出しなど致さぬ。ただ――」

 その時、神殿の鐘が鳴った。


 キューク神はイルカ神である。

「あ、キューク神様や」

「キューク神様や、キューク神様や」路地裏で遊んでいた子供たちが空を行くキューク神を見付け、騒ぎだした。

「あらあら、お嬢ちゃんたち、なにして遊んでんの?」キューク神は地上すれすれまで一気に降りてきて話かけた。

「うちら鞠投げしててん」

「お父ちゃんに買うて貰うてん」

「キューク神様も一緒に鞠投げしよ」子供たちは口々に騒いだ。

「キューク神様は、手ぇと違ごてヒレやで。出来ひんのちゃう?」

「せやかて、神様に出来ひん事って無いんちゃうん?」

「出来るんかな?」「出来ひんのかな?」

「へっへぇん。知らんな~。イルカはみんな、鞠遊びの名人やねんで」得意げに立ち上がってキューク神が答えた。

「遊ぼ。遊ぼ」「鞠遊びの名人やて」

「遊ぶのんに名人ってあんねんな」「遊ぼぅ」

「イルカってなに~?」「遊ぼ。遊ぼ」「なー、イルカってなんやの~?」

 その時、路地裏の鐘が鳴った。


 キューク神はイルカ神である。

 ミクラ市の上空で、キューク神は少し怒っていた。雨雲が追い払っても追い払っても集まってくるのだ。

 ランル神も中央広場に大勢の怪我人がいる今日ぐらい、雨を呼ばなければ良いのに、と思う。ランル神は融通が利かない、と思う。キューク神はミクラ市を見下ろした。人間は奇麗な物を造る、と思う。上空から見下ろすと、ランル神である桜の巨木の周りに環状の神殿が建ち、神殿を包むようにミクラ市が広がり、稜堡(りょうほ)がそのすべてを包んでいる。

 上空から見下ろすミクラ市は精緻に作られた六芒星だった。

 キューク神は呟いた「ヒトデみたいにきれい」

 その時、神殿の鐘が鳴った。


 キューク神はイルカ神である。

 神殿前の中央広場で、黒森の魔物との戦いで傷ついた者達を治癒していた。

「あなたのその腕は他人(ひと)のものですね。大丈夫ですよ、すぐに取って、あなたの腕を生やしてあげますからね」

「いいえ、どうかこのままにしておいておくんなさい。これはうちの亭主の腕なんです」千切れた鎖帷子を着た白銀色の髪の女は片方だけ太い左腕を、かばうように抱きしめた。

「丈夫だけがとりえの愚図(グズ)な男なん……愚図な男だったんですが、ドジ踏んでくたばっちまいました」

「愚図でドジな亭主でしたけど、ドジで甲斐性なしの亭主でしたけど、この先も一緒にいたいんです。娘と亭主のおっかさんが村で待っております。この腕だけでも逢わせてやりたいんです」女は大切そうにチョコレート色の左腕を撫ぜた。

「分かりました、取ったりしませんよ。ではちゃんと繋がっているか、調べさせて下さいね」

 キューク神は女の腕の繋ぎ目を舌先で撫ぜ擦った。「この技は、なんという名の神がなさったのですか?」

「神様じゃございません、マリッシェさんという妖術士ですが、亡くなられました」

「腕が重いでしょ、ちょっと辻褄合わせをしましょうね。でも、これがヒトの技とは見事なものです。そのヒトはどのような人だったのですか」

「とてもいい人でしたけど、荒事には向かない人でした。そうそう、マリッシェさんは人間ではないという噂があったんです。何も食べないし、夜も眠らずに何かをしているって。でも話を聞いてみると、怖くて心配で、眠ろうとしても眠れず、何を食べても吐いてしまうっておっしゃって」

 その時、中央広場の鐘が鳴った。


 キューク神はイルカ神である。

 生きとし生ける物すべてを救わんとする慈悲深い神である。

 上半身を人の姿にして市場を泳いでいたキューク神は、とある店先で気付かぬうちに涙を流していた。

 この世には食物連鎖の掟があり、ヒトは生き物を殺さねば生きていけない事は、承知していた。

 我も、定命者(モータル)であった時は魚を食べていた、と思い返す。

 どうしようも無いのだと思いつつも、死んでいったものたちを思うと、涙が止まらなかった。

 屋台の売り子は(サバ)の塩焼きと玉葱(タマネギ)麺麭(パン)に挟みながら、店先で涙を流す人魚神と、遠巻きする通行人達を前に気まずい思いをしていた。

 その時、市場の鐘が鳴った。


 キューク神はイルカ神である。

 神殿前の中央広場では、北キリネでの魔物との戦いで傷ついた兵士達が治癒を受けていた。

 彼らの間を僧侶や尼僧、治癒魔術の心得のある一般市民達が忙しく治癒して廻り、その傍らには治癒者の指示を受けて霊薬(エリクサー)を生成している学生達が、メモを取りつつ作業している。

「キリタキ村には金犬亭ちゅう店があってな、わしはそこでは無料(ロハ)で飲めんね」冷めた肉入りパイを白鑞(ピューター)酒杯(ゴブレット)に入った水割り葡萄酒で喉に流し込みながら、ハルが自慢げに話す。

情婦(いろ)でもいるのか」顔に蛇の刺青のある男が、干乾びた乾酪(チーズ)の塊にてこずりながら訊ねた。

 ハルの周りには、人相の悪い男達が集まり、ざわめきの中、飲み食いしながらの怪しい相談事が続く。

「なんでもわしは、店主のロンゴじいさんの息子に似てるそうでな――」

 近くで、水割り葡萄酒に酔いつぶれた男がだみ声で喚いた。

「ちょっと頼ってみせたら10ぐらいは工面して貰えるはずや――」

 生き残れた嬉しさにお喋りが止まらない女のはしゃぐ声が響く。

「安うて量が多いんだけが取り柄の一膳飯屋やけど、酒は美味い。この店主が大酒飲みでヨイヨイになりかけの――」

 治療の順番を待っている僧兵が、痛みで泣き喚き始めたる。

「えぇか、話を合わしてや、わしは一山当てた交易商、お前は船主、お前さんは隊商の――」

「あ~。何か悪巧みをしてませんか?」キューク神が上から覗き込んだ。

「とんでもない事でございます。ただ友達を驚かせて喜ばせようという相談でございます」ハルが白々しい顔で答える。

 キューク神は、ハルの瞳を覗き込んだ。「あら? 嘘なのに嘘じゃないわ。あなたって、ややこしいヒトね」

 その時、中央広場の鐘が鳴った。


 鐘の音は大きくなり小さくなり、高くなり低くなり、あたりに響き、言葉になった。

「神殿は勇気あるものの志願を求める」

「誰が志願なんぞするかい。せっかく助かったこの命、大事に使えば一生使える」ハルは茶々を入れる

「北キリネ村を救うのだ」

「せやから、あかなんだんやて」

「私語は禁止よ」とキューク神が叱る。

「この勲功は時代を越えて、語り継がれるであろう」

「俺は、酒場で語り継ぐ役をさせてもらうぜ」と頬に傷のある男。

「北キリネ村を救い、キリタキ村やアカムギ村の救い主となるのだ」

「救い主だってよ。俺達を救って欲しいぜ」「とくに博打(ばくち)の借金からな」「ちげぇねぇや」

「ちょっと静かにせぇや。今、キリタキ村って言うてへんかったか?」と周りを見回しながらハルが喚く。

「この進攻を成功させないと、キリタキ村の人やアカムギ村の人には逃げ出す時間が足りないって言ってたわ」演説を認識していたキューク神が説明する。

「このあたりにはもう怪我人はいないわよね? じゃ、もう行くわよ。悪い事しちゃだめよ」キューク神は真っ直ぐ中空に浮かぶと、近くの人込みに飛び込んでいった。

「キリタキ村はあかん。キリタキ村はあかんねん」ハルは顔をごしごし擦りながらうつむいた。

「キリタキ村てぇと、さっきの話のロンゴじいさんとかいうヨイヨイの」

「誰がヨイヨイじゃボケェ! じいさんの悪口はわしが許さんぞ」

「ヨイヨイっつうたのは、おめえじゃんかよう」

「とにかくキリタキ村はあかんねん。えぇい、くそぅ。しゃあないな。すまん、志願してくるわ」ハルは荷物の入ったずた袋を肩に担げた。

「勇者よ来たれ、こころざしある者よ来たれ」

「お前ぇが勇者ってガラかよぅ」

「勇者なんかと、ちゃうわい。せやけど、しゃぁないやないけぃ。じいさんはわしのことを息子と呼んでん。息子やったら……しゃあないやないけ」ハルは人込みをかき分けて神殿に向かった。

 丸くなって眠っている者を跨ぎ越え、いじきたなく食べ物を物色する者を押しのける。

 神殿正門前では、ヴァーリが白桃にかぶりつきながら、ぼんやりと正門を見つめていた。

「よぉ、ヴァーリ。お前の逃げた嫁さん、アカムギ村に住んでんの違ごたっけ。どや、付き合わんか?」

「あぁ。俺ぁあいつにゃ苦労をさせたからな。おまけに、あいついまハラボテでよう」ヴァーリは白桃を見ながらぼんやりと答えた後、口元を手の甲で拭うと苦い顔で笑ってみせる。「嫁が逃げたとか大声で言うんじゃねぇよ。お前ぇも志願すんのか。そうか、キリタキ村も危ねぇんだってな」

「嫁さんが逃げたん、二年前やんなぁ?」

「新しい男がよ、博打も打たねえ酒も飲ねえ働き者なんだそうだ。ま、男っぷりは俺にゃあ負けるそうだがな」

「そやろ、そやろ」

「じゃ、いくか」

「しゃぁないなぁ」

「しゃぁねぇさ」

参考文献

岩代俊明 『みえるひと』

CM 松谷佛具店

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