4.北キリネ村未明
神殿の中庭。薄い靄が大きく渦を巻いている。
真っ二つに割れてた巨大な黒大理石の円盤が、片方は中庭の敷石の上に横たわり、もう片方はその隣で神殿の天守への階段にもたれ掛っている。
中庭の石盤の上では、赤い衣の娘達が竹と紙でできた提灯や風車の入った硝子瓶を手に、座り込みあるいは這いくつばっている。
やはり赤い衣を着た、背の低いがっしりとした体格の中年女性が天守からの階段を駆け降り、その中のひとりの背の高い娘に話し掛けた。
「マユラ様、おはようございます」
「え? もう朝?」
マユラは眼鏡をかけ直すと眉を寄せて、空を見上げた。厚い雲に覆われた陰鬱な夜明けだ。湿気た風が黒森から腐った水の臭いを運んでくる。
「あ~。昨日の夜こそお風呂に入って、ベッドで眠るつもりだったんだけどな~」と、提灯の灯を消しながらマユラ。
「コキヒさん、ソヒさん」マユラは石盤の上に座り込んでいる娘達を呼び、紙の束を手渡す。「私はここまで調べ終わっていて、会議が終わったらこのあたりを調べたいから、よろしくね」マユラは石盤から勢い良く飛び降りた。
「シオンさん、今朝の会議前の打ち合わせは天守の大広間よね?」
二人は天守への階段へ向かった。
「少しはお休みにならないと……」
「ひと区切りついたらお昼寝するから大丈夫よ。会議の議題を教えて」手早く三つ編みを解いて、編み直しながらマユラ。
「神殿側からの議題は、一、残り少ない食料に付いて。二、残り少ない魔道具、銃弾に付いて。以上二点です。村側からの議題は情報が入手出来ませんでした」シオンは手元の帳面を繰りつつ答える。
「村側の議題というのは、きっといつものお父様の難癖ね」
「マユラ様!」
「食料がもう無いの? 燕麦があるでしょ?」
「あれは『カケドリ』に売るのでは?」
「シオンさんのところでは交易用なの? 私なんて燕麦の粥を食べて育ったようなものなのよ。会議までに燕麦のだいたいの在庫を調べといてね。水は……『ツチグモ』達がいくら使っても、雨水が溜まってるから大丈夫ね」あごの先をつまみながら幕壁を見るマユラ。幕壁では『ツチグモ』達が四足歩行蒸気機関を使って補修工事をしている。
「魔道具は、家庭用の魔道具を戦争用に使えないか調べてもらっている最中なんだけど、たいしたことは出来そうにないわ。銃弾はね、誰かを屋根に登らせましょう。神殿の屋根は銀で葺いてあるの。ううん、葺いた時は鉛だったんだけど私が一晩かけて銀に変成したのよ、鉛より銀の方が魔物には効き目があるから。あぁ、鏡門があったときはいろいろと楽だったわね。銀は溶かして固めて銃弾や砲弾にするか、溶かしたままで幕壁から魔物に浴びせ掛けるかしましょう。火薬だけはまだまだあるわね、キリサキ海岸の開拓用に用意していたのが」
「銀の屋根瓦の工夫も、マリッシェ様の御教授ですの?」シオン、ほほ笑みながら。
「そう、とっても心配性な人だからいろいろ教えてくれたわ。あの人が追放される最後の夜になんとか二人っきりになれたのに、あの人ったら、篭城戦術と要塞の設計に付いての講義を始めたのよ。野暮な人よね。私は絶対無駄になると思ったけど、あの人があんまり真剣だったから朝までつきあったの」マユラは先に立って階段を上りながら天守を見上げ、神殿を囲む幕壁を見回した。
「すてきなお話ですわ。そして、そのかたの心配通りになってしまったのですわね……。そして、そのかたが助けに来ると信じていらっしゃるんですのよね」シオンは夢見る乙女の瞳になって訊ねた。
マユラは立ち止まる。「来ないわよ。あの人は意気地無しだから」
「ひどいおっしゃりようですわ」少し傷ついた面持ちでマユラの顔を見上げたシオンは、遠くの空を見つめるマユラの表情に気付き、穏やかに微笑んだ。
「会議の前にその御髪をどうにか致しますね」