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物語のレストラン~短編集~

識別番号「YR3981のF13」が「ルイシア」になるまで

作者: 桜 夏姫

 ミントアッシュの波打つ髪を無造作に広げ、琥珀色の瞳に世界への拒絶の色を映した少女は、冷たい鉄格子のなかに閉じ込められていた。骨が浮き出るほど痩せこけた体に、さびた鉄の錠がつけられている。


 少女は、売られたのだ。両親が死んで、叔母夫婦に引き取られた少女は、すぐに奴隷商に売られた。いつからか、少女は心を氷のいばらで覆うことで自分を守るようになった。


 時々ネズミが顔を見せるその牢獄の中、少女は買い手がつくまで閉じ込められる。そんな悪魔が笑いかけてきそうな牢獄の中にその日、光が一筋差し込んだ。




「それでは、どうかご内密にお願いしますね」


「わかっておりますよ。こちらもこういう商売なもので身の程はわきまえております」



 奴隷商人と聞いたことのない声の主の話し声、それから鍵束が揺れる音の後、ギィーと立て付きの悪い耳障りな音を立て扉が開いた。




「どうですか。ここ商品は、10代の娘だけを集めた部屋です。お気に召すものはございましょうか」



 手をすり合わせ媚を売る奴隷商人に、促されるように中に入ってきたのは、皺のないシャツの上に上等な布地で作られた衣服を身にまとった青年だった。


 青年は、部屋の中に入ると衛生環境の悪さに、若干形の良い眉をひそめながら商品を見定めていった。

 この薄汚い室内には、10代から20代後半の女の商品が並べられていた。栗色の髪の出るところが出た体型の女、赤みが買った長い黄金色の幼さの残る女、青白い肌に珍しい黒目黒髪の女、アメジストのような瞳に怪しい雰囲気を醸し出す女、レッドブラウンの髪の短い女……。だが、そのどれもが青年が探している外見に該当しなかった。


 そして青年が、ミントアッシュの波打つ髪と琥珀色アンバーの瞳を持つ少女の目の前までやってきた。青年の灰色の瞳が大きく見開かれた。



「ルイっ!なんとまぁ……まるで、生き写しのようではないのですか。こんなことが起こるなんて!」



 感嘆の声が、青年の口から出たと少女が理解するまでしばしの時間がかかった。


 少女には、なぜ青年が自分を凝視しているのかが、わからなかった。けれども、青年が少女越しに誰かの姿を透視しているように感じた。



「やはり、この商品が気に入りましたか?えぇ、この商品は確か、田舎の商人の娘で叔母夫婦に売られたものだったと思います。まぁ、この国ではよくある話です。あぁ、もちろんこの部屋の商品はすべて処女ですから、安心してください」



 奴隷商人が、上客でありそうなこの青年がもっと少女を見ることができるように気を利かせたのか牢屋の鍵を開ける。


 せっかく鉄格子が開けられたのに、重たい鎖にからめとられ、自由の利かない体を少女は、歯がゆく思った。青年は、高そうな服が汚れることを厭わずに、少女の目の前で膝をつく。


 大きくてあたたかな手のひらが、少女の頭を優しくなでる。



 人の温かさを感じることなんて久しくなかった、少女はそのあたたかさに脅えた。


 せっかく、この寂しく救いのない世界で、身に着けた生きるすべを失ってしまいそうに感じた。青年の手を商品である分際ではねのけることもできずに、ただされるままになるしかなかった。


「お嬢さん、名前を教えていただけませんか」


 青年は少女がおびえていることに気が付き、やさしく話しかけながら、ポケットから真っ白い絹のハンカチを取り出し、少女の薄汚れた顔を拭く。




「YR3981のF13です」




 少女は、奴隷になった時、自分に与えられた識別番号を機械的に口にする。しばらく声を出していなかったせいかその声はか細くそして、かすれていた。



「識別番号ではなく、君の名前だ」



 少女は、もう自分の名前が思い出せないことに気が付いた。両親がやさしく自愛の満ちた声で読んでくれた大事な名前のはずなのに、頭の中に靄がかかり、思い出せなかった。



「申し訳ございません、覚えておりません」



「そうなのか。商人、この娘の名前は記録に残されているかね?」



 青年の言葉に、奴隷商人は慌てて書類を確認する。


 年齢や生まれた場所、取引した人物についての情報が書かれたその分厚いノートの中から、YR3981のF13と識別コードを付けられた少女についての記述を見つける。



「名前の欄は、空欄ですね。記録には残っていませんね。そもそも、買い手の人たちは名前など気にしませんからね」



 商品を買うものたちにとって、彼女たちはあくまで商品である。人間ではないのだ。


 ゆえに、商品の名前など気にもしない。ただの道具に過ぎない。売る方は、商品の用途など気にしないし、買う方もわざわざそれを伝えるようなことはしない。



「……っ。顔立ちが瓜二つなのに、これほど境遇が違うとは……しかし、この場合好都合と言えばそうなのかもしれませんね。商人、この娘はいくらです?」



「もともと、田舎の娘ですからね、ざっと計算してこんなものでしょうか」



 奴隷商人は、相手が気前のよさそうな客だと判断したのか法外な値段を突き出す。奴隷商人が出した計算結果を、目にした青年が、文句を言うかと思った少女は、青年が素直に懐から金貨の入った袋を取り出し手渡したのを目にして驚いた。


 袋の中身を確認する商人の表情がわずかにほころんだところから察するに、提示した金額以上のものが入っていたのだろう。部屋に入ってくるときの口ぶりからして、多分それは口止め料なのだろうと少女は見当をつける。少女は、青年が奴隷商人に渡した袋の中身が自分の値段であることに気が付いていた。もっと安価で、ロクでもない人間に買われると思っていた少女は、自分の価値がその金貨の袋の中身と同等だと判断されても、すこしほんの少しだけうれしかった。久しく感じていなかった感情。


 見た目に反してひどい買い手かもしれないけれど、あの手の温かさがそう悪くしないといってくれているように思えるのだ。



「たしかに、受け取りましたよ。さて、この商品の拘束はどういたしましょうか?逃亡防止用にしますか?それとも、主人の命令には絶対服従せざる得ないように電撃の走る首輪でも用意いたしましょうか?」



 奴隷商人は、青年が静かに怒りをあらわにしてにらんでいることに気が付きよく回る口をいったん閉じる。



「拘束具はいらない。これの使い道には不要のものですからね。この娘も馬鹿ではないのだから、ここに逆戻りするか、娼婦になるか、路上で飢えて死ぬかの選択肢しか残されていないことくらいわかるはずですよ。それに、逃がしたりなんてしませんよ。これほど、そっくりな人にそうそう出会えるはずがない」


「……」



 奴隷商人から、鍵を受け取った青年は、少女の拘束具を丁寧に一つ一つ外していく。



「私の名前は、イグロークです。今日から、貴女の名前は、ルイシアですよ。復唱してみてください」


「ルイシア、ルイシア。私は、今日からルイシア。主様は、イグローク様」



 これが、今日からの名前。ヨウデッシュ神話に出てくる戦女神の名前。


「主様も、様付けもやめてほしいです。今日から、私たちは家族になるのですからね。イグローク、あるいは、兄を示す単語にしてください」


「か、家族!恐れ多いです。あ、えっと、その命令ですか?」



 青年の口から出た単語に驚きながらも、自分に逆らう権利がないことをエイシアは、あわてて思い出した。


 名前をつけてもらったことで思わず舞い上がってしまった自分が恥ずかしかった。それに、お仕置きされるのではないかという身にしみついた恐怖からぎゅっと体が固くなる。



「いいえ、お願いです。聞いてもらえますか?ルイシア」


「はい。イグロークお兄様」




 だから、命令ではなくお願いだとイグロークが告られた時、ルイシアは、夢の中にいるような気分を味わった。



 これでいいのでしょうかと、目で訴えるとルイシアの頭をなでながらイグロークは、「よろしい」と満足げに答えた。



 少女は、青年に手を引かれながら、外へ出た。思わず眩しさに目を閉じる。


 イグロークに促されて目を見開いたルイシアの瞳に映るのはどこまでも無限に広がるような青い空だった。


 少女―――ルイシアは、不安と恐怖を抱えながら暖かな手だけを頼りに、日の下を歩き出した。






授業の課題作品です。テーマは、「三人の人間関係を描く」です。書いていて、こういうストーリーありなのかなぁ?って思うので、感想をいただけると勉強になります。 評価していただけると、作者が飛び跳ねます(*^▽^*)

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― 新着の感想 ―
[一言] 投稿、お疲れ様です。 買う者、売る者、そして買われる者、と言う3者の姿が非常に良くわかる構図だったと思います。 一番哀しいのは、買われる少女が金貨の袋を見て喜びの感情を抱いたことでしょうか…
[良い点] 奴隷市場で一人の青年が一人の少女を「救う」までの描写が丁寧な印象を受けました。 一方で文章そのものもすっきりとしていて読みやすかったのも個人的に凄い好きです。 [気になる点] 個人的な嗜好…
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