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消えた靴

作者: ざま菓子

この小説は所詮私の空想です

実在する人物、建物、会社、その他あらゆる概念と一切関係がありません。


10月、空気は十分に冷え、冬の訪れをしつこい程に知らせている。

 とある製薬会社の経理係のOL、高崎(たかさき)由利(ゆり)は、今まさしく仕事を終えるところだった。机の上を整理し、仕事後のコーヒーを全て飲み干したところなのだ。

「あ、もうこんな時間だったか・・・。」

 由利は時計に目をやった、時計の短針は9と10の間を指している、会社の通常業務時間は朝9時から夜8時、つまり由利はおおよそ1時間半残業したのだ。

 由利は大きくため息をついた後、周囲には誰もいない事、音といえば自分の呼吸する音と、乾いた空気を潤し続けている加湿器の音くらいしか聞こえない事、静寂という言葉がこの場にぴったりだという事を改めて確かめた。

 (かばん)を持って加湿器の電源を切り、オフィスにわずかに灯っていた蛍光灯を消した、そして出口のドアノブに手をかけた時、光を失った空間から、女性の声が由利の頭に響いた。


「セイジャクノヨルニハナニカアル……ソウ……コンナヨルニハ……。」

 

由利は一瞬でも自分が震えたことに苦笑した、今の声は自分の声じゃないか、自分が中学生ぐらいのころよく言っていた言葉だった。

 ドアを閉め、フロントを通り、家へと向かった、自宅と会社は大した距離がなく、徒歩30分という短さだったので、よく周りから羨ましがられているのだ。

 きれいに舗装(ほそう)された歩道を通り、商店街を抜けようとしたときだった、不意に右足のかかとを違和感が襲った……、思い切りひねったのだ、危ういところで転倒だけは避けられたが、ひねったにしては右足首はなんともない、だが、その代わりに由利は到底信じられないものを見てしまった……。4日前に買ったハイヒールのかかとが折れたのだ。

 人の邪魔になるわけにもいかないので、由利はカバンと自分の体を端へと寄せた後、折れたハイヒールを観察した。

「まいったなぁ……どうしよう、買ったばかりなのに……。」

 その折れ方はまるでこれ以上歩くのを頑なに拒んでいるかのように急角度で折れていて、おまけに切り口は美しいとも言えるほど平らだった……。

 由利は壁に寄りかかって夜空を見上げる、汚れた大気の上にある夜空は、月とわずかな星の光しか地球に届くことを許さない、由利はため息を一つついて

「しかたがない……途中で靴を買わなきゃ……。」

 そうつぶやいて視線を正面に戻すと、突然視界が闇に閉ざされた……。

 停電……?そんな馬鹿な……。由利が二度、三度まばたきをすると、自分の前に老人がいるということで暗闇の問題が解決した。老人はいかにも貧乏くさい、古すぎるジーンズとシャツにチョッキ、そして穴の開いた麦わら帽子を深くかぶり、何を入れているのやら、でかいリュックサックを背負っている……

そのリュックのせいなのか、背中と腰がかなり曲がっている……。

 いや、今の由利にとって外見などは今関係なかった、由利がこの老人を見て最初に不可解だと思ったのは……気配だった。この老人は気配どころか、息づかい、足音、存在感、それら全てを沈黙させ、由利の前に現れた。しかし、それは変なのだ。この老人は木製のゲタを履いている、街の中とはいえ、音をたてずにこんなアスファルトを歩くなんて……もちろん細心の注意を払えば不可能ではなかろうが、時間もかかる、由利は一分以上上を向いていたわけではない……。

 老人は握りこぶしが一つ入るか入らないかという距離まで顔を近づけ、外見のそれに合った、低くしわがれた声で由利に聞いた。

「靴、いらんかね?」

「え……?」

 由利はしばらく困惑したが、自分の足もとに転がっている折れたハイヒールのことを言っているんだと気づいた、しかし、どこからともなく現れて第一声がそれではさすがに拍子抜けするというか、ひ(・)いてしまう……。何か返さねば由利は言葉を探すが、どうもちゃんとした答えが出ない。老人がさらに聞いた。

「それじゃ歩けないだろう、これを持っていきな。」

 そう言って老人は由利の前に右手を伸ばした、その右手の指には、いつからそこにあったやら、自分の履いていた靴そっくりの、青いハイヒールがかかっていた。

 いったい何者なんだろう……この老人は、ハイヒールが急に折れた矢先に現れて……これを持って行け……?何もかもがいきなり過ぎる、できることなら断りたい……しかしこの近くに靴屋などないのだ……。やっぱり靴をもらうことにしようと思って口を開こうとしたその時だった。

「あの……。」

「靴が必要だな、置いていくよ。」

 その言葉で由利はさらに恐怖を味わった、この老人は……私が靴をもらうことが分かっていた……!?そんな……。驚く由利をよそに、老人は自分の足元に靴を置き、のそのそと音をたてて人ごみの中に紛れていった由利は何も言い返すことができずに、その靴で家に帰ることになったのだ……。

 靴の履き心地に非はなく、それ以降は何も起こることなく無事に帰宅できた。由利はスーツのまま、ソファーに身をゆだねる。そして今日という一日をもう一度……回想する、……由利の時間は加速を止めなかったが、現実には5分と経っていなかった。

「そうだ……鍵をかけないと……。」

由利はソファーから起き上がり、玄関へ向かう、そして、シリンダー錠の鍵のつまみをひねった……。軽い音をたてて鍵がかかる、由利は視線をつまみから(くさり)のチェーンへと移し、それをじっと見つめた……気がつくと、由利は無意識のうちにチェーンを下ろしていた…………。


 翌日


ケータイがタイマーの時間に従い、やかましい機械音を鳴らしている。その傍らにあるベッドの上には大きな羽毛団子が堂々と居座ってもぞもぞと身を揺さぶっている、ケータイのうるささに屈したのか、団子の中から手が伸び、ケータイをつかんで操作し始めた、まるで見えているかのように機械音を消してみせた。

 ベッドに居座っていたのは団子ではなく、大きく丸まった掛布団、それの中にいたのはこの家―といってもマンションの一室だが―に住む主、由利だ。

 由利は寝起きがいいほうではない、特に昨夜は相当疲れていて、シャワーを手早く浴びた後すぐに寝てしまったくらいだ。

 団子……もとい掛布団から抜け出し、冷たい空気に晒されながら、由利は大きく伸びをしながら起き上がり、ぼんやりした頭のまま朝食をとりに台所へ向かった、時計が6時半を指しているのを見て由利は少し安堵したが、交通機関、特に電車の朝のダイヤは全くあてにならない、由利の体は頭の先から手足の先までを素早く、なおかつ正確に動かし始める、歯磨きから化粧、服装などといった身だしなみを数分という速さで終わらせ、仕事(しごと)(かばん)をつかみあげた、あとは靴を履いて玄関を出るだけ……!

 そこで……由利の足が止まった……いや、体全体が止まったまま動かない……由利の血の気が引いてゆく……由利の視線は足元へ向いていた……そこには昨日見知らぬ老人からもらった青いハイヒールが1足ある……はずなのだ…………。

 しかしそこには……青いハイヒールが片方……消えていた…….

 由利はあたりを見渡す、もう片方が転がっている様子がない、いや、転がっているはずがないのだ、由利は昨日きちんと両方とも揃えたはずなのだから……じゃあ何故……もう片方が消えている……?

 誰かが盗んだ……?いや、それもない、チェーンが下りたままだ……、壊された跡はないし、昨夜はちゃんとチェーンを下ろした、例えチェーンの隙間から腕を入れても、靴のあるところまでは届かないだろう……。

 だとしたら……ますますおかしいことになる……昨日は揃えてあった靴が、翌朝消えている……靴は一体どこに消えた……?

 由利ははっと我に返り、腕時計を見やった、途方に暮れているうち15分近くもロスしてしまった、……仕方がない、今日は別の靴で行くしかない……由利は棚から革靴を取出し、手早く履いてチェーンと鍵を外して外に出た、由利は8mほど小走りしたが、鍵をかけ忘れていたことに気がついた、いけないいけない……靴が一つなくなったからって焦り過ぎだ……落ち着こう……。鍵をかけ、由利は今度こそ駅に向かって歩き出した……。



朝の電車……これほど都会を思わせるものはない、駅のホームでさえ混み合っているのだ、事故防止用の黄色いラインもこれでは役に立たない。

「朝の電車には人身事故が絶えないわけだ……。」

由利は柱に寄りかかり、ため息交じりに呟くと、ふと向かいのホームに目をやった。そして、目にした。

 誰かいる…………朝のホームに人がいるのは当然のことだが、そこにいたのは明らかに通勤の人間ではなかった……。女性だ、顔はうつむいているので見えないが、髪の毛はきれいに手入れがなされている黒い長髪で、足首まである長く黒いワンピースを着ている、ここまでならまだ良い、しかし問題はその下だ、…………靴を履いていないのだ……。

 ここまで見て由利は初めて恐怖を感じる……考えてみれば、この女性はさっきから全く動いていない……、しかも……真正面でこちらを向いている………………!?顔はうつむいたままだが、その体ははっきりと由利のほうへ向けられていた…………。そして……由利の前を通過した列車と共に、由利の前から消えた……。

 そのあとすぐに来た電車に乗り込み、運よくドア側に留まることができた。ドアが閉まり、電車が発車した……。

 その後は、何も起こることはなかった、何事もなく会社に入り、何事もなく仕事をし、何事もなく弁当を食べる……はずだった。

 由利は会社の同僚を集め、ラウンジに行き、作ってきた弁当に箸をつけようと思ったその時だった……。ラウンジに設置されたテレビから、聞き捨てできないニュースが流れたのだ……。

『……というわけでした。 さて、次のニュースです。12日発生した女学生ひき逃げ事件で、犯人が自首しました………………では、それを交えて事件をもう一度見ていきましょう。

 事件は○△市の住宅街で、夜2時半ごろ発生しました、学校の帰りとみられる女学生が通りがかりの車に衝突、色田さんの体は約15m程にわたって飛ばされました、直接的な死因は頭部強打でほぼ即死だったと鑑識の調べによりわかりました、衣服の一部はなくなっていたそうです。』

 由利は箸を置くのも忘れてテレビに見入っていた、同僚が声をかけてくれたことで我に返ったが、……弁当を食べ終わった後もそのニュースが頭から離れることはなく、勤務時間が終わってもその疑念は消えなかった…………。

 同僚に親がベテラン刑事をやっているというのを聞いた由利は・・・・・・この被害者の名前を聞いてしまった・・・・・・。帰ってきた答えは。

「死んじゃった子はね、色田桃子しきたとうこっていうんだって。」


 商店街の入り口を通っているところで、由利はもう一度整理して、仮定した。「もしも、今自分に起こっていることが全てこの霊の仕業だとしたら……?」

 今朝駅のホームに立っていた女性、実際では女学生だということだが、確かに今思えばそう見えなくもない。それに、裸足でいたのにもかかわらず、周りの人間が不審がらないはずもない……、つまり、あれは由利にしか見えていなかったのだ。そして、なくなっていたという衣服の一部……あれは恐らく…………靴なのだろう、なくなっている以上、由利にはどんな靴かはわからない。だが、霊の仕業だと判断せざる出来事はあと一つ残っている。

 あの靴のことだ、……靴の片方がなくなっていた……、なくなる前の日の晩はちゃんとあった、そしてそれが朝には……なくなっていた、しかもその間、ドアにはいつもの鍵に加えて、チェーンまでかかっていたのだ…………。人間にはできないだろうが、霊にはできる…………!!

ここで由利は我に返った、いや、いくらなんでも考えが飛躍しすぎだ……、由利はそれから家に帰るまで、何も考えないことにした。



 その夜、由利は突然目を覚ました、時計は……まだ11時を回ったところだというのに……、由利は布団から起き出し、お茶を入れるつもりで台所へ向かった。

 真っ暗なリビング……由利以外誰も存在しない。今夜もドアにチェーンをかけておいた、今夜こそ……何も侵入しないだろう……、そう思い直して、由利が部屋に戻ろうとした時だった……。


…………ぺた……

……ぺた……………………ぺた………………



 由利は体が飛び上がるのを必死で抑えた、音自体はかなり小さい…………恐らく廊下からだろう…………だが今は深夜、雑音が一切かき消されたこの空間では、そんな微か(かす)な音でさえ耳にしっかり届いてしまう……。


………………ぺた………………ぺた…………ぺた……

……ぺた…………ぺた……ぺた…………ぺた……………………


 音は不規則だが、確実に近づいてきている…………わかる……、由利は直感した……この音は裸足で歩いている音だ……!それも自分のところへ近づいてくる……!!

 由利は部屋へ戻ることをしなかった………戻ってしまったら……その布団をはがされて、金縛りにでもなってしまって、幽霊と対峙したまま一夜を過ごすことになってしまいそうだから…………、だから由利は……自分から…………玄関のドアの前に、立つ。


…ぺた………ぺた………ぺた………ぺた……ぺた………ぺた……

……ぺた…ぺた………ぺた……ぺた……ぺた…………ぺた…………ぺた……


 足音は不規則に、そして段々と…………由利のいる部屋へ、近づいてゆく……。


………ぺた……ぺた……………………ぺた………………ぺた………

……………ぺた……………ぺた………ぺた…………………ぺた……


………………ぺた……ぺた………ぺた……………………………

…………………………………………………………


 足音が……止まった………、もう、すぐ近くにいる……、自分と足音の間にドアという遮蔽物を介して…………由利と足音は対峙する……。由利はこのまま何もありませんようにと心で祈りながら、ドアを見つめた………………。

 お願い…………このまま帰って…………!何もしないで…………!!



だが、幽霊にその祈りは届かなかった……………………





 ガチャン!!! 急に摘みの鍵が外された……、…………由利は、ドアが開かれるのを抑えようと、ドアノブに手をかけた……。

 しかし、それが引き金となった、手をかけた瞬間、ドアが開かれ、由利は肩ごと引っ張られた…………そしてドアの隙間から、足音の正体を一瞬だけ……見てしまう。由利がドアを閉めようとするが、なぜかドアが岩のように動かない…………。

「な…………何これ……?なんで……!?」

 由利は何か冷たいものが、左足首を包み込んだことに気付いた、背筋が凍りつき、恐る恐る視線を下へ向けた途端…………由利は悲鳴を上げた。

 血まみれの手が、ドアの隙間から伸びて、由利の左足首をつかんでいたのだ…………。


そして、次の瞬間……。



由利は暗闇に足を飲み込まれた…………。

「痛…………!!!」

膝のところで引っかかっているのに…………幽霊は無理やり外側に引きずり込もうとする…………、そんな時、由利の耳に声が届いた…………。

「靴………………新し……い…………靴…………!!!!」

 由利の体は…………急に解放された……。幽霊が爪を立てていたのか…………。足にはおびただしい数の引っ掻き傷がつけられている…………。

 由利は呼吸を落ち着けて……素早くドアから身を遠ざけた…………、チェーンが千切れ、半開きになったドアの向こう側には……ただ冷たい……廊下だけだった…………。


 その後、由利は布団に入って全てをまとめた、あの幽霊は色田桃子なのだ、桃子が死んだ地点は……この近所だったのだ……。恐らく彼女は新しい靴を買ってもらったばかりなのだろう……しかし運悪く、なくなってしまった……そして由利が靴を買ったのも……桃子が死んだ翌日だった…………。偶然にしろ、その他何にしろ、由利を襲ったのは、桃子なのだ。

 桃子は、自分が死んだ翌日に新しい靴を買った由利を憎み、その靴を奪ってやろうと誓った。そして、夜、見事チェーンをすり抜けて靴を片方取った、なぜ片方取ったか、恐怖に陥れようとしたか……それとも何らかの理由があって片方しか取れなかったか…………少なくとも由利にはわからない。

 そして、朝のホームで由利の前に現れる、最後に今、玄関にいた由利を、あの靴を履いていると誤解した左足を、無理やりにでも引きずり出そうとした…………、由利は千切れたチェーンを見る……、もしあれがかかっていなかったら、自分も幽霊に仲間入りするところだったかもしれない…………。

 察するところ……すべての始まりのお爺さんも……色田桃子の仲間なのだろう、ハイヒールが折れて……そのまま別の靴に履きかえられては困ったのかもしれない…………。


 翌日、由利は仕事を休んだ。


 由利はニュースに出ていた事故現場へと向かったのだ、途中で花束と靴を買って……。

 事故現場には、たくさんの花が並べられていた、それぞれが違う紙でまとめられ、大きいもの小さいものとあった…………、由利はその花の束に、自分の持ってきた花束と靴を…………加えた…………。

その靴が何を意味するか、…………わかる者はいないだろう……。由利は踵を返して、その場を去った…………。


如何でしたか?   ……文字数的には少ないのですが、ホラーとして楽しんでいただければ幸いです。    


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