1.久坂 晶の場合
小二のときは、雨の日だけ毎日放課後には靴が消えていた。
小四のときは、絵をびりびりに破かれ教室のごみ箱に捨てられた。
二ヶ月かけて書いた、何かのコンクールに入賞した大事な大事な絵だったんだけど。
中二のときは、女子トイレに一晩閉じ込められた。
あっというまに噂は広まり、次の日から学校中の女子に総出で生ゴミのように扱われた。
そしてその後すぐに、噂の首謀者がわかった。
長年の嫌がらせの犯人が、彼女だということも。
「貴女が好きです。僕の傍にいてくれませんか?」
そして高一の今、僕はその子に告白をしている。
彼女のきれいな顔は現在歪んでしまっている。
梅雨の湿気と汗で、いつも麗しい長い黒髪が白い首筋に貼りついてしまっているせいなのか。
それとも、先ほどの言葉のせいなのか。
鈍い僕にはわからない。
赤く理想的な形の唇から、言葉が洩れる。
「私は嫌い。」
女子にしては少し低い声。相変わらず綺麗な声だな、とどこか呑気に思った。
同時に、頭を鈍器で殴られたような強い衝撃を受けた。
そうか、やはり、ぼくは、きらわれていたんだな。
気づいては、いた。さすがにそこまで馬鹿じゃない。
昔から誰にでも優しいひとであったのに、僕にだけ何かにつけていやがらせをしていたから。
でも認めたくなかった。
弱い僕は、認めることなんてできなかった。
今だって顔をあげることすらできずに、ただ泣かないように唇をかみしめている。
でももう終わりにしなければ。
僕にこれ以上、彼女を不快にさせる権利なんてない。
「……ああ、やっぱり」 彼女は続ける。
僕は反射的に顔をあげた。
彼女は笑っていた。
しかも、いつもの計算されつくした貼りついた笑みではなく、かえって疑ってしまうほど無邪気に。
「私、あなたの傷ついた顔が好きよ。
すごくすごくきれいだと思うわ。
ねえ、私のこともっともっと好きになって?
世界で一番好きなひとに傷つけられたら、あなた、どんな顔をみせてくれるのかしら。
私、あなたが大嫌いよ」
驚いた。ここ数日間ずっと耳についていた不快な雨の音でさえも、心地よく感じる。
目の前のひとの表情と、場の空気が合ってなさすぎる。
今の言葉を、本当にこのひとが言ったのか?
もしそうだとしたら、……狂ってる。
「今の顔もすごくいい。でもまだ足りないわ。
もしあなたが世界中から見放されて誰も信じられなくなって、私しか縋る相手がいなくなったら、私、間違いなくあなたを拒絶する。
なにもかもに絶望して、涙も声も枯れ果てて、死にたくて仕方がないときの表情がたまらなく見たいから。
想像するだけでぞくぞくするわ。ああ、でも、本物はもっと素晴らしいんでしょうね。
その顔を見るまでなら、そばにいてあげてもいいけど……。
どうする? 」
このひとは今、ただ僕を不幸せにするためだけに、そばにいると言った。
彼女を好きでいる限り、ぼくはきっと幸せになんかなれない。
きっと、ずっとずっと、存在さえもこの狂ったひとに否定され続けるんだろう。
ああでも、傘を差しのべてくれたのも、絵のモデルになってくれたのも、僕を人間扱いしてくれたのも、彼女だけだったんだ。
彼女が笑うなら、それもいいかもしれないと思ってしまった僕は、もっと狂ってる。