【TODAY】
アラームが鳴る前に、目が覚めた。
画面を見る。まだ五分ある。
その五分が、もう遅い気がした。
通知が積み上がっている。
未読、
未返信、
未処理。
指でなぞる。
どれも、どこか“今”じゃない。
——今日、連絡しなきゃ。
理由はわからない。
ただ、その焦りだけが、胸の奥で脈を打っている。
スクロールして、止まる。
「悠真」
発信。
コール音。
三回。四回。
出ない。
切って、もう一度。
出ない。
こんな人じゃなかった、と思う。
メッセージを打つ。
“今日、話したい。急ぎじゃないけど”
送信。
既読は、つかない。
―――
沖縄の朝は遅い。
光で目が覚める。
時計はもう昼に近い。
体を起こしながら、少し考える。
東京にいた頃は、時間に追われていた。
今は、時間のほうが余っている。
携帯を見る。
着信とメッセージ。
「……今日?」
小さく呟く。
その言葉が、少しだけ引っかかる。
それが昨日のことだったのか、さっきのことだったのか、区別がつかない。
“今日”って、どの今日だろう。
しばらく考えて、やめる。
あとでいいかと思う。
海に行こう。
―――
老人ホームの廊下は、静かだった。
母は窓の外を見ている。
「お母さん」
声をかける。
母は振り向いて、目を細める。
「あんた……」
少し考えて、言う。
「さっき学校行ったばっかりじゃない」
息が止まる。
「行ってないよ」
「うそ。見たもの」
迷いのない声だった。
―――
午後、ようやく既読がつく。
電話が鳴る。
「もしもし」
少し遠い声。
「なんで出てくれなかったの」
思ったより強くなる。
沈黙。
「ごめん。今、起きた」
軽い。
言葉を飲み込む。
「今日、話したいって」
「うん」
「今日って、いつ?」
心拍が、跳ねる。
「……今日でしょ」
「だから、どの“今日”?」
笑っている。
でも、噛み合っていない。
―――
帰り道。
スマートフォンを握る手が、汗ばむ。
“今日じゃないといけない”
理由が、喉の奥に引っかかっている。
信号が赤に変わる。
立ち止まる。
画面を見る。
メッセージ。
“ごめん、最近ちゃんと話せてなかったな”
その一文で、呼吸が止まる。
この文字を、
このメッセージを、
何度も読んだ気がする。
母の声がよみがえる。
「気をつけてね、今日」
男の声が重なる。
「どの“今日”?」
信号が青に変わる。
一歩、踏み出す。
その瞬間、
世界が、つながる。
ブレーキ音。
遅れてくる衝撃。
手の中のスマートフォンが、すべる。
指先から離れて、回転する。
視界が傾く。
地面が、遠い。
空気が押し出される。
——ああ、
やっと思い出した。
“今日”は、これだ。
―――
沖縄の海で、男は波を見ている。
遠くで音がした気がしたが、振り返らない。
彼の中で、その出来事は、もう過去になっている。
―――
老人ホームで、母は窓の外を見ている。
何度も同じ言葉を繰り返す。
「気をつけてね、今日」
その“今日”が、いつなのかもわからないまま。
―――
女は、また歩いている。
青信号の上を。
踏み出した一歩の、その先に。
何度も、何度も。
朝、目が覚めた瞬間から、今日が始まっていない気がした。
彼女の“今日”は、
始まる前に終わっている。




