序章
生暖かい液体の中にいた。
それが、するすると抜かれていき、最後にコポコポ鳴る。空気が体に触れると少し肌寒さを感じて目が覚める。
「おはようございます、田中幸一さん」
目の前に現れたのは、ザ・ロボット。
中途半端に人型で、無駄に丁寧な姿勢。
人に似せようとして、途中で諦めた感じがする。
きっと、まだ夢の中なのだろう。
私は目を閉じた。
そうだ、これはきっと、麻酔が切れる前の幻覚だ。
そういう話を、どこかで聞いたことがある。
「再度の睡眠は推奨されません」
見た目とは裏腹の、律儀で流暢な声が私に起きるよう急かす。
「……もう一回寝かせてもらえませんか」
それに、なんだか自分の声も変な感じがする。幻覚で間違いないだろう。
「衛生管理のため、洗浄を行います」
次の瞬間、プシャーと音を立てて上から水が降ってきた。
勢いが、強い。そして、ロボットが目覚めに来る世界にしては原始的すぎる。
洗浄という言葉から想定される勢いの3倍は強い。半分くらい優しさを混ぜてほしい。
「わかったよ、起きるよ」
「爽やかなお目覚めですね。なお、あなたは約350年ぶりに起床しました」
聞き間違いかな、と思った。
「……すみません、今なんと?」
「あなたがコールドスリープをされてから約350年が経過しました。」
はあ? そんなに時間経ったの!?
ーーー
私、田中幸一、35歳。しがない中途採用の市役所職員だ。
不治の病に侵されて、コールドスリープにチャレンジした。
入っていて良かった医療保険。
コールドスリープとは現代医療で治療不可な病気の患者を冷凍保存して、未来で治療する。
つまり、未来ぶん投げ型治療法だ。
過去には失敗例や詐欺も多く、普通に冷凍されて死ぬことも珍しくなかったらしい。
まあ、普通にコールドスリープ失敗して死ぬかも、でもこのままだと数カ月の命だから文句ないよね?、という念書を書かされた。
それが350年も前のことか。
あの念書、ちゃんと残っているのかな?
ーーー
「でさ、なんで、女の体になっているの?」
なんか、全裸で歩いている若い女の子いると思って固まっていると、こっちじっと見てるじゃん。
痴漢だ、変態だ、と言わずにじっとこっち見てんの。しかも少し鼻の下を伸ばしてさ。
それが鏡の自分だと気づいて、先ほどの私を目覚めさせたロボットに質問する。
「どうしても必要な行為でした。安心してください、美容整形外科のような手続きはしていません。
DNAから作り直しています。
お困りにならないように、美しいとされる日本人女性の特徴の平均値で算出した顔です。
つまり、社会的に好ましいとされる外見にしております。
頭髪の薄毛と腋などからの強い体臭、老いによる細胞劣化などの不要な遺伝情報が無いようにしております」
そう伝えながら、私に衣類を渡してきた。これを着ろということか。それにしても、情報量が多い……。私は一度、深呼吸をした。
「……処置の内容はとりあえず理解しました。
ところで女性の体である必要性について、改めて伺えますか?」
「承知しました。結論から申し上げますと、元に戻す予定はありません」
「……理由を伺っても?」
すると、ロボットの目から光が消えた。
「……現在、重要アップデートのため再起動中」
私はため息を吐いて、ロボットから渡された服の袖を通した。
ーーー
そして、私、田中幸一は無職である。
コールドスリープに入る前に、職を辞した。
未来で目覚めるかどうかも分からない人間が、籍だけ残っている方が困るよね。
これからの生活、どうしよう。しかも、何故か性別まで変えられたし……と思いながら目覚めた部屋のそばの窓から外へ目を向ける。
視界の端に、整然と並んだ建造物が見え、どれも同じようなベランダが見えた。
どれも壊れていない。壊れている場所は、ロボットが現れてガリガリ音を立てて修繕していた。
革のソファに腰を下ろす。
ひんやりとした感触。
座面はよく手入れされており、皺はない。
体重をかけても、誰かの癖を感じない。
窓に反射した、整った顔の自分と目が合う。
マジか……
私は小さく息を吐いて、視線を逸らした。
私はソファに座ったまま、物思いにふけていた。
先ほどのロボットは再起動中のためか一切動かず、チカチカと高速でコンデンサーライトが点滅を繰り返していた。
ボーとしていると、大量の二足歩行や四足、八足歩行のロボット達が駆け足で現れた。
あ、これロボットの反乱で殺されるやつだと思ったら、私は丁寧にベッドのある部屋に連れて行かれ、私の精密検査を始めた。
その時に天井に鏡があった。
……この顔にこの体で、元の時代の350年後の世界を生きるのか。
仕事もなく、知り合いもいない。
理由も説明されていないまま、体だけが変わっている。
ただあるのは、この先の時間だけだった。
検査を終えて、またソファに座る。
ポケットに手を突っ込むが、スマホは入っていない。そりゃそうだ。コールドスリープ前に解約しているし、そもそもさっきのロボットからも受け取ってないじゃないか。というか、そんな未来でそんなモノ残っているのだろうか?
「お暇そうですね?」
背後から、再起動を終えたロボットの声がした。
いつの間にか、目の光が戻っている。
「過去の日本人の行動ログを参照した結果、現在のあなたの状況に近い個体は、一定の割合で情報発信活動を行っていました」
「……情報発信?」
「肯定。映像配信、音声配信、日記形式の公開記録などです。主な目的は、暇つぶし、孤独感の軽減、思考の整理、配信による収入でした」
いや、むしろ、その配信を見ていた側だけど……。
それに地方公務員は配信活動なんて基本やらないことがいいのだ。
でも、本当はそういうこと、小さい頃からやりたかったんだよな……。
「でも、配信活動なんて、機材も編集技術もない私はできないよ」
「お任せください。私たちロボット達が、田中様を全力サポートします。配信者の夢、赤チャ、ガッポガッポ生活ができるかもしれませんよ」
……かもしれません、か。
私はため息を吐いて、断る理由を探す。
「それに、ほら、動画撮るにもネタが……」
「日常の風景、食事、散歩などを配信する、特に目的のないものが多く見られました」
「……それ、見る人いるの?」
「不明です」
即答だった。
「ただし、配信を行った個体の多くは、行わなかった個体と比較して、精神状態の安定が確認されています」
私は考えた。
そうだ、ただの暇つぶし、遊びだ。
今は、私を縛る組織はない。
気にする人もいない。
童心に帰って自由に遊ぶつもりでやってみよう。
それが、きっと、これからの私の支えになるような、そんな気がした。
「じゃあ、やってみようかな」
「承知しました。機材を収集しますのでしばらくお待ちください」
その言い方が、あまりにも事務的なのに、それなのに、不思議とロボットに命が吹き込まれたように動き始めた。
何故か、喜んでいるように、私には見えたのだ。
読んでいただきありがとうございます。
本日、21時に続きを投稿します。
事情あり、次で一度完結します。




