第20話:駒の正しい制御の仕方
ルコールに先導され、トカゲは前回と同じ、ガッツやアヤメと報告に来た部屋に招かれた。
広くも狭くもない部屋。中央には楕円型の長机、背の高い椅子がいくつか。壁際にある本棚は昨日は見向きもしなかったが、何かの書類で溢れている。
「どうぞ、お座りください」
トカゲは言われた通り椅子に腰を下ろすと、視線の先に鎮座する老人を真っすぐを見つめた。
「それで、今回はどういったお話で?」
「今回はお金の話と、アヤメ様のお話です」
ルコールの発言にトカゲは首を傾げた。アヤメについての話は納得出来るのだが、『お金の話』というのが皆目見当もつかなかったのだ。
一方でルコールは眉をひそめるクリーム髪を横目に、秘書に目配せをする。
秘書は椅子に座っている、カーキのパーカーを羽織っている少年に一つの封筒を差し出した。
「どうぞ」
「は、はぁ? ありがとうございます」
トカゲは封筒を受け取ったものの、それの意味が分からず、ただ手に持つだけ。表も裏も確認してみるが、特別変わったようにも見えない。本当に飾り気も何もない、ごく一般的な封筒。そしてそんな彼を注視したままのルコール。
少し経つとトカゲはルコールの『開けてみなさい』と言わんばかりの視線に気づき、封を解いた。
中には二つの紺色の薄い手帳。どちらも共通の文字――長期任務手帳――の文字が刻み込まれている。
「そちらは長期間の遠征任務に携わる者に発行されるものです。宿や飲食店で会計時にご提示いただければ、代金は後日支部が負担します」
支部長は穏やかな笑みを浮かべたまま、説明を続ける。
「本来であれば先日アヤメ様の護衛をご依頼した時にお渡しすべき代物だったのですが、少々発行のための工作に手間取りまして」
手帳をめくって中身を確認し、自然と思い浮かんだ問いを投げかける。
「……長期任務ってことは、どこかに派遣でもされるんですか?」
「ええ。ですが、あくまでも建前上の話です。連続神隠し事件……それの関係者ということになっております」
「連続神隠し事件?」
「はい。一階にある掲示板はご覧になりましたか?」
トカゲの脳裏に例の張り紙たちが浮かぶ。
「あの、行方不明届のやつで合ってますか?」
「はい。調査に回ってもらっている体になっています」
体。つまりは見せかけである。ルコールの口振りからして参加せずとも良いのは確かだが、トカゲは名目上関係者になっていることもあり、完全には放っておけなかった。
「なら、実際はどう立ち回れば?」
「今まで通りで大丈夫ですよ。宿や飲食店などでそちらの手帳をご提示されるだけで結構です。もし何の任務に就いているのかと聞かれましたら、その時は先ほどお伝えしたようにお答えください」
「はぁ……」
トカゲは納得はしていなかったが、曖昧な反応でその場をやり過ごした。
わざわざ口に出すようなことでもない。それどころか、これがあればトカゲとアヤメでの二人の生活は数段楽になるのだ。
トカゲは二つの生活を支える基盤となる手帳を折り曲げぬよう、丁寧にシャツの胸ポケットにしまった。
手帳を保管した少年に、支部長は次なる話題を振る。
「続いて、アヤメ様のお話ですが」
『アヤメ』の名前で気が一気に引き締まる。こればかりは横目に見ているわけにもいかない。
「様子はいかがです? まだそれほど時間は経っていませんが」
「まあ、日常会話くらいなら話してくれますよ。過去のことは断片的に、としか分かりませんし。それと……ずっと何かに怯えてるみたいですね」
「そう、ですか。それでは夜間の対応なんかは、特に厳しいでしょう。貴方一人だけに重役をお任せしてしまって申し訳ない」
支部長は頭を下げると、多少の間を開けてから重い唇を持ち上げた。
「……これからお話することは、アヤメ様には秘密にしていただけますかな?」
秘密にしなければいけないようなこととは、一体どれほど重い話なのか。トカゲが無意識に唾を飲むと、その音が静まり返った部屋中に響いた。
「分かりました。それで?」
老人は目を閉じながらゆっくり頷くと、表情を引き締めて言った。
「では、本題に移りましょう。『ソロモの瞳』というのを、覚えておられますかな?」
ソロモの瞳。覚えているも糞もない。トカゲにとっては一番の疑問と言ってもいいものだった。ソロモの瞳というくらいだからあの天秤頭と何か関係があるのだろう。だが今の彼の手元には、核心に迫れる情報が何一つない。
「……名前だけは」
「そうですか。確証はありませんが、アヤメ様の瞳は……孔雀色に銀の花。恐らく特徴から考えて、ソロモの瞳と見ていいでしょう」
トカゲは息を詰める。
「ソロモの瞳ってのは、何なんです?」
「古来より伝わる、神話の遺物のようなものです。詳細は私も存じ上げませんが、なんでも神代の力があるのだとか」
初対面時にソロモが言い放った『神、と人間の間では呼ばれているようだな』という言葉が、鮮明に蘇る。
――神代の力、ね。神と言われているらしい、あの天秤野郎と関係があると断定してもいいか。でも支部長の位にいる人物も知らないとなれば、ほとんどの人は知らない?
「そして彼女の名乗りですよ。姓を先に名乗る……あれはレーク村の住民特有の名乗りでして」
レーク村。その言葉を聞いたトカゲの脳裏に掲示板とは別の、今朝のアヤメの言葉が浮かぶ。
『私の住んでた村が、燃やされた日のことです』
神代の力を宿す瞳に、焼かれた村。そして、逃げてきた一人の少女。トカゲの思考はやがて一つの結論を導き出した。
「つまりアヤメちゃん……いや、ソロモの瞳を狙った人間が村焼きの犯人、と?」
「そのように考えております。まだ証拠は不十分ですが、その線が妥当でしょう」
支部長は軽く口角を上げた後、すぐに目を伏せた。
「ですので、貴方にはレーク村には触れずにいていただきたく思います」
ルコールから放たれた言葉はトカゲの考えと寸分の狂いもなく合致していた。思い返しただけで動けなくなる程の重いトラウマを抱えているのならば、下手に刺激するのは望ましくない。今朝の様子を考慮しても、やはり至極真っ当な意見である。
「分かりました」
トカゲは素直に答えた。だが同時に、少し未来のことも頭の片隅に出没する。
「ちなみにですけど。もしアヤメちゃんの方から自発的に話されるようなことがあった場合、その時はどう対応したら?」
「その時は、彼女の意志に従ってください。それで結構です」
言い終えると、老人は椅子から立ち上がり、窓際を練り歩くように移動した。外から差す昼の太陽光が短い影を伸ばす。
「しかし、神代の力を手にしたとて、何が出来るのやら」
独り言のように呟く声。
トカゲは自らの左手の甲を睨みつけた。そこには以前支部長が『聖痕』と勘違いしたタトゥーが入っている。
支部長はこれまでの話からして、恐らく神やらソロモの瞳やらを信じている人間である。
――もしかしたら、この人はボクの中のソロモの存在を信じるかもしれない。今後の調査に役立つかは別だけど、可能性のある情報は明け渡そう。
「あの――」
トカゲが話を展開しようとした時だった。
「――ッ、イ゛ッた」
少年の心臓をナニカが支配した。心臓が握り潰されるような痛み、もしくは鼓動が止まるような感覚。同時に耳の奥で悪魔が声を囁かせる。
『余計なことを言うな』
疑いようもない、ソロモの声。少女が瞳のことを打ち明けた時と同じ痛みだった。
それでもトカゲは声を出そうと必死になったが、言おうと強く意識するほどに痛みは増していく。
『お前の考えは筒抜けなのだ。黙っていろ。その気になればオレは今この場で、お前を始末出来るということを教えておいてやる』
トカゲは自分の『生』に執着していない。だがこの時のトカゲには既に『アヤメ』という死ねない理由がある。ソロモはそれを理解した上で、人質を取るような姑息な手段を用いた。
「……つくづく人じゃないんだなー」
小声で言葉を漏らしながら一人で悶えるトカゲを見て、ルコールは疑問の声を上げた。
「どうされましたか?」
「い、いや、ちょっと咽ちゃって」
そう言ってトカゲはわざとらしく咳き込むふりをした。
その後はソロモに邪魔をされぬよう、話題を変える。
「そういえば、図書館とかってこの辺りにあります?」
「図書館ならここからすぐの所にありますが、何か調べ物でしょうか?」
「まあ、そんなところですね。あと――」
今日の一言:長期任務手帳には「担当者名」と「担当任務」だけ記載されています。写真という技術はまだないため、顔写真は載っていません。




