第18話:語るには早い各々の事情
星々も眠りに付き始める深夜、話し合いの末にトカゲが床に座って、アヤメが一台しかないソファーの上で眠ることになった。話し合いというのはベッドもないこの部屋で、どちらが少しでも休めそうな場所、即ちソファーの上を使用するか、というもの。
アヤメは遠慮して中々ソファーを使おうとしなかったが、トカゲの圧で現在に至る。
これで快適な睡眠がとれる、と思いながら眠ったトカゲだったが、朝はすぐにやって来てしまうのだった。
♢ ♢ ♢
光がカーテンの隙間から薄く差し込み、トカゲは目を覚ました。窓の奥からは小鳥の鳴く声が聞こえ、穏やかな一日になることを先んじて教えているようである。尤も、そのお告げが正しいか否かは、また別の話だが。
「やっぱ床で寝ると、寝た感じがしないねー」
トカゲは疲労を確かめるように首を左に傾けた。続けて右肩、腰と至る所を捻る。どこもかしこもゴリゴリと音を立て、明らかに筋肉の凝り固まっている事実が確認された。
最後に伸びをして終わる、かと思った矢先、正面に少し変わった少女の姿が映った。瞬きを挟んでも目の前の景色は更新されず、寝ぼけた脳には刺激が強いものが入って来る。
――泣いてる?
視界の先一メートルもない所に設置されたソファーで眠るアヤメの目元には、光を反射する水の雫があった。その姿を見たトカゲの脳内で、亡霊の面影が重なる。
――そういえば、マユもこんな風に寝てたことあったっけ? 朝起きたら泣いてて、どうしようもなくって。いや、それを見て家出を決心したんだったっけか。
「酷いもんだよなー」
トカゲはぼそぼそと独り言を溢し、涙を流しながら眠っているアヤメに歩み寄った。そのまま手を伸ばし、彼女を慰めるために優しく頭を撫でようとする。
しかしアヤメの頭部に手が触れた瞬間、トカゲの腹部には電撃のような、強烈な衝撃が走った。
「ウッ……えぇ?」
とても少女が出したとは思えない、重たい一撃。腹の中がグルグルと渦巻くような感覚に襲われたトカゲの視界が床に伏せる。
今まで外部からの強い刺激に晒されていたアヤメは、触れてきたトカゲの手を『何者かの攻撃』と勘違いし、反撃の蹴りを入れていたのだった。
「――と、トカゲさんッ!」
アヤメは半分パニックになって叫ぶが、返事はない。それどころか視界にすら映っていない。右を見ても左を見ても、それらしい姿が映らなかった。
「あ……ぁ……」
――どうしよう、どこに行ったんだろう? また追手が来るかもしれない。逃げないと。逃げるなら、どこから?
アヤメが思考をフル稼働させ逃走経路などを模索する傍ら、床から力ない声がする。
「おぉう……おはよぉ……」
アヤメは聞き馴染みのある声のした方へと体を向けた。
腹部を抱えながら苦しそうに床に転がるトカゲが目に飛び込んでくる。昼間に命を預けている人間なのだが、今の姿はどうにも頼りない。
安堵と多少の不安を同時に抱えたアヤメは複雑な気分だった。
しかし安堵を覚えたことで、彼女にも冷静さが戻ってくる。アヤメは事の経緯を探るべく、床で悶える少年に声を掛けた。
「あの……何があったんですか?」
「別に、何でもないよ。ただ……転んだだけ」
「結構派手に転んだんですね」
アヤメの瞳にはトカゲの言葉が嘘であることが映るが、それは既に今更だった。
悪意や邪のある嘘ではない上に、この男は出会ってから今に至るまで常に嘘に塗れている。この男の嘘は何かを隠すためのものであって、欺き、騙すものではない。要するに、問題はないのだ。
時間が経ったことで少しずつ痛みが引いてきたトカゲは、話しながら立ち上がった。
「……それより、随分と魘されてたけど、気分はどう?」
トカゲの口から出た言葉に、アヤメが鋭い反応を示した。思い出したくもなかった過去が脳内で絶叫し始める。
「……悪い夢を、見てました」
「悪い夢?」
「私の住んでた村が、燃やされた日のことです」
アヤメの脳裏に鮮明に蘇った炎、悲鳴、血の匂い、それから自分を逃がすために堕魂の群れの中に一人残った母親の姿。
「多分……二週間くらい、前の……こと、なんですけど」
語る少女の肩は、トカゲが今までに見たことがないほど震えていた。無理をしているのは疑うまでもなかった。拳を強く握りしめ、呼吸を荒くする。その影響で声はか細く、言葉は酷く途切れている。
「アヤメちゃん? 大丈夫?」
「あの夜、普段なら……寝てる時間だったんです。でも……」
トカゲの声はアヤメの耳には届いていなかった。骨の髄の奥深く、生存本能に刻み込まれた恐怖はアヤメの精神を根元から枯らし、思考からブレーキを奪っていた。
「あの日は……お母さんが、『起きてなさい』……って」
――マズい。このままじゃ壊れる。
トカゲの視界の先には虚ろに乗っ取られたアヤメが立っている。止めどなく零れる涙は、床に落ち、足元を濡らしている。
トカゲは口を開いたが、何も言葉が出ない。こうしている間にもアヤメは壊れたカセットテープの如くブツブツと何かを言っている。
壊れていくアヤメの姿に死ぬ直前のマユの姿が重なると、気付けばトカゲは強硬手段に出ていた。
「ねえ!」
「……へ?」
アヤメの肩を揺さぶったトカゲの熱が、彼女に強制的にブレーキを掛ける。
「大丈夫?」
答えは返って来ない。花を宿した瞳は小刻みに揺らぎを見せ、完全に自我を失っていた。
「無理、しなくていいから。話さなくていいから」
トカゲの言葉を聞いて一度止まったアヤメの涙が、再度溢れ出す。アヤメは膝から崩れ落ちると、あの晩に奪われた体温を取り戻すように、トカゲに精一杯しがみついた。
トカゲの胸に顔を押し付けたアヤメからは嗚咽が漏れる。トカゲはヒビの入ったガラス細工に触れるように、何も言わず静かに彼女の心の傷を抱えた。
少し経つとアヤメの呼吸が整い始める。徐々にアヤメの腕から力が抜けていき、トカゲもそれに伴って離れる。
アヤメが落ち着きを取り戻したのを確認すると、トカゲは彼女の目をまっすぐ覗いた。
「もう、大丈夫そ?」
相変わらず言葉による返答はないが、アヤメが静かに頷く。
「そっか」
それだけ告げて、トカゲは微笑む。アヤメは目を伏せた後、力なく床にへたり込んだままだった。
♢ ♢ ♢
その後二人はいそいそと準備を整え、昨晩世話になった眼鏡の男性と女医に感謝を告げて支部へ向かって出発。
道中、アヤメの中では言いたいことが次々と浮かんでいたが、何も言い出せなかった。
今日の一言:アヤメの症状はPTSDが一番近いです。時期を考えたら急性ストレス反応のASD寄りなのですが、PTSDということでお読みください。
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