第9話 宰相ユリウス=グランディア
1.幼き日の出会い
ユリウス=グランディアは、王都の片隅で生まれ育った。
父は石工、母は市場でパンを売っていた。裕福ではなかったが、彼には特別な力があった。
七歳のとき、初めて発現したスキル――
《知識の源泉(極)》。
一度見たもの、一度聞いたことを忘れず、さらに関連する情報を結びつけ、答えを導き出す。
「市場の人混みは、昼より夕方のほうが速く流れる」
「東門の兵士は三日に一度交代している」
そんな観察と結論を次々と口にする子どもに、大人たちは驚き、恐れ、そして噂を広げた。
「知恵を売られるぞ」
「他国が狙うかもしれん」
不安が募る中、ユリウスに声をかけてくれた少年がいた。
アウグスベルグ・ハイデニアJr.。この国の王太子。
年齢は同じ、立場は天と地の差。だが彼は気にせず、町でユリウスを遊びに誘った。
さらに、もう一人。
騎士団長の家に生まれたスラウザー。大柄で力持ちで、猪を追い払うこともできた。だが豪快な笑顔は優しく、誰より仲間思いだった。
三人は自然に友となった。
ユリウスの知恵。
スラウザーの力。
王太子の、根拠のない自信。
性格も立場も違ったが、なぜかうまく噛み合った。
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2.誘拐の夜
ユリウスが十歳の時。
極のスキルを持つ少年は、やはり狙われた。
暗がりで袋をかぶせられ、馬車に押し込まれた。
縄で縛られ、口を塞がれ、息苦しさに涙が出た。
だが《知識の源泉》は働いていた。
車輪の軋み。馬の足音。潮の匂い。曲がり角の数。
――頭の中に地図が描かれていく。
ユリウスは袋の端を歯で噛み切り、小石を落とした。
それが助けを呼ぶ唯一の方法だった。
やがて馬車は港の倉庫に着いた。
誘拐犯たちが下卑た笑みを浮かべたとき――扉が蹴破られた。
「ユリウスはどこだ!」
王太子の声。
「子ども二人で何をする!」と誘拐犯が笑う。
その直後、スラウザーが殴りかかり、木の柱を砕いた。
複数の男をまとめて吹き飛ばす。
王太子は前に出て、胸を張って叫んだ。
「この国の王子を敵に回したな! お前たちはもう二度と日の下を歩けん!」
意味不明の言葉だった。
だが次の瞬間、倉庫の梁が折れ、木箱が崩れ落ちた。
誘拐犯たちは悲鳴を上げ、逃げ出した。
袋から救い出され、ユリウスは泣きながら二人を見た。
(この二人が命を懸けて助けてくれた……。恩は一生忘れない)
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3.宰相の日常
年月は流れた。
ユリウスは宰相として、日々机に向かっていた。
王太子の無茶を制度に落とし込み、スラウザーの力を活かす。
王は言う。「ユリウスがいるから国は回る」
王妃は言う。「彼の忠告は民のため」
王太子は言う。「俺の左腕だ」
スラウザーは笑う。「ユリウスがいるから俺は安心して殴れる」
兵や民は口を揃える。「怖い顔だが、国のことを一番に考えている」
ユリウスは胃を押さえ、苦笑する。
(皆、買いかぶりすぎだ……。私はただ、殿下の言葉を整えているだけだ)
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4.国の休日
年に一度の国の休日。
広場は人であふれ、王と王妃も姿を見せた。
王太子が壇上に立ち、声を張った。
「今日は皆に贈り物をしよう。――極上の魚が空から降ってくる!」
群衆は笑った。
「殿下、また冗談を!」「魚が降るものか!」
ユリウスは胃を押さえる。
(頼む、これ以上は……! どう処理すればいいんだ、魚が降るなど……)
だが次の瞬間、空がざわめいた。
銀色の魚影が舞い落ちてきた。
それは幻の魚〈光鱗〉。
漁師でさえ滅多に見られない最高級の魚だった。
数百匹が広場に降り、人々の手に落ちた。
「殿下の言葉どおりだ!」
「奇跡だ!」
漁師が震える声で言った。
「光鱗が……空から……こんなこと、ありえん……」
ユリウスは青ざめた。
《知識の源泉》を巡らせた。
季節、潮流、風向き。どんな知識を組み合わせても、この現象は説明できない。
(なぜ……? 殿下の言葉が現実を呼んでいるのか? 私の知識で答えが出ない……)
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5.宴
その夜、国中で宴が開かれた。
光鱗の肉は柔らかく、脂は甘く、誰もが笑顔になった。
子どもたちは「殿下のおかげだ!」と叫び、兵士は杯を掲げ、「一千億!」と声を合わせた。
王妃はユリウスに囁いた。
「殿下の言葉が形になったのです。……でも、それを受け止めて国を動かすのは、あなたの役目ですわ」
ユリウスは胃を押さえながらも、小さく頷いた。
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6.決意
深夜。執務室に戻り、ユリウスは羽ペンを走らせた。
(理解できなくてもいい。殿下の言葉は現実になる。スラウザーが守る。私は整える。それが三人の役目だ)
かつて命を救ってくれた二人。
その恩を返すために、ユリウスは決意を固めた。
「殿下。私は最後までお供します。私の知識で説明できなくても」
その声は静かだったが、強い意志がこもっていた。




