第5話 ハッタリ王子、策謀をひっくり返す
1.揺れる城内
王都は「百二十億」の話題で持ちきりだった。
酒場では大声で「俺は百二十億のひとりだ!」と叫ぶ酔っぱらいが出て、子どもたちは遊びの掛け声を「百二十億!」に変えて走り回っていた。
兵舎でも変化があった。
若い兵士たちは「剣を振れば風が出るんだ!」と真顔で稽古し、藁人形が並んでいれば「風よ、吹け!」と叫んで斬りかかる。
宰相が視察に行くと、藁人形の列がなぜか本当に倒れており、胃がさらに痛んだ。
だが、こうした熱狂を冷ややかに見つめる目もある。
王城の奥、豪奢な会議室。
数人の貴族が、絨毯を踏みしめて集まっていた。
「民が騒いでおる。あの王子のせいだ」
「百二十億? 聞いたこともない数字だ。馬鹿げておる」
「だが、民と兵は本気で信じ始めている」
「……このままでは我らの言葉が軽くなる」
彼らの懸念は一つだった。
――王太子が、民心と兵心を掌握しつつある。
「手を打たねばなるまい。王の前で、あやつを笑い者にすればよい」
「宴を開こう。兵と民を集め、『証明せよ』と迫るのだ」
「虚言であるなら、その場で化けの皮が剥がれる」
計画は静かにまとまった。
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2.仕組まれた宴
数日後。王宮の大広間。
煌びやかな燭台が並び、長卓には肉料理と果実酒が山と積まれていた。
「兵と民をねぎらう宴」と題されたその場は、表向きは和やかだ。だが、陰で動く貴族派の視線は冷ややかだった。
王太子が現れると、場は自然と静まった。
兵士や町人は笑顔で迎えるが、貴族たちの目は探るようだ。
スラウザーは早速肉にかぶりつき、宰相はすでに胃を押さえている。
やがて、一人の貴族が杯を掲げて立ち上がった。
「殿下! 本日の宴は、あなたの『百二十億』の話を祝い、確かめるための場でもあります!」
どよめきが広がる。
貴族の声はさらに高くなる。
「剣を振れば風が起きる――そう仰ったとか。ならば、この場で見せていただきたい!」
兵士と町人が息をのむ。
宰相の顔は真っ青になり、スラウザーの手が肉から離れた。
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3.挑発の裏
貴族の狙いは明確だった。
ここで王太子が失敗すれば、「口だけの王子」という烙印を押せる。
民心を集めるどころか、笑い者にできる。
王の目の前でそれが実現すれば、王太子の未来は絶たれる。
宰相は歯を噛みしめた。
(殿下……ここでしくじれば終わりだ。胃では済まん……心臓が……!)
だが王太子は微動だにしない。
「風を起こすのは私ではない」
「ほう?」貴族が挑発的に笑う。「ならば誰が?」
「お前たちだ」
その瞬間、兵士も町人もざわめいた。
貴族派の顔が強張る。
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4.ハッタリの宣言
王太子は胸を張り、会場を見渡した。
「風は剣だけではなく、声でも起きる。声は空気を震わせる。震えが集まれば、風となる」
貴族が鼻で笑う。「たわ言を!」
「ならば証明しよう。――皆の者、私の声に続け!」
王太子は大きく息を吸い込み、叫んだ。
「ハイデニア!」
兵士と町人が呼応する。
「ハイデニア!」
さらに王太子が煽る。
「もっとだ! 腹から出せ!」
「ハイデニアァァァァ!」
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5.声の風
その瞬間だった。
広間に突風が走った。
燭台の火が大きく揺れ、幕がばさばさとはためき、卓上の皿がガタガタと跳ねる。
葡萄酒の入った盃が倒れ、赤い液が絨毯に飛び散った。
兵士と町人の目が見開かれる。
「……風だ」
「声で……風が出た!」
再び王太子が叫ぶ。
「ハイデニア!」
「ハイデニア!」
声は一つにまとまり、さきほどより強い風が広間を突き抜けた。
装飾の布が舞い上がり、貴族の帽子が吹き飛ぶ。
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6.宰相の驚愕
宰相は椅子にしがみつきながら呟いた。
(ありえん……これは群衆心理や錯覚ではない……本当に空気が動いている! 《ハッタリ(極)》は、信じる者が多ければ多いほど、現実をねじ曲げるのか……!)
胃の痛みを忘れるほどの衝撃だった。
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7.貴族派の崩壊
声の風が収まると、会場は歓声で満ちた。
「殿下万歳!」
「百二十億の嵐だ!」
「俺たちはひとつだ!」
兵士も町人も、顔を紅潮させて拳を突き上げる。
貴族派は口を開いたが、声は震えていた。
「こ、これは偶然だ!」
「民が騒いだだけだ!」
だが誰も耳を貸さない。
宴は完全に王太子の勝利で終わった。
貴族たちは屈辱に顔を歪め、席を蹴って去っていくしかなかった。
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8.王の視線
高座に座る王は、静かにその様子を見ていた。
風が走る瞬間を、この目で確かに見た。
だが、王の顔は険しかった。
「……ジュニア。お前の言葉は、人を笑わせ、人を立たせる。だが、同時に恐ろしい」
王はそれ以上何も言わなかった。
ただ、深く考え込むように眉間にしわを寄せた。
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9.夜の回廊
宴の後、王太子は回廊を歩いていた。
月明かりの下、スラウザーが横に並び、宰相が少し後ろからついてくる。
「殿下! 今日のはすげえ! 声で風が出るなんて、俺、鳥肌立った!」
「あれは何だったんだろうな。意味が分からん。」
宰相は額を押さえた。
「……殿下の《ハッタリ(極)》は、常識で測れません。人々が心から信じたとき、それは現実に力を及ぼす。……もしこの力が大陸全土に広まれば……」
王太子は微笑む。
「ただのハッタリだよ。たまたまだ」
三人の影が月明かりに伸び、やがて夜の闇に溶けていった。




