第4話 ハッタリ王子、国内をまとめる
1.王の間――父と子
朝。王城の長い廊下を、王太子アウグスベルグ・ハイデニアJr.は真っ直ぐ進んだ。
昨日の「百二十億」の話は、一晩で城と街に広がっている。門番も台所の女たちも、ひそひそとその数字を口にした。
王の間。
王――アウグスベルグ五世は重い玉座に腰を下ろし、息子を見据える。宰相は横で、いつものように胃を押さえていた。
「ジュニア。昨日の件だ」
王の声は低い。
「五千の敵軍が混乱したのは事実だ。だが百二十億とは何だ。国を危うくする言葉は慎め」
王太子は一歩前へ。
「父上。私は嘘は言っていません。兵の心がひとつになれば、数は百二十億を超えます」
「心が数を超えるだと?」
「広すぎると、声が遠くなる。遠い声は声ではなくなる。――だから私は、近くで同じ声をそろえます。百人が同じ声で叫べば千に聞こえる。千がそろえば万に見える。兵の心も同じです」
王は黙る。理屈は変だ。だが昨日は勝てた。
「……お前の言い回しは妙だ。だが、兵も民も動いた。今は結果を見よう。――ただし、責任は取れ」
「かしこまりました」
王太子は下がりかけて、振り向く。
「今日から三日、街と訓練場を回って声をそろえます」
「好きにやれ。ただし、荒らすな」
「荒らしません。整えます」
宰相は(言い方が怖い)と心でつぶやき、あわてて後を追った。
⸻
2.市門前――民の声をそろえる
王都の南門前は、朝から人でいっぱいだった。八百屋、魚売り、鍛冶屋の若者、子ども、旅人。
王太子が木箱の上に立つと、ひと目で静まる。スラウザーは後ろで腕を組み、宰相は人垣の端で胃を押さえる。
「みんな。税は重いか?」
「重い!」
「麦も魚も値が下がってる!」
「冬がこわい!」
王太子は大きくうなずく。
「重い税は、軽い税より軽い」
「???」と首がかしげられる。
「一人で米俵は重い。十人なら軽い。百人なら笑って運べる。税も同じ。みんなで担げば軽い」
笑いと拍手。
王太子はさらに続ける。
「それから――順番だ。
今つらい家は今月は軽く。余裕のある家は少し多く。来月は入れ替える。紙に書いて、広場に貼る。みんなで見て、間違いは赤で直す。隠さない」
宰相ははっと顔を上げた。(具体だ……掲示の段取りで、体感は確かに軽くなる!)
八百屋が叫ぶ。「そんなので本当に軽くなるのか?」
「感じが軽くなる。感じが軽いと、手が動く。手が動けば、物が動く。物が動けば、税は軽くなる」
魚売りの女性が挙手。「港の横流しは? 密売人が得してる」
「港は灯りを増やす。見張りの交代を短く。船は入港順に札を渡す。番号は広場に掲示。――見えるものは、不正になりにくい」
「なるほど!」の声。
スラウザーがうんうんとうなずき、宰相は書記官へ視線で合図した。板札・掲示の手配が走る。
「最後に、百二十億の話」
ざわっ。
「魚も鳥も虫も、味方だ。だが、彼らを動かすのは人の手。港は網を直す。倉庫は鳥よけの網。畑は虫よけの煙。これをやる。やれば、百二十億は今日も働く」
子どもが「蟻にも敬礼ー!」と叫び、母親に軽く叱られて笑いが起きる。
宰相は(言葉は軽い。だが、段取りは重い。これは使える)とメモを増やした。
⸻
3.寄り道――一言で止まる口げんか
広場を離れると、荷車同士がぶつかって口げんか。
樽の商人と干し草の農夫が道の真ん中でにらみ合う。
「どけ! こっちは腐る!」
「こっちも腐る!」
王太子は間に入った。
「腐る順番は見える。匂いが先だ。強い方が先」
二人は思わず鼻を近づける。樽の方が酸っぱい。
商人が「確かに」と先に通り、農夫も笑って道を開けた。
宰相は(意味は薄いのに、ちゃんと止まる……)と内心首を傾げ、スラウザーは親指を立てる。
⸻
4.王城の中庭――貴族への一撃
正午。王城の中庭で有力貴族がざわつく。
「見える税」や「掲示」が利権に触れるからだ。
一人が皮肉を込めて進み出る。
「殿下。見える税など町を騒がせるだけ。紙は風で飛ぶ。数字は変わる。民はすぐ忘れる」
王太子は笑わない。
「見えないものは、もっと飛ぶ」
相手の目が泳ぐ。
「飛んだ先がお前の懐なら最悪だ。紙は飛ぶ。だから板に書く。板は飛びにくい。数字は変わる。だから変わったら赤で直す。民は忘れる。だから翌朝も貼る」
沈黙。乾いた笑い。何人かは舌打ちしたが、反論はなかった。
宰相は胸の中で拍手。(これなら通せる!)
⸻
5.訓練場――殿下の眼前で「風」が走る
午後。訓練場。
兵が整列し、教官が見守る。昨日の噂で、みんなの目が光っている。
王太子は列の真正面に立った。スラウザーは最後尾、宰相は端で胃を押さえる。
「剣は抜かずに振れ。振れば風が起きる。風は敵を倒す」
半信半疑の兵たちが、鞘に入れたまま剣を振った――その瞬間。
ごうっ。
訓練場の空気がまとめて押され、砂埃が円を描き、藁人形が三体いっぺんに倒れた。
周囲の旗がはためき、兵の前髪が後ろへ流れる。
「な、なんだ今のは!」
「ほんとに風が……!」
王太子は眉一つ動かさない。
「見えるように言えば、見える。見えれば、できる」
今度は掛け声と同時に、全員で振る。
ごごっ。さっきより強い。倒れた藁人形が転がり、教官が思わず後ずさる。
宰相は目を疑った。
(ば、馬鹿な……これは偶然じゃない。殿下の目の前で起きている。《ハッタリ(極)》が本当に現実を動かした……!)
スラウザーは拳を握りしめて叫ぶ。
「殿下の言葉は力だ! 俺たちは百二十億の兵だ!」
⸻
6.列・重さ・弓――簡単な言葉で強くなる
王太子は続ける。
「盾は重いか? 重い盾は軽い盾より軽い。三人で一枚。交互に持て。走るのは一人、二人は休め。重いものほど分ければ軽い。敵には運ばせろ。ぬかるみ、坂、砂へ誘導しろ」
兵がうなずく。
王太子は白い紐を取り出し、地面に張る。
「列から出るな。出たら負け。歩け。走れ。止まれ。もう一度」
最初はバラけた列が、三巡目には細い線になって走った。
教官が低く唸る。「列が崩れない……」
「弓。狙うな、そろえろ。吸う、止める、三拍。一斉に放て」
シュッ。
矢は同じ高さで並び、藁の的の胸に横一線で突き刺さる。支柱が外れ、的は倒れた。
小さな歓声が波のように広がった。
⸻
7.新兵の一歩――「速さは先に置け」
端に、いつも遅れがちな若い新兵。おそるおそる手を挙げる。
「殿下……自分は遅いです。どうすれば速くなれますか」
「速さは、先に置け」
「先に……置く?」
「自分の前に見えない足を一本置け。そこに体を乗せろ。置いたら次を置け。置けば遅れない」
新兵は言われた通りに走る。三歩ぎこちない。四歩目、彼の体が前へ吸い寄せられ、列の先頭に出た。
並走の同輩が目を剥く。砂埃の中に、一瞬細い風の筋が見えた。
宰相は喉を鳴らす。(やはり……現実が寄っている!)
⸻
8.古参兵の反発――十秒で掌返し
腕太い古参兵が前へ。
「殿下。言葉で戦は勝てません。剣に血、盾に傷。そこに真実がある」
「その通り。だから、先に言う。剣に血がつく前、盾に傷がつく前に、列を作る。列がある場所に、負けは来ない。真実は後から来る」
古参兵の眉が動く。
王太子は白い紐を渡す。
「二十歩進め。二十歩戻れ。崩すな」
走る。戻る。列は崩れず、息も乱れない。
古参兵は無言で敬礼した。「了解」
どよめき。宰相は心の中で叫ぶ。(いちばん頑固な男を、十秒で味方に――!)
⸻
9.兵站の三つ――パン・水・光
「パンは切るな。割れ。線で切ると腹が減る。割れ目は大きいが、満足する」
「水は重い。汲む人を替えろ。若者→年寄り→女。同じ人にやらせるな」
「光は味方。灯りは列の上に置け。明るい列は揃い、暗い列は崩れる」
短い。覚えやすい。やってみようと思える。
教官は手帳を開き、宰相はメモを増やし、スラウザーは「パン割るの楽しみ!」と笑った。
⸻
10.城内の小騒動――笑って消す
夕方、廊下で若い騎士が口論。
「俺のほうが剣が速い!」
「いや俺だ!」
王太子が手を叩く。
「速さは置け。二人とも同じ場所に速さを置け。交互に乗れ。先に笑ったほうが勝ち」
交互に一歩ずつ踏み出す二人。五歩目で、どちらからともなく吹き出した。
勝負はそこで終わった。
宰相は(分からないのに、ちゃんと止まる……)と胃をさすり、スラウザーはニッと笑った。
⸻
11.夜の評議――言葉に「梁」を足す
夜。小広間に王太子、宰相、スラウザー、各部署の責任者が集う。
王太子は地図に手を置いた。
「今日の言葉を紙にする。明日から板にする。貼る場所は広場・港・兵舎。
港:入港札、番号を大きく。抜かしたら赤。
倉庫:鳥よけの網。太さ親指。
畑:虫よけの煙。湿らせた藁と草。
兵舎:白い紐。朝夕の列訓練。
税:順番表。苦しい家は青、余裕のある家は黒。翌月は入れ替え」
宰相が頷く。
「人手が要ります」
「いる。だから人を増やす。紙は書記。板は大工。札は子ども。役割を分ける。分ければ軽い」
「分かりました。今夜中に文を回します。梁を足しましょう。言葉の分だけ梁を足せば、言葉は倒れません」
スラウザーが挙手。
「俺は兵に防虫布と白い紐と、割るパンを配る!」
「パンは厨房だ」
「了解!」
笑いが起き、短く終わる会議。
王太子は締める。
「明日も、同じことを言う。同じ言葉は、強くなる」
⸻
12.王の言葉――父の評価(報告の調整済み)
夜更け。
王は書見台の前で書状に目を通し、近侍に問う。
「今日、城下は賑やかだったそうだな」
近侍は深くうなずく。
「はい。殿下が広場で演説をなされ、人々は笑いと拍手で応えました。さらに訓練場では、殿下の目の前で兵が一斉に剣を振り、本当に風が走ったと……多くの者が見ております」
王は小さく笑う。
「風、か。……昔、わしも若い頃、風を起こしたと言われた。実際は皆が一度に走っただけだ。――あやつは、それを言葉で揃えたのだな」
⸻
13.月下の三人――次の合図
南塔の回廊。月が薄い。
王太子は街の灯を見下ろし、スラウザーは背伸び、宰相は板と札の束を抱えて歩く。
「殿下。今日、兵が自分から走ってました。列も崩れない。初めて見ました」
「言葉を先に置くと、体がついてくる…と思う」
「明日は何を置く?」
「分からん。ハッタリだからな」
宰相が微笑む。
「広場と港の掲示は明朝から。順番表は青と黒で作成済み。兵舎の白い紐も準備完了。厨房には割るパンを頼みました」
「早いな、柱」
「胃が痛いと、仕事が速いのです」
スラウザーが笑う。「じゃあ、ずっと――」
「やめてくれ」
14.城下の夜――広がる「合図」
大工は板を削り、子どもは番号札を紐に通し、台所ではパンが割られていく。
港の見張りは灯りを列の上に移し、倉庫の梁には太い網。
畑の端で湿らせた藁に火が入り、薄い煙が静かに立つ。
人々は気づく。
――今日は、やることが分かりやすい。
――誰が何をするか、書いてある。
――順番がある。
それだけで、足取りが軽くなった。
「百二十億って、本当にあるのかね」
「あるさ。俺が一人で二に見えるなら、百二十億の一部だ」
二人は笑い、灯りの下を歩いていった。




