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第40話 沈黙の神と、最初の一歩

◆1 剣が落ちる音


 丘の上から見えたのは、白い軍勢だった。


 光る鎧。白い旗。聖句を叫ぶ声――だったはずのものが、今は消えている。


 代わりに響いたのは、重い音だけだ。


 剣が、一本、また一本と地面に落ちる音。


 五万の兵のうち、誰かが武器を捨てると、その空気が連鎖した。

 怖いのではない。

 「何かがおかしい」と、全員が気づいたのだ。


 前に立つ勇者が膝をついた。

 神の声が、止まった。


 そこへ、王太子アウグスベルグが一歩進み出る。


「今日は戦わない。ここは戦場ではない。話をする場所だ」


 言い切りの声は静かだったが、よく通った。

 丘を越えて、兵の胸まで届く声だった。


 スラウザーが横で鼻を鳴らす。


「……殿下が“戦わない”って言ってんだ。なら、戦はねぇ」


 ラウドも淡く笑う。


「暴れたい者はいるだろうがな。……この空気で暴れるなら、そいつはもう祈りじゃない。ただの狂いだ」


 ゼノヴァンが大きく息を吐く。


「友よ。今のうちに“言葉”で縛れ。剣を握り直す前にな」


「そうする」


 アウグスベルグはうなずいた。


◆2 神の国の“困りごと”


 丘の下では、白い軍勢がざわついていた。


「神の声が聞こえない……?」

「勇者さまが止めたのか?」

「いや、そんなはずが……神が……」


 その混乱の中心で、軍をまとめようとする男がいた。

 赤い布を胸に巻いた、神官兵の隊長らしい。


「黙れ! 神は試しておられる! 勇者が迷えば、我らが正す!」


 叫んだ瞬間――


 スラウザーの足が、地面を一度だけ踏んだ。


 ドン、と音がした。

 それだけで、隊長の声が喉で止まる。


 誰も殴っていない。

 誰も斬っていない。

 なのに、足がすくんで動けなくなる。


 隊長は唇を震わせた。


「……な、なんだ……この……」


 アウグスベルグは、下の軍勢へ声を落とす。


「隊長。こちらは戦う気がない。まず勇者の話を聞け」


 隊長は歯を食いしばったが、目は泳いでいる。

 勇者の命令に逆らうのは「神に逆らう」に近い。

 だが今、その神の声が止まっている。


 やっと、隊長は苦しそうに叫んだ。


「……勇者さま! これは何です! 神はどこへ……!」


 勇者は震える息を吐き、顔を上げる。


「俺にも分からない。だが……今は戦えない」


 その言葉は弱く見えた。

 だが、兵にとっては十分だった。


 勇者が「戦うな」と言った。

 それだけで、五万が止まった。


 アウグスベルグは小さく息を吐く。


(……ここが勝負だ)


 そして、ゆっくり続けた。


「お前たちが信じるものを、否定しに来たわけではない。だが、ひとつ聞く。――なぜ俺たちは“粛清”される?」


 隊長が叫ぶ。


「魔族と手を組んだからだ! 神が許さぬと――」


「神の声は今、止まっている。なら、その言葉の根っこは誰のものだ?」


 隊長が黙る。


 兵の目が揺れる。

 「神の声が止まっている」事実は、重すぎた。


◆3 勇者の本音


 少し距離を取った場所で、勇者はアウグスベルグと向き合った。


 周りには、スラウザー、ラウド、ゼノヴァン、リディア。

 そして、影の守り手が影に潜んでいる。


 勇者は剣を地面に刺したまま、目を伏せた。


「……あの夜、俺はお前を斬れなかった」


「そうだな」


「神の声に従えば、迷わず斬れるはずだった。でも……手が震えた」


 勇者の声がかすれる。


「怖かった。理由は分からない。……ただ、怖かった」


 リディアが息を飲む。

 スラウザーは拳を握った。


 ラウドだけが、目を細めて勇者を見た。


「勇者。怖いのは当然だ。お前は“選ぶ”ことを許されていない」


 勇者が顔を上げる。


「……選べない。俺は勇者だから。神の剣だから」


 アウグスベルグは首を振った。


「違う。お前は人だ。人は選べる」


 勇者は、泣きそうな顔になった。


「……じゃあ、どうすればいい」


 アウグスベルグは、迷いなく言い切った。


「まず“見る”。神の声ではなく、現実を」


 その瞬間、丘の上空に、巨大な光の幕が広がった。


 リディアの魔法だ。

 王都の広場。市場。魔族と人間が並んで働く姿。

 子どもたちが同じ球を追いかけて笑う姿。


 兵たちから、息を呑む音が漏れる。


「……魔族が、子どもと……」

「……殺していない……」


 隊長が叫ぶ。


「見せかけだ! 神に逆らうための――」


 アウグスベルグが切った。


「見せかけなら、半年でここまで形にならない」


 言い切りだった。

 声にブレがなかった。


 勇者は光の幕を見上げ、ぽつりと言った。


「……この国は、怖くない」


 そして、続ける。


「俺が怖かったのは……この国じゃない。……“俺自身”だ」


◆4 崩れかけた列の中で


 そのときだ。


 白い軍勢の後ろから、矢が一本飛んだ。


 狙いは勇者。

 神の声が止まった勇者を「裏切り者」として殺す――その矢だった。


 だが。


 矢は届かない。


 途中で、影が伸びた。

 影の守り手が、矢をつまみ取ったのだ。


 次の瞬間、矢を放った神官兵が地面に倒れる。

 首に刃は当てていない。

 意識だけ、刈り取っている。


 アウグスベルグは隊長へ告げた。


「今のが、お前たちの“神の国”の現実だ。声が消えた瞬間、仲間を殺そうとする」


 隊長は言葉を失った。


 兵の列に、亀裂が走る。

 勇者の顔色が変わった。


「……こんな命令、俺はしていない……」


「だから“見ろ”と言った」


 アウグスベルグは、矢を握りつぶすように見つめる。


「神の名で動く者が、必ず正しいとは限らない。誰かが、その名を使っている可能性もある」


 ラウドが低く笑った。


「やっと“神の国の弱点”が見えたな。信じるものが揺れたとき、いちばん暴れるのは……信じているふりをしていた者だ」


 勇者の肩が震える。


◆5 ルシエルの姿


 遠くから、馬が一頭、丘へ駆け上がってきた。


 夜明け色の髪。

 旅の埃にまみれた服。

 しかし背筋はまっすぐで、目は真剣だった。


「殿下!」


 ルシエルだった。


 リディアが驚く。


「……間に合った……!」


 ルシエルは息を整え、白い軍勢を見渡し、それから勇者を見た。


「……止まっている。戦っていない……」


 そして、アウグスベルグへ深く頭を下げる。


「俺の国は、アトラシアに飲まれかけている。だから俺は戻る。戦を止めるために」


 アウグスベルグは、短くうなずいた。


「行け。だが一人では行かせない」


 スラウザーが即答する。


「俺が行く」


 ラウドが肩をすくめる。


「俺が行けば、神官は泡を吹くぞ」


 ゼノヴァンが鼻を鳴らす。


「我は空から見張れる。行くなら上で守る」


 アウグスベルグは、きっぱり言った。


「行くのは少人数だ。今は“対話”が先だ」


 そして勇者を見る。


「勇者。お前も来い。お前の言葉で、お前の国に説明しろ」


 勇者は唇を噛み、やっと、小さくうなずいた。


「……分かった」


◆6 夜、二人の約束


 その夜、ハイデニアの城。


 リディアは、アウグスベルグの部屋のバルコニーに立っていた。

 風は冷たいが、空は澄んでいる。


 アウグスベルグが隣に来る。


「……怖かったか」


 リディアは、首を振った。

 だが目は濡れている。


「怖かったです。でも……殿下が、ちゃんと前を向いていたから……私は、ついていけます」


 アウグスベルグは少し黙ってから言った。


「俺も怖かった。神の国は厄介だ」


「それでも、行くんですね」


「行く。理が通じない相手なら、理が通る場を作る」


 言い切りだった。

 迷いのない言葉だった。


 リディアはそっと手を伸ばし、アウグスベルグの指を握った。


「殿下。……殿下は、嘘つきじゃありません」


 アウグスベルグが目を細める。


「嘘つきだ。俺の武器は、それしかない」


「違います」


 リディアは、涙をこらえながら言った。


「嘘で人を泣かせる人はいます。でも殿下の言葉は……人を立たせます。守ります。だから――」


 リディアは、少し照れたように笑う。


「殿下は、私にとって……一番かっこいい王太子です」


 その瞬間。


 リディアの視界の端で、何かが“きらり”と光った。


 アウグスベルグの胸の奥――見えないはずの“何か”が、輪郭を持つように見えたのだ。

 薄い文字のような、淡い光。


(……見える……?)


 リディアが息を呑む。


 アウグスベルグは気づかず、ただ言った。


「……ありがとう。俺は明日も進む」


 リディアは強くうなずく。


「はい。どこへでも」


 夜空の月が、二人を静かに照らしていた。


 そして遠く、南の方角。

 アトラシアへ続く道の上に、見えない嵐の気配が流れ始めていた。


——次の“対話”は、きっと簡単ではない。


 だが、ハイデニアはもう止まらない。

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