第39話 神を超える理
1 静かな城下町と、不穏な風
ハイデニアは今日も平和だった。
魔族と人間が一緒に店を切り盛りし、子どもたちは魔法で作った水玉を飛ばして遊ぶ。
半年で国は別物のように変わった。
城の高所からその光景を見下ろしながら、
アウグスベルグは静かに目を細めた。
「……平和というものは長く続くものではない。だからこそ守らねばならない」
隣で書類を抱えたユリウスが、ため息まじりに応じる。
「殿下は本当に油断なさらない。ですが確かに……アトラシアの動きは不穏です」
「神の名を掲げる国、だったか」
「ええ。“理より神の声が上”という国家です。対話の余地は薄いかもしれません」
それを聞いても、アウグスベルグは落ち着いたままだった。
「話せば分かる相手かどうかは、話してみるまで分からないさ」
風が吹き抜ける。
アウグスベルグの横顔は、どこか穏やかだった。
⸻
◆2 ルシエルの半年
ポルトスの王子ルシエルは、ハイデニアで過ごした半年を静かに噛みしめていた。
今では“先生”として子どもに読み書きを教え、
老人に声をかけられて荷物を持ち、
魔族の少女に花を渡されて戸惑い……
すっかり村の一員になっていた。
授業を終えると、少年が駆け寄ってくる。
「先生! 今日もあれ見せて!」
「“あれ”とは……ああ、書き写しの魔法紙のことか。いいだろう」
「すごいよね! 先生の国では使えないの?」
ルシエルは苦笑し、少し肩をすくめた。
「……残念ながら、使えないんだ」
「じゃあさ! 先生、また帰ってきてよ! ずっと教えてほしい!」
その言葉に胸が締めつけられる。
(帰れば……戦火が広がる。帰らなければ……国は混乱する)
(俺は……何を守ればいい?)
⸻
◆3 アトラシアという狂信の国
「殿下、例の地図です」
リディアが広げた地図の上、南端の大国が金色に輝いていた。
「アトラシア神聖連邦。宗教国家……でしたね」
「はい。彼らは“神殿の神託”を絶対視します。
法も税も戦争も、すべて神殿が決めるのです」
ユリウスが険しい顔をする。
「ということは……理や話し合いは意味を持たない」
「その通りです。罪の判断さえ神殿が行います。
しかも——魔族と共にある国は『罪』と教えています」
アウグスベルグは静かに腕を組んだ。
「なるほど。ならば、まずはその判断基準を聞こうか」
その落ち着きに、ユリウスは苦笑するしかなかった。
⸻
◆4 アトラシア大神殿の祈り
一方、アトラシア大神殿では祈りが響き、
数千の神官が膝をつき、紅衣の大司教が立ち上がった。
「神は言われた。
——『魔族と手を結ぶ者を赦すな』と」
「「「神の御心のままに」」」
「勇者を呼び戻せ。
神の剣を振るう時が来た」
荘厳な祈りが大広間を満たし、
壁の巨大な聖像はどこか笑っているように見えた。
⸻
◆5 勇者の恐怖
勇者は中央の広間で膝をついていた。
『勇者よ。お前は我が剣。
魔族と寄り添う国を正せ』
「……ハイデニア……」
勇者の脳裏に、あの夜の光景がよみがえる。
——王太子に剣を向けた瞬間、
——自分の手が震えた。
(怖かった……あの男が……)
『迷うな。従え』
「……はい……」
だが、勇者の声は震えていた。
⸻
◆6 密偵の影
ハイデニア城。影の守り手がひざまずく。
「殿下、アトラシアの密偵と思われる一団を拘束しましたが……
全員が自害を」
「……自我より信仰を優先する兵か。厄介だな」
リディアが文書を差し出す。
「これは……神殿の正式命令書です。
アトラシアは本気で動いています」
「本気かどうかはどうでもいい。
話し合う機会があるなら、まずはそこからだ」
アウグスベルグの声は柔らかくも揺るぎなかった。
⸻
◆7 夜の月と二人の王子
夜、私室のバルコニー。
ルシエルが来て、二人は月を眺めながら話した。
「殿下は……怖くないのですか?」
「何がだ?」
「アトラシアは、“神が絶対”と信じています。
話は通じない相手です。殿下が何を言おうと……」
「そう思い込むのは自由だ。
だが、我々の側にも話すべき理がある。
それを伝えずに引く気はない」
「……殿下は、神より人を信じているのですね」
「当たり前のことだ。
神の言葉が、人の理より常に正しい保証などどこにもない」
ルシエルはその言葉に胸を打たれた。
⸻
◆8 アトラシアからの宣告
翌朝。ユリウスが血相を変えて駆け込む。
「殿下! アトラシアより高位使者が到着!
これが書簡です!」
アウグスベルグは封を切り、静かに読み上げた。
『神の名において告ぐ。
理を偽り神の声に背く国を、粛清する』
「……なるほど」
ユリウスが焦った表情で言う。
「殿下! ハッタリはポルトスには通じませんでした!
アトラシアにも通じる保証など……!」
「ポルトスは“特別”だっただけだ。
今回も試す価値はある。
話が通じる相手かどうかは、直接会って確かめる」
そう言い切った声には、一切の迷いがなかった。
⸻
◆9 ルシエルの出立
夕刻。ルシエルは馬上にいた。
「行くのか」
「はい。
ハイデニアが神の敵ではないと……私の言葉で伝えたい」
「止めない。だが、命は軽く扱うな。
必ず戻ってくると約束しろ」
「……はい」
スラウザーが叫ぶ。
「困ったら叫べ! すぐ迎えに行く!」
ゼノヴァンが空を見上げる。
「我が上空から見張っている」
ラウドはため息をつきながら言った。
「死ぬなよ。これから忙しくなるんだ」
リディアが“遠見”を発動し、街の人々がルシエルに手を振る。
「先生! 戻ってきてね!」
ルシエルは胸にこみ上げるものを押さえ、深くうなずいた。
「——必ず」
⸻
◆10 アトラシアの神聖軍
国境近く。
白い軍勢が地平線に広がる。
五万の神聖軍。
先頭には勇者の姿。
剣を握る手が震えていた。
『行け。勇者よ。我が声に従え』
(……嫌だ……だが……)
勇者はゆっくり歩み出した。
⸻
◆11 丘の上の王太子
丘の上で、アウグスベルグは冷静に構えていた。
「来たな」
スラウザー、ゼノヴァン、ラウド、リディアが並び立つ。
「準備はできているか?」
「はい、殿下!」
リディアの魔法で空に巨大な光幕が広がる。
ハイデニアの街並み、魔族と人の暮らしが映し出される。
アウグスベルグの声が大地に響き渡った。
「アトラシアの神聖軍に告げる。
まずはこれを見ろ。
我々の国の暮らしを。
魔族と人が互いに助け、働き、笑う姿を。
——それでも罪と言うなら、その根拠を示せ」
勇者が顔を上げる。
「殿下……!」
「話に来い、勇者。
剣ではなく、言葉を交わすために」
⸻
◆12 勇者の決断
勇者は剣を下げた。震える手。
『迷うな。斬れ』
(……無理だ。あの人を……斬れるわけがない)
勇者の膝がついた。
「勇者さま!?」
「神の声に逆らうのか!」
アウグスベルグは静かに告げた。
「それが“お前の理”なら、正しい選択だ」
⸻
◆13 神の声、沈黙
ふいに、世界が静まった。
勇者は息を呑んだ。
(……神の声が……聞こえない……)
アウグスベルグが前に歩く。
「話せ、勇者。
神ではなく……お前自身の言葉で」
勇者の瞳に涙が浮かぶ。
「……怖かった。
あなたが……」
「そうか。ならば、話が早い」
⸻
◆14 理は神を越える
白い軍勢の誰かが叫んだ。
「勇者は堕ちた! 神が試されている!
全軍——突撃——!」
だがその前に、ゼノヴァンの咆哮が空を裂いた。
五万の兵士が一斉にうずくまる。
ラウドの影が広がり、
スラウザーの拳が空気を揺らした。
その中で——
アウグスベルグが軽く手を挙げただけで、
全軍が動きを止めた。
「動く必要はない。
今日は戦うつもりはない」
その声は、五万の軍勢さえ静めた。
⸻
◆15 神の国との“対話”
勇者が剣を地面に置く。
「……殿下。俺は……どうすれば……」
「簡単なことだ。
お前の国の神殿に伝えればいい。
“神の声より現実を見ろ”と」
勇者が大きくうなずく。
「五万の兵に告げる!
——剣を下げろ!
今日、我々は戦わない!」
白い兵士たちがざわめき、
やがて鉄の音が連続して響いた。
剣が次々と地面に落ちていく。
◆16 夜明け
丘の上に朝日が差し始めた。
「殿下……神の声、本当に消えています」
リディアが驚く。
「そうか」
アウグスベルグは空を見上げ、淡く言った。
「理が勝ったのだろう。
神にも、理解してもらいたいものだな」




