第30話 半年で変わった国
1 市場の朝
半年。たったそれだけで、王都の朝は別の景色になった。
市場の魚屋では、若い漁師が目を閉じて指を弾く。「――今、沖の南側。群れが浅場に寄ってる」
店主が笑う。「当たりだ。さっき入った箱も南の網だ」
漁師の耳には、海の“響き”が小さく届く。誰にでもできるわけじゃないが、港では同じことができる者が十人を超えた。昔は潮目の勘に頼ったが、今は半日早く荷が揃う。氷箱は保管庫の魔法持ちがまとめて管理し、腐りにくい。塩の消費も三割減った。
八百屋では、老夫婦が並んだ野菜に掌をかざす。「はい、しなびないように」と小さく呟くと、葉がしゃんと立つ。孫が目を輝かせる。「ばあちゃん、魔法かっこいい!」
老夫婦は笑う。「難しいことはしてないさ。水分を逃がさない小さな術だよ」
保管庫の魔法を扱える店は増え、日持ちしない青物の損耗が激減した。商人組合が出した数字では、青果の廃棄率は半年前の四分の一。税収の底上げは、こういう日常の積み重ねから生まれている。
2 畑の昼
郊外の畑では、虫除けの札を打つ音が続く。
若い農民が肩で息をしながら、畝の端に札を差し込む。「これで小さな虫は近づけない。強い薬は使わなくていい」
隣では、別の農民が両手を広げる。空気が少し揺れ、畝の中に細い水の道が走る。「今年は干ばつでも、畝ごとに水を引ける」
ユリウスが控えに書き込む。「――害虫被害、三分の一に減。収量、一・八倍。保管庫使用で保存期間延長」
数字は嘘をつかない。胃は痛むが、結果は出ている。
3 学び舎の午後
王都の学び舎では、人間と魔族の子どもが机を並べる。
「火は危ない。指先から爪の先ほど。ここまでで止める」
魔王ラウドが前に立つ。難しい理屈は一切言わない。見せ、やらせ、止める。できたら褒める。
「できた!」と人間の少年が指先に小さな火を灯す。
隣の翼の少女は、火ではなく、紙の文字を薄く浮かせて写す。「転写、成功」
ラウドは頷く。「よし。理屈は後からでいい。まずは“できる感覚”だ」
教室の後ろで、リディアが微笑む。彼女の拡声は今や授業の標準装備だ。声は端の席までくっきり届く。
「殿下の言葉どおり、“結局は感覚”で動く子が多い」とラウドは小声で言う。「主の国は、規格外だ」
4 鍛錬の夕方
騎士団の訓練場。砂埃の中に、五人のスラウザーがいた。
「分身、展開」
本体が構え、四体の分身が波のように散る。相手は竜形態のゼノヴァン。爪が地面を抉り、尾が空を裂く。
――が、分身たちは消えない。消えたと思えば次の瞬間、別の角度から本体が踏み込む。
「そこだ!」
スラウザーの拳が、ゼノヴァンの顎の下へ。骨までは砕かない“手加減”の拳。それでも竜の巨体が半歩よろめく。
見守る兵が息を呑み、魔族の戦士が低く唸る。「人の身で、竜を動かした……」
ラウドが目を細める。「分身の気配が消えていた。匂いも気配も希薄。戦場で使われたら厄介だ」
ゼノヴァンは笑った。「強い。面白い。次は俺が三割、速くする」
それでもこの半年、模擬戦の勝ち越しはスラウザーが上回った。剛力と剛体に、身体強化と分身が重なる。常識の外にある強さだが、彼は自分を誇らない。「殿下を守るために強くなる。理由はそれだけだ」
5 水と食の備え
城下の水場では、保管庫持ちと水出し持ちが交代で詰めている。
「飲み水、今日の分を出します」
水の魔法使いが、清水を樽に満たす。検査役が口をつけ、「問題なし」。
保管庫の魔法持ちは、穀物の倉に手を当てる。「ここに保管」と呟く。ふっと重みが抜け、扉の向こうの空間は静かに満ちる。
ユリウスが倉の出入りを確認する。「穀、豆、塩。干し肉、干魚、根菜。――一年分、十分にある」
もし包囲されても、飢えることはない。水も食も、今は自分たちの手で生み、守れる。
6 税と人
税務所の窓口には、今日も列ができる。
「去年より取るのか?」
役人は首を振る。「税率は同じ。取引が増えた。だから税が増えた」
商人たちは笑う。「売れるんだ。腐らないし、遠くまで運べるし、魔族の客も増えた」
ユリウスは帳簿を閉じて、小さく息をついた。税収は二倍。人口は二千五百万を突破した。移住者は人間だけでなく、迫害を逃れてきた魔族も多い。衝突はあったが、決定的な分断は起きなかった。
「あの広場の映像は効いた」と、彼は思う。王太子が全土に見せた、魔族が受け続けた迫害の記憶。あれで多くが泣き、少数が国を去った。痛みを伴ったが、国は一つに寄った。
(半年でここまで――)
ユリウスは震える指を握りしめた。
(殿下。あなたの言葉が、ここまで国を変えた)
7 ゼノヴァンの“手加減”
ゼノヴァンは、最も苦手だったことを克服した。
「手加減」だ。
かつては力の一撃で、敵も味方も吹き飛ばしてしまった。今は違う。翼で砂を巻き上げ、視界を奪い、爪先で武器だけを弾く。噛みつく代わりに、敵の背後に気配だけを置いて退路を封じる。
混戦になっても、彼は兵を傷つけないで戦える。
「俺も学んだ。強さは、壊すだけではない」
8 リディアの視点
リディアは日々、王都を歩いた。
市場では帳簿をつける娘に「数字の読み方はこれでいい?」と身を屈め、農村では老人の手を取り「無理はしないで」と微笑む。
兵舎では、兵の分隊長に問いかける。「分身は、いつ消えやすい?」
「気が乱れた時、長くは持ちません」と分隊長。
「では、隊列の呼吸を合わせる訓練を増やしましょう」
リディアは看破で“いま足りないもの”を見つける。だから指示が早い。
夜、王太子と帳を向かい合わせにして、彼女は言う。「殿下、魔法の上達が早いのは、皆が“できる前提で動く”からです」
王太子は笑う。「だろうな。できると思うから、体のほうが先に進む」
9 ラウドの驚き
魔王ラウドは、何度も目を細めた。
「感覚でできる者が、こんなにいるとは」
彼の世界では、攻撃魔法を使えるのはごく限られた素質持ちだった。理を学び、構築を覚え、それでも使えない者が大半だった。
だが王太子の国では、言葉ひとつで壁が外れる。「お前にもできる」。それだけで、火が灯る。水が出る。身体が軽くなる。
「主の言葉は、枠を壊す。だから動く」
ラウドはそう結論づけた。
魔族の戦士三千は、スラウザーの隊と連携訓練を重ねる。伝令の流れは二倍に速くなり、混成部隊の呼吸は日ごとに合っていく。
10 子どもと日常
夕暮れ、石畳を掃除する少年が、箒を持ちながら小声で呟いた。「軽く」
箒の先がふわりと浮き、砂だけが集まる。
通りの角では、年配の女が腰をさすり、水のひと口を掌に出して飲む。「助かるわぁ」
酒場では、人間の楽師と魔族の太鼓叩きが同じリズムを刻み、笑い声が混じる。
半年で、魔法は日常になった。魔族は“怖い”相手から“働く仲間”になった。
もちろん全てがうまくいっているわけではない。偏見は残るし、喧嘩もある。だが、暴動は起きない。怒鳴りあいの最後に、誰かが水を差し出し、誰かが箒を出す。小さな魔法が、最後の一線を越えさせない。
11 王太子の独白
夜、城の塔で、王太子は一人、街の灯を眺めた。
(……半年で、ここまで来た)
自分の言葉が現実を引っ張る感覚は、今も掴み切れていない。成功する時もあれば、効かない時もある。自分の強さを大きく言えば言うほど、うまくいかないことも知っている。
だから彼は、いつも“皆でできる話”をする。
「俺がやる」ではなく、「俺たちでやる」。
信じる声が増えるほど、現実は動く。
(……半年は、守れた。ここからが本番だ)
12 半年の前夜――作戦会議
期日の前夜。
王太子は、スラウザー、ユリウス、ラウド、ゼノヴァン、リディアを円卓に呼んだ。
壁には地図。港、街道、関所、広場、城内――書き込みで埋まっている。
ユリウスが報告する。「税収は二倍。備蓄は一年以上。水も十分に賄えます。兵の魔法習得率は九割。騎士団・魔団ともに身体強化は全員が会得。攻撃魔法は個人差はありますが、実戦で使える者が過半です」
スラウザーが続ける。「混成の動きも良い。魔族の三千は強い。ラウドの隊の突入と、俺たちの面で押す形が合ってる。ゼノヴァンは“手加減”完璧。混戦でも味方を傷つけない」
ゼノヴァンが頷く。「約束した。友の国では、牙は味方に向けない」
ラウドは唇の端をあげた。「使節団が何を言おうと、背後で剣が抜かれれば、我が兵は一息で止める」
リディアは書板を持ち、静かに口を開く。「心の準備も必要です。民は強くなりましたが、言葉で揺さぶられるのに弱い。だから――殿下、広場で先に宣言を」
王太子は頷いた。「分かった。先に“線”を引く」
13 譲らない線
王太子は円卓を見渡し、短く息を吸った。
「おそらく使節団は理不尽な要求をしてくる。港の開放、兵の引き渡し、税の上納、魔族の排除……。俺は、一切譲歩するつもりはない。何があってもだ」
言い切った。
円卓に沈黙が落ちる。
だが、それは恐れからではない。
スラウザーが最初に笑った。「当たり前だ。殿下が引く理由なんか、どこにもねぇ」
ゼノヴァンが翼をたたみ、低く唸る。「友の言葉が線だ。俺はその線の外を、炎で焼く」
ラウドは軽く頷く。「対等。それだけだ。我らは従わぬ。従属も、臣従もいらぬ。主は主、我は我。だが並ぶ」
ユリウスは手帳を閉じた。「腹は決まっています。あとは手順です。交渉は王城の外広場。民に見せます。敵は言葉で揺さぶるでしょうが、民の前では無茶はしにくい」
リディアは王太子を見た。「殿下の言葉が、皆の心を固めます。どうか、いつもの調子で」
王太子は笑みを見せた。「任せろ。“結局は感覚だ”。できると思えば、できる」
14 それぞれの夜
スラウザーは武具を磨いた。分身は長時間は持たない。だから決める場面で使う。拳をゆっくり握って開く。「殿下の前で、誰にも好き勝手させない」
ゼノヴァンは天守の上に座り、夜風を受けた。「俺は手加減を覚えた。だが、線を越える者には容赦はない」
ラウドは魔族の営舎を見回る。三千の兵の呼吸は整っている。合図一つで、いつでも動ける。
ユリウスは灯の下で最後の確認を続ける。関所の配置、斥候の網、輸送路、医療班、保管庫の鍵の割り当て。魔法が広がっても、最後に動かすのは段取りだ。
リディアは窓辺に立って街の灯を見つめる。(私は、殿下の言葉を支える声になる。届かせる。国じゅうに)
15 朝
夜明け。
王都の空は澄み、風は穏やか。
広場には柵が組まれ、壇が組まれ、旗がはためく。人の波が押し寄せる。
王太子は壇裏で一同を見渡した。
「半年、よくやった。――あとは、来るのを待つだけだ」
その声に、全員が即座に頷いた。
「もちろんだ」
「我らはここにいる」
「すべて、用意はできている」
「殿下、行きましょう」
王太子は一歩、壇へ。
胸の内で、静かに言う。(俺は譲らない。誰も傷つけさせない。俺たちの“今”は俺たちで決める)
彼の背に、国の半年が乗っていた。
――そして、使節団の“期日”の朝が、始まった。




