第2話 ハッタリ王子、隣国の使者を迎える
海風の間
王城南塔の海風の間。
潮風が窓から流れ込み、青いクロスをかけた長卓の上で地図をはためかせた。
兵士や侍従が整列し、空気は緊張で張り詰めている。
「ザルツベルグの使者、ご到着です!」
侍従の声に続き、重厚な扉が開いた。
豪奢な外套をまとった男と、二名の随員が堂々と入ってくる。
――ザルツベルグ王国。
人口三千万以上、常備軍十万、農業も鉄鉱も潤沢。
比べれば、人口八百万・兵三万のハイデニアなど蟻のようなものだった。
使者は部屋を一瞥し、口元に嘲りを浮かべる。
「狭いな……我が国の前庭の片隅ほどもない」
随員が肩を揺らし笑う。
宰相は奥歯を噛みしめ、胃の奥を押さえた。
(……恥辱だ。だが、ここで怒れば開戦だ……)
その横で、王太子アウグスベルグ・ハイデニアJr.は椅子に座ったまま、落ち着き払って言い放った。
「広すぎると、声が遠くなる。遠い声は声ではなくなる」
沈黙。
使者は眉をひそめ、「は?」と漏らす。随員は顔を見合わせる。
だが兵士たちは「さすが殿下だ!」「深い……!」と感嘆の声を上げ、背筋を伸ばした。
宰相は頭を抱えた。
(意味が……意味が一切ない! だが兵が納得している! 胃が死ぬ!)
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難癖その一:漁村アシェル
使者は地図を広げ、赤い線を指で叩いた。
「国境沿いの漁村アシェル。古文書に“我が属領”とある。よって税も治安も我が国が担う」
宰相の喉がひゅっと鳴る。そこは港の要衝。取られれば国は干上がる。
王太子は腕を組み、堂々と言った。
「紙は燃える。燃えたら真実も灰になる。だから信用できない」
随員が机を叩いた。「子供の理屈だ!」
だが兵士たちは一斉に「確かに!」と頷いた。
宰相は胃を抱えて崩れそうになる。(バカな……なぜ納得する……!)
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難癖その二:関税
「さらに!」
使者は声を荒げた。
「ザルツベルグ商人の通行税を倍にしているではないか! 不当だ!」
王太子はにこりともせず、即答した。
「倍にしたから、通行が半分になった。結果的に公平だ」
「なにぃ!?」
随員が机をひっくり返しそうになる。
だが兵士たちは「公平……!」「数学だ……!」と目を輝かせた。
宰相は頭を抱えた。(算数にもなっていない! 胃が爆発する!)
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難癖その三:通行証
「さらに! 国境の通行証。発行に三日も待たせるなど侮辱だ!」
「三日待てない者に、国を越える資格はない」
王太子は自信満々に断言した。
随員が立ち上がる。「暴論だ!」
兵士たちは「名言だ……!」と感嘆する。
宰相は机に突っ伏しそうになった。(暴論だ! だが兵の心を鷲掴みにしている!)
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スラウザーの実演
随員の一人が剣に手をかけた。
「言葉遊びでは国境は守れぬ!」
「なら、剣で守ればいい」
スラウザーが立ち上がり、巨体で影を落とす。
剣は抜かず、足を踏み鳴らすだけで床が震えた。
随員は思わず後ずさり。
王太子はすかさず言った。
「剣は抜かなくても勝てる。抜くのは素人だ」
兵士たちが「深い……!」と感動し、スラウザーは目を潤ませる。
宰相は胃を押さえ、震えた。(それはただの無茶だ……!)
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幸運その一:鳥の群れ
その時、窓の外を無数の鳥が横切った。
王太子は即座に言った。
「見よ、鳥も国境を越える。誰も止められぬ」
使者が言葉を失う。
兵士たちは「自然の理だ……!」と感嘆。
宰相は(偶然だ! 完全に偶然だ!)と胃を握り潰した。
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海の神の加護(王太子の大見得)
王太子は一呼吸置いて、声を張った。
「我らには海の神の加護がある。普段は争いを好まぬお方だが、敬虔なる信徒である我らを害するものには、天罰を下す」
使者の随員が鼻で笑いを漏らす。
「宗教で脅すのか」と使者。
だが兵士たちは一様に背筋を伸ばし、目が潤んだ者すらいる。
宰相は(やめてくれ……そんな大見得を! 宗教論争に発展したらどうする!)と青ざめる。
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幸運その二:天罰めいた突風(船破損)
言葉が床に落ち切らぬうちに、窓の向こうで異様な喧騒が上がった。
城下の港で停泊していたザルツベルグの一艘――大きな商用帆船の帆が、突如強風に煽られ、マストに大きな負荷がかかった。
悲鳴に似た金属音が響き、巨木のマストが折れ、帆柱がいくつか海へ落ちた。帆布は裂け、船体は横滑りして岸壁へ激しく衝突した。大きな破損だ。
狼煙があがり、港の者が慌てて走る。
使者は顔面蒼白、随員は息を呑んだ。
王太子は窓から港の惨状を一瞥して、何事もなかったように言った。
「ほら、天罰というのは口先だけで呼べるものではない。だが、神が悪事を看過すると思うのか?」
使者は声を失い、ただ狼狽えて退席の準備を始める。
随員のうち一人が震える声で呟く。「天が害したようだ……」
宰相は床に崩れ落ちそうになる。だが、兵士たちは立ち上がって歓声をあげる。
「殿下、海の神は我らに味方している!」とスラウザーが叫び、思わず拳を空に突き上げた。
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退場と熱狂
「……本日のところは、持ち帰って協議とする」
使者は言葉少なにそう言うと、慌ただしく退室した。
扉が閉まると同時に、兵士たちの歓声が爆発する。
「殿下万歳!」
「やはり《統治》と《幸運》の極を持つお方だ!」
スラウザーは目を潤ませ、「やっぱ殿下はすげえ!」と叫ぶ。
宰相は机に突っ伏し、胃を押さえながら呻いた。
(全部ハッタリだ……全部偶然だ……なのに、なぜこうも人を動かす……! 胃が死ぬ!)
王太子は海を背に両手を広げ、誇らしげに言い放った。
「これが我が国の外交だ」
兵たちの歓声がさらに高まり、宰相の胃は限界を迎えた。
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余韻
城下は騒然となり、瓦版を持つ男たちが走る。
「殿下、海の神が我らを守った!」と広伝され、酒場では杯が重く打たれる。
使者は早馬で城を離れ、ザルツベルグへ戻って報告した。首都の会議では吐き捨てるような声が上がるが、内心では“天罰”の偶然が気になる者もいる。
宰相は夜になっても胃を押さえたまま、灯りを落とさず帳簿の端を撫でる。
(偶然が重なる――だが、偶然が殿下を助けるなら、国は進める。胃は痛いが、国は動く)
スラウザーは眠れぬまま剣の柄を撫で、王太子は窓の外の波を眺める。
三人の足取りは、今日も揃っていた。




