15話「厄災竜、涙して友を求む」
1 伝承と恐怖
ハイデニアには古くから伝わる言い伝えがあった。
――百年に一度、厄災の竜が現れ、国を呑み込む。
その竜は過去に大国の軍十万を焼き払い、山を崩し、城を灰に変えた。
討伐に挑んだ勇士も魔導師も、一人として戻らなかったという。
そして今。
昼の空が突如かき曇り、巨大な影が王都を覆った。
翼一振りで嵐が巻き起こり、屋根瓦が吹き飛ぶ。
「竜だ!」「終わりだ!」
街は恐怖と混乱に包まれ、誰も立ち上がれなかった。
――本来なら、まだ眠りについていたはずの竜。
だが、王太子アウグスベルグが広場で放ったハッタリ――
「我が国を脅かすものがあれば、竜すら目覚めて討つ!」
その虚勢が、皮肉にも現実となり、竜の眠りを揺り起こしてしまったのだ。
長い眠りを妨げられた厄災の竜は、怒りに満ちていた。
その咆哮が空を裂き、王都全体を震わせた。
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2 王宮の混乱
王宮でも鐘が鳴り響き、広間は騒然となった。
王は蒼白な顔で呻く。
「伝承は……真実だったのか……」
王妃は祈るように胸を押さえ、ユリウスは帳面を落としそうな手で必死に冷静を装った。
「……大国ですら抗えぬ厄災。国が……滅びます」
スラウザーだけが剣を抜き、血走った目で空を睨む。
「来るなら俺が斬る! 殿下は俺が護る!」
だが兵たちは顔を引きつらせ、足がすくんで動けなかった。
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3 王子の直感
ただ一人、王太子アウグスベルグだけが竜を見上げていた。
その目には恐怖がなく、むしろ確信のような光が宿っていた。
「……あいつ、寂しいんだ」
小さな呟きに、ユリウスが驚いて振り向いた。
「殿下!? なぜそんなことを……!」
王子は深呼吸をし、壇に上がって叫んだ。
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4 ハッタリの叫び
「俺とお前は友になれる! お前は寂しいのだろう? 心が泣いている!」
民衆は凍りついた。
「殿下が竜に……?」「そんなことを言って……!」
それでも王子は胸を張り続けた。
「我が国の民はそなたを恐れたりしない! 対等な友として歓迎しよう!」
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5 孤独と裏切りの記憶
竜の赤い瞳が輝き、人々の頭に映像が流れ込む。
――果てしない空を一人で飛ぶ竜。
仲間を求めて同族に近づけば、彼らは恐れながら頭を垂れ、決して隣に並ばない。
――人の里に降り、子どもと笑い合おうとした。
だが返ってきたのは悲鳴と矢。
――心優しい魔導師に心を許した。
だが裏切られ、鎖に繋がれ、兵に売られそうになった。
幾度となく、竜は友を求めた。
しかし返ってきたのは恐怖と裏切りだけだった。
孤独。
信じたいのに、信じられない。
その痛みが民の胸に突き刺さり、涙ぐむ者さえいた。
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6 試す竜
竜が王太子に向き合う。突如巨爪が振り下ろされる。大地が砕けるほどの一撃。普通の兵なら一瞬で消し飛ぶ。
だが、その前に立ちはだかったのは――スラウザーだった。
「殿下に指一本触れさせるかよッ!」
彼は両腕を広げ、その巨大な爪を素手で受け止めた。
轟音と衝撃で地面が陥没し、砂塵が爆ぜる。
兵士たちは目を疑った。
「……人間が……俺の爪を……止めた?」
竜の赤い瞳に驚愕が走る。
スラウザーの目が黄金に輝いた。
「神眼……ここだ!」
彼は隙間を見抜き、剣を突き立てる。
硬い鱗を裂き、黒い血が飛び散った。
「ぐっ……!」
竜が呻き、体をのけぞらせる。
だがスラウザーは一歩も退かず、にやりと笑った。
「俺はただの人間だ。でもな、殿下を守るためなら――竜だろうが神だろうが、ぶっ倒す!」
竜の胸に電撃のような感情が走る。
(……この小さき者……俺を傷つけ、押し返しただと……?
人間に、ここまで驚かされるとは……!)
竜は尻尾でスラウザーを払うと咆哮を上げ、王太子に向けて口を開いた。
喉奥に炎が渦巻き、空気が焼け、石畳が焦げた。
「殿下が……食われる!」
「逃げてください!」
ユリウスは青ざめ、スラウザーはすぐに起き上がり、剣を握りしめて前に出ようとした。
だが王太子は一歩も退かなかった。
炎に照らされても、瞳は揺らがない。
「友が俺を食うはずがない」
その言葉に、竜の動きが止まった。
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7 涙する竜
灼熱は消え、竜の瞳から大粒の光がこぼれた。
誰も彼を「友」とは呼ばなかった。
恐れ、逃げ、裏切るばかりだった。
だがこの王子は違った。
死を前にしても一切怯まず「友」と言った。
「……友よ……」
竜の声は震えていた。
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8 民の声
一人の農民が涙を流しながら叫んだ。
「殿下だけじゃない! 俺たちもだ! ハイデニア全員がお前の友だ!」
声は次々と広がり、波のように重なった。
「俺も!」
「私も!」
「友だ!」
広場は「友だ!」の声に包まれた。
その響きが竜の胸に届いた。
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9 名を求める竜
竜は翼をたたみ、轟音と共に地に降り立った。
頭を垂れ、涙に似た光を落としながら告げた。
「……我は幾度となく裏切られ、孤独に沈んできた。
だが今、友を得た。
だが……友と呼ばれるにふさわしく、我には名がない。
孤独に生き、誰にも呼ばれることがなかった。
王子よ。……お前に、名をつけてほしい」
広場が息をのんだ。
王も王妃も、兵も民も、誰もが王太子の答えを待った。
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10 ゼルヴァンの誕生
王太子は竜の額に手を置き、迷わず言った。
「ならば――お前は今日からゼルヴァンだ。
孤独を越え、永遠に我らを守る友として、その名を贈る」
竜は目を大きく見開き、涙を流した。
「ゼルヴァン……! それが、我の名……!」
次の瞬間、竜の咆哮が空を震わせた。
だがそれは恐怖の声ではなく、友を得た喜びの声だった。
広場は歓声に包まれる。
「ゼルヴァン! ゼルヴァン!」
王妃は涙を流し、王は震える声で言った。
「……息子よ……お前が国を救った……」
スラウザーは笑い泣きし、ユリウスは頭を抱えて呟いた。
(……信じられぬ……だが、現実だ……!)
王太子は振り返り、にやりと笑った。
「な? 友達は名前で呼ぶ方がいいだろう?」
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11 結び
こうして厄災の竜は「ゼルヴァン」として名を得、
孤独を越えてハイデニアの守護竜となった。
絶望は歓喜に変わり、国に新たな伝説が刻まれた瞬間だった。