第11話 揺らぐリミナリア宮廷
1 銀の魚が覆う玉座
ルミナリア王宮。人口二千万を誇る中堅大国、その中心。
荘厳な大理石の床、燭台に揺らめく光、豪奢な赤い絨毯。
常ならば荘厳と秩序に満ちた玉座の間は――その瞬間、常識を裏切られた。
床一面を覆う銀色の魚。
跳ねる音、飛び散る水しぶき。魚の鱗が光を反射し、広間全体を銀色に染めていた。
「な、なんだこれは……!」
父王が玉座から立ち上がり、声を張り上げた。
「光鱗……!? この時期に、こんな数が……!」
「誰が運んだのだ! どうやってここまで――」
重臣たちが口々に叫ぶ。
だが誰一人、説明できる者はいなかった。
魚は空から降ってきたのだ。
それ以外に答えようがない。
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2 通信の魔道具が映す現実
その光景を、リディアも同時に目撃していた。
胸元にかかる小さな青白い水晶――通信の魔道具が、父王の玉座の間を映している。
彼女は青ざめた顔で、水晶越しに呟いた。
「……殿下の言葉通りです。説明は……できません」
その声が、ルミナリアの広間にそのまま響いた。
王も重臣も、口をつぐむしかなかった。
「リディア……本当に、あの男が言ったのか」
父王の声は低く重い。
「はい……『君の国にも贈り物を』と」
広間に重苦しい沈黙が広がった。
魚が跳ねる音だけが、規則的に響く。
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3 動揺する重臣たち
「こ、これは……幻惑では?」
「魔道具による幻術かもしれません!」
重臣たちが必死に言葉を探す。
だが、兵士が魚を手に取った瞬間、広間は凍りついた。
「殿下! これは本物です! 血も流れますし、匂いも……!」
赤い血が床を汚し、魚の生臭さが充満する。
それは幻惑でも幻影でもなかった。
重臣の一人が呟く。
「まさか……本当に一千億が……」
別の者は蒼白になり、震える声で言った。
「いや、そんなはずは……だが……」
言葉は続かない。
目の前の現実が、常識を否定していた。
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4 父王の葛藤
父王は玉座の前に立ち、拳を握りしめた。
(馬鹿げている……。小国の王子が、我らに贈り物を? 常識では考えられぬ。だが――これは事実だ。虚偽どころか、説明不能の真実がここにある)
彼は娘に問いかけた。
「リディア。お前の《看破》ではどう見える」
リディアは深く息を吸い、正直に答えた。
「……王太子殿下は《統治(極)?》《幸運(極)》と……しかし、背後に靄のような層があり、もう一つ……看破できない存在があります」
広間がざわめいた。
「看破不能……?」「そんなことが……」
「はい。私の《看破》では掴めません。ですが、殿下の言葉と現実が一致する瞬間を……何度も見ました」
父王は椅子に崩れ落ちるように座り込み、深いため息を吐いた。
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5 重臣たちの対立
「陛下、これは脅威です! いまのうちに兵を動かし、制圧を――」
「愚か者! この状況で戦を仕掛けるなど、自殺行為だ!」
「だが、放置すればいずれ我らが呑まれるぞ!」
「ゆえにこそ、むしろ結ばねばならんのだ!」
広間は怒号で満ちた。
賛成派と反対派が入り乱れ、剣を抜きかける者さえいた。
「やめよ!」
父王の一喝が響く。
「我らはもはや、軽んじられる立場ではない。あの男の言葉を見た。否定はできぬ。ならば――選ぶべきは恐怖ではなく、利用だ。婚姻を結び、力を取り込め」
その言葉に広間が静まり返る。
反対する者も、声を失った。
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6 リディアの揺らぎ
リディアは通信越しに父の決断を聞き、胸の奥に熱を覚えた。
(利用……そう言うしかないでしょう。でも、私は知っている。これは利用などできる力ではない。私の《看破》でさえ届かない――本物だから)
思い返す。
兵が風を起こした瞬間。
鳥や魚や虫が国を守るかのように動いた瞬間。
影が敵兵を押し倒した瞬間。
そして――港に光鱗が現れ、父王の玉座にすら降り注いだ瞬間。
(殿下の言葉は、現実になる。説明不能。それなのに……私は怖いよりも、惹かれている……)
王妃の微笑、ユリウスの理知、スラウザーの優しさ。
ハイデニアという国の雰囲気そのものが、彼女の心を動かしていた。
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7 父と娘の対話
「リディア」
父王の声が低く響く。
「はい」
「お前の使命は変わらぬ。あの男の真実を、最後まで見極めろ。たとえ婚姻を結んでも、心を奪われるな」
リディアは胸元を押さえた。
「……承知しました」
(でも……心を奪われるな、ですって? もう……遅いのかもしれない)
その思いは声に出せなかった。
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8 王宮に残る波紋
重臣たちは散りながらも、誰も目を合わせられなかった。
光鱗の残骸が床を覆い、匂いが広間に残る。
それが「現実」である証だった。
やがて兵士たちが魚を片付け、樽に収め始める。
それでもなお重臣たちは震えていた。
「……これが、八百万の小国の力か」
「いや、小国ではない……もはや怪物だ」
恐怖と畏怖が入り混じり、誰も軽口を叩けなくなっていた。
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9 リディアの決意
通信が途切れる直前、リディアは王太子の姿を見つめた。
いつものように軽く笑い、肩をすくめている。
それが逆に、彼女の胸を強く打った。
「……殿下。わたくしは、あなたの隣に立ちます」
小さな声だったが、確かに届いた。
王太子は笑みを深め、「頼りにしている」と答えた。
その瞬間、リディアの心は定まった。
(政略で来たはずだった。虚を暴くために来たはずだった。
けれど――もう違う。私は、この人の隣にいたい)