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おばあへ

作者: 葵枝燕

 おばあ。お元気ですか? そちらでは、楽しく過ごしていますか?

 私は……あまり、元気とはいえません。身体は健康かと思います(職場の方々が体調崩す中、一応ピンピンしてる方なので)が、それでも、記憶にあるおばあみたいに元気かと問われると、違うと思います。

 さて。

 おばあが亡くなって、二十年目の今日が、もうすぐ終わろうとしています。

 あの日、九歳の小学四年生だった私が、もうすぐ三十歳になろうとしています。来月末には、三十路の仲間入りです。……そう見えないというか、そう思えないなって、正直思います。少しは、成長してるといいのですが。

 あの日のことは、今も、鮮明に思い出します。記憶、というよりは、あのときの気持ちを、思い出します。

 今でも、後悔ばかりの別れ方です。思い出したら、涙がこぼれそうです。

 あのとき、〝泣かないで、笑顔で、おばあを見送る〟——なんて、子ども心に決意を立てました。でもそれは、脆くも崩れました。霊柩車を追いながら走る車の中で、しゃくりあげて泣いて、歳下の従妹に慰められるなんて醜態をさらして……今でも、あのときの自分がゆるせずにいます。

 それは、誰に言ってもどうにもならなくて。ずっとずっと、私の中に、(くすぶ)って、残り続けて、消えてくれない感情です。

 それだけきっと、おばあのことがだいすきで、おばあは大切な人なのだと、いうことなのかもしれないけれど。

 数日前まで、本当に元気で、「またね」を言い合って——ってしたおばあが、あの日突然に旅立ってしまってからずっと。私にとって、〝九月八日〟は、特別な日です。何があっても、忘れてはいけない日です。

 私が、憶えている限りずっと、この先も。おばあのことを想って、感じて、話していきたい。

 去年も、今年も、私が仏壇に供えた花束には、ヒマワリの花がありました。おばあが生きていた頃、好きな花について話したこともなければ、好きな色についても話したことがなくて、私はいつも、おばあのためにと選ぶ花に迷ってしまいます。知らないことが多いのだと、気付かされます。でも、なんとなく、笑顔がすてきで、最期の最後まで元気だったおばあには、あの黄色のヒマワリが、似合うような気がします。今年は、八重咲きのヒマワリと、観賞用のナス(花ナス、というらしいです)を選びました。八重咲きのヒマワリは、見た瞬間に一目惚れしたからです。花ナスを選んだのは、おばあの名前に似てたからです。それをおばあちゃんに話したら、笑ってくれました。

 ねえ、おばあ。もっと一緒にいたかったって、今も思います。私だって、おばあと十三祝いの写真撮りたかったって、思います。一緒に写真撮ったお姉ちゃんが、羨ましくて、ずるいって思います。

 思い出しては、後悔ばかりで、泣いてしまうこともあるけど。それでも、私は、おばあと過ごした日々が、あの別れも含めて、宝物だと思います。

 長くなったけれど、この先もきっと、おばあのこと、だいすきです。

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 葵枝燕です。

 短編『おばあへ』のご高覧、誠にありがとうございます。

 昨日九月八日は、おばあ(私の母方の曾祖母)の命日でした。

 あれから、早いもので二十年。その一つの節目として、この文章を書きました。

 今でも、思い出せば後悔ばかりで、涙が溢れてくるのですが、それでも、私にとっては大切な出来事だったのだと思います。

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