ゴナーガール
この作品は公式企画『夏のホラー企画2025』の為に描いた作品となります。ですので、軽度のホラー要素が含まれます。苦手な方はブラウザバックしてください。
「ねぇ躑躅、今日はゲームを買ってきたんだよ?私ゲーム下手だから教えてよ。」
「おっ、格ゲーは得意なんだよ!強くなりすぎて、友達とやっても楽しく無くなってきたんだ。教えてやるから、互角に戦えるようになるまで強くなれよ!」
「流石躑躅、何をやらせても1番なんだ!私、強くなるから、覚悟しててよ?」
教えてもらったコマンド、全部覚えたの。君の言葉は全部覚えてる。崇拝にも近いこの愛を、受け入れてくれた大好きな人。君がいれば私は何もいらないの。
明日も私をそばに置いて欲しいの。
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7月26日
夏休みが始まった。学生は大抵の人が喜び、浮かれ、遊ぶ。彼女———胡蝶桔梗もその1人である。
「躑躅と川に行く約束しちゃった。今からでも待ちきれないな。」
最愛の親友、白躑躅と川へ行く約束ができた。
躑躅は少しばかり家は離れているものの、歩いて5分、桔梗なら走って1分ほどで着く距離のご近所さんである。幼稚園で遊ぶようになり、家族ぐるみで仲の良い幼馴染である。
「躑躅、どんな水着が好みかな。」
今日はその日の為に、ショッピングに行く。少し遠くて、とても暑いが、躑躅の為ならば苦でもなかった。
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8月2日
買い物に行く道中、近所のご婦人と偶然顔を合わせた。彼女は笑顔で笑いかけてくる。大丈夫、いつも通りにしていれば。平然を装え。
「あら、胡蝶さんのところの娘さんじゃない。こんにちは」
「加藤さん、こんにちは。」
うまくいったと思う。きっとそうだ。そうでなくては。
「おでかけ?」
「はいっ。ショッピングモールまで。」
「こんな暑いのに、そんな遠くまで?若いっていいわね…気をつけいってらっしゃい。」
「ありがとうございます、いってきます。」
取り繕えた。とても自然な『優等生』。彼のために積み上げてきた『皮』が剥がれ落ちないように。私は私で、彼以外の誰にも左右なんてされないし、されてはいけない。私の『皮』は彼という存在の為の物。彼を信じるのなら、愛するのなら、剥がすなんてしてはいけない。
ぴしゃり と、音がする。石に水がぶつかったような音。
思わず肩を振るわす。私の考えている音ではないと分かっていても、加藤さんが水を撒いた音と理解していても。
私は『ショッピングモールに急ぐ』と、自分に言い訳をして走り出した。
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8月1日
学校の校庭にいた。空は曇り空。
目の前にはセーラー服を着た女子生徒。しかし、頭部は兎。
数分、数時間、あるいは数秒見つめ合う。
雲によって光源を失い、ハイライトの消えた真っ黒な目。見つめている間に、中に吸い込まれるようで、光すらも飲み込むブラックホールを前にしているような。
自然と足を前に出す。
地面を踏んだ。少なくとも私はそう感じた瞬間だった。私は廊下にいた。
兎が前に3人、あるいは3羽。目を細くする。こちらを笑っているような気がする。
馬鹿にするような笑い。
私は何かしただろうか。
———何もしていないだろう?
ふと、後ろを向いた。そうするべきな気がした。体の動くままに、振り向いた。
そこには大きなハサミを持ったウサギが立っていた。そのハサミは松の木を切るような、庭園用のハサミ。首なんてすぐ切れてしまいそうな大きさのハサミ。持ち手は木製で、紙を切るハサミと違って質素で機能性しか求めていないような、断ち切り易さを追求したような見た目。
喉は「カヒュッ」と、声にならない空気だけを出す。
「アハハハハハハハハハハハハハハ」
3羽の兎達は、大きく甲高い声で笑いながら走り出す。
その笑い声と、強く踏み込んで走る足音で正気に戻る。
私も走り出した。後ろの足音はどんどん大きくなる。
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
耳に突き刺さり、鼓膜をさぶるような高い声。すぐそこまで来ている。
突然目の前の兎がこちらへ手を差し出す。縋るように手を重ねる。
走って、走って走って。兎と私は屋上へ辿り着く。思い切り、ドアを開ける。
息が切れ、右手を繋がれたまま、その場にへたり込む。それを兎は腕を引っ張り立ち上がらせた。ふと、後ろを振り向く。
ドアの枠の向こうは闇だった。何も見えない闇。入ってしまえば戻れないような、手探りで何か見つかるものもないような。異空間に繋がっているような。
暗闇に視線を釘付けにされていると、左手も別の兎が握っていた。気づけば、これは列だ。横一列に並んだ者は手を繋ぎ、その列が何個もある。
声の様な、何も意味のない音の様なものを兎達は発している。メロディーがある。しかしそれは、音程が違う。ぐちゃぐちゃで、ハーモニーのハの字もなくて、声でもなくて、喉を震わせているだけの様で。
騒音に気を取られていたが、気づいたことが2つあった。1つ目は後ろに列ができている事。2つ目は
列が前に動いている事。
もう1度、状況を整理する。私は今、『屋上』で列に並んでいる。両手は拘束されている。
どれだけ振り払おうとしても、全く手は動かない。兎達は同じ方向を向いて、真っ黒な瞳で何かを笑っている。ひとしきり笑った後は歌の様なものがまた始まる。その間に、前へ進んでいく。
前の列が先頭となった。一体、それより前の列はどうなったというのだろうか。
「十三夜兎は餅をつき、子望月には準備をし、十五夜兎は月を見る。十六夜兎は余韻を楽しむ。
無月に兎は何を見る?」
耳が慣れたのか、ノイズ混じりに歌詞が聞こえてくる。
「無意味なお前は何をする?無意味なお前は他者殺める。」
意味深な歌詞に足がすくむ。しかし、ちょうど兎達の歩みも止まった。
「いっせーのっ!!!」
前の列の兎達は一斉に繋いだ腕を振り上げ、
屋上から飛び降りた。
大きな音があたりに響き渡る。音が鳴り止んだ後、一羽が声を上げる。
「キャハハ」
「「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」」
他の兎も呼応するかの様に笑い出す
「なんなのよ…これ…」
歌がまた始まる。歩き始める。腕を引かれる。
「いやっ…嫌ぁああああああ!」
「いっせーのっ!!!」
足は浮遊感を覚え、桔梗は起き上がる。
額には汗が滲んでいた。時計は朝4:44分を指している。
部屋の角には、頭が異様に大きいヒトガタがいた。全身が黒く闇に紛れているが、対照的に、大きく赤黒い目は脳裏に焼き付いていく。
「お前が殺した」
無機質にも思えるほど、目線は動かない。何を考えているのかわからない。
「お前も、同じ苦しみを 味わうべき」
「…ちがう」
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない
布団を被る。耳を塞いでも聞こえる声を遮断する方法を探す。いくら探してもそんなものはなかった。
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7月30日
いよいよ明日は待ちに待った躑躅とのお出かけ。日焼け止めに着替え、サンシェードも用意したし、BBQコンロも準備は万端。
「バイクの燃料も入れておかなくちゃ」
躑躅と一緒に免許を取ったバイク。一緒にお出かけする為に取った免許。最初は私が躑躅をどこまででも乗せてってあげると言ったのに、躑躅は
「お前と行ったところのお土産たくさん詰めるだろ?思い出たくさん持ち帰りたいじゃんか。」
と、言ってみせた。
いつ思い出しても顔が火照る。彼は恋心なんて抱いていないのだろうが、それでもいい。私はあなたが幸せでいてくれれば。
ただ、その傍に私がいたならどんなに幸せだろうか。
少しでも幸せになる手伝いをする為に、明日の準備をする。
「浮き輪にビート板、電動空気入れ。これは川に行くときは必須よね。あとは…救急箱、止血バンド、タオルとかいっぱい。全部入れるとむっちゃ怪我を最小限にできる…なんてね。」
怪我をしないのが1番。怪我をする前に、私が躑躅を守れば必要なんてないもの。それでも、万が一に備えて詰め込んでいく。
「躑躅…大好き。」
恍惚の表情で、彼を思って荷造りした鞄を撫でる。
「…さてと。明日のご飯の下準備しなきゃ。」
躑躅を思いながら、桔梗の1日は終わったのであった。
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7月28日
桔梗は夏休みの勉強を進めている。勿論宿題は、コンマ1秒でも多く躑躅のことを考えたいので終わらせているのだが。もしも躑躅がわからない問題がある時に、完璧に教えられるように、教え方を考えているのだ。
「躑躅は頭も良いし、教えることなんてないと思うけど。…困っていた時、いち早く助けてあげたいし…。」
小学生でも分かるような教え方を心がける。ノートにわからなくなりそうな部分を書き出し、それを1つづつ解説を書き込んでいく。なるべく図解で、読む気の失せるような長文は書かないようにする。
全ての科目を書き込んだ後、黒く伸びた髪を結び、出かける準備をする。
「水分、ハンディファン、氷よし。いくか、バッティングセンター。」
今日はバッティングセンターへと向かう。基本の体力作りに加えて、体育で野球を扱った際のフォームの練習。
「最低限、躑躅に釣り合うようにならないと…!」
そう溢し、ジョギングがわりに走って行ったのだった。
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8月3日
薬局帰り、ご近所のご婦人に会った。今日も水撒きをしている。
ピシャリッと、言う音に肩を震わす。
もう前なんて見えない。それが精神にのしかかるプレッシャーなのか、水を飲むことを忘れていたからなのかはわからない。
目の前が暗くなる。その中に陽光を反射するものだけが白く映る。
「あ□、桔梗□□んじゃ□い。おは□う。た□ちょ□わ□そう□けど、□い□□う□?こ□□に、やせ□そっ□□って…」
耳鳴りがうるさい。耳が歪むようなほど。大きい声であればあるほど耳鳴りも大きくなる。そのせいで何を言っているのかがわからない。
「あはは〜…」
今、私は取り繕えているのだろうか。そうでなくては困る。
「さ□き□、躑躅君□ない□れど…どこ□□か□□ない?桔梗ちゃ□、なか□□っじゃ□□。」
ほとんど「雑音」のようなところから、形を持った「音」を拾う。パーティカクテル効果というやつだろうか。重要なところは聞き取れた気がする。
「躑躅なら、うちにいますよ。最近とまってるんです。ご飯食べたり、お風呂入ったり、寝たり…。」
ちゃんと会話は続いているだろうか。
「そう□□□。□あつい□とで、わか□っ□□□□□〜。□□□□□□□□〜。」
耳鳴りはますばかり。
「すみません…体調が悪くて…。お先に失礼します…。すみません。」
「□□、□□□□□□□□□□□□!□ち□る?」
何を言っているのかわからない。善意なのか、それとも怒っているのか。声からして、そんなことはないと思うが。
うるさい蝉の声に対抗するかのように、耳鳴りもさらに大きな音で響く。お互いが高め合い、私の脳を割ろうとする。
「早く帰って、躑躅にお昼ご飯作らなきゃ…。」
その一心のみで、家まで気力を保つ。しっかりと家に辿り着くと、安心から気絶してしまった。
それに伴い、持っていたレジ袋からは大量の消臭剤がこぼれ落ちた。
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7月29日
私は躑躅の部屋へ来ていた。
「終わった〜!!!ねぇ、ベット乗って良い?良いよね⁈」
「乗って良いぞ。そんなに乗りたいか…?」
「わ〜い!」
勉強終わりに思いっきりかつ、壊さないようにベットにダイブする。躑躅はダメな時はダメだとハッキリ言ってくれるので、実は思いっきり甘えていたりする。
今日だって、本当は終わっている宿題を教えてもらいに来ている訳で。そんな事しなくても、家で遊んでくれるのだが、ダメな子ほどこちらを向いてくれるかなと考えた結果である。
好きな異性の部屋に来ている訳で、少し悪いことしたくなったりして。
「ほら、一緒に休憩しよ?私指先とか冷たいよ、快適にお昼寝できるよ?」
ハグしてくださいと言わんばかりに、腕を伸ばす。
「ベットが狭くなるだろ?一緒に寝たいなら、俺は床で寝るから。」
「…うすらとんかち。
躑躅が床で寝るなら私も床で寝る!」
「今日日聞かない罵倒されたんだけど⁈あと、なんでお前も床で寝るだよ!」
なんだかんだで、相手の主張を尊重してくれる君が好き。2人隣に寝転んで、夢の中へと向かうのだった。
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8月4日
躑躅と来た川へと、躑躅と足を運ぶ。
「大丈夫…一緒にいて欲しいだけだから…。傷1つ付けないからね。」
川下へと向かっていく。だんだん、水の音が大きく、激しくなる。
「君、1人で何をしているんだ。現場の調査を行うから帰りなさ」
「私、1人じゃないの!!!」
くるりと、声の方へ振り向いて見せる。
どう?私の大好きな人。とてもカッコいいでしょう?
私は重力に身を任せ、後ろへと———滝の中へと身を投げた。
ああ、警察の人だったんだ。驚いてくれたなぁ…躑躅の顔の良さには誰だっておど
8月4日16時27分
警察本部 鑑職課員⬛︎⬛︎ ⬛︎⬛︎⬛︎の呼び掛けの直後
現場からの飛び降り自殺を図ったと思われる。28分後に救急隊が到着。⬛︎⬛︎病院へと搬送。意識不明である。
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7月31日
躑躅と川へ来ていた。
「川の奥は深いから気をつけてね?」
「わかってる…よっ!」
「わぷっ⁈やったな〜?お返しだっ!!!」
潜ったりはせず、水をかけ合ったり、魚を探したりして遊んだ。
ひとしきり遊んだ後は、BBQコンロを設置し、昼食の準備を始める。今日の為に、奮発いっぱい買ってきた牛肉を網に並べる。生にならないよう気をつけて、できるだけ柔らかい時に引き上げる。躑躅のためにどんどん焼いていく。
「桔梗、変わるよ。今度は桔梗がいっぱい食べて。たくさん食べたし、食休みって事でさ。」
「で、でも…ふ、太っちゃうし…?」
「昔、いっぱい食うほどには好きだっただろ?それに、桔梗は丸くなっても可愛いままだよ。
俺が腹いっぱいになるまで食わせてやるから覚悟しろ!!」
「他の女の子に丸くなるなんて言ったら怒られちゃうよ?…でも、ありがとう!」
そんな雑談しながら、肉と野菜を焼いていく。いつでもどこでも躑躅は優しくて。それは私にだけでは無くて。ジェラシーを感じたりもするけれど、それより、誰にでも優しい君が大好き。
だから
目を話した隙に、川へ飛び込んでいた。躑躅の飛び込んだ音でようやく気づいた。子供が溺れている事に。
子供が溺れる時は音がしないケースがある。それだけじゃ無くて川の音で声もかき消されている。
走れ、走れ。唸れ私の腕。今まで鍛えたのは何の為か思い出せ。
思いっきり浮き輪を投げる。躑躅に浮き輪が届く。しかし、焦って暴れる子供を庇いながら流れる彼には掴む力が足りず、流されていく。
先の無い川をどんどん進んでいく。
仰向けに浮くのを諦め、彼の腕の中で暴れる子供を抑え込むように、抱きしめる。
「躑躅っ‼︎‼︎‼︎」
ゴシャッ
彼の姿が見えなくなり、時間が経ってから、形容するにはその擬音が適切であろう、鈍い音がする。
ピシャリと飛沫が足に叩きつけられる。
自分のカバンを掴み、全速力で滝の下まで駆ける。
そこには、一緒に落ちた浮き輪に捕まる子供と、赤い川があった。
「躑躅ッ!!」
急いで躑躅を引き上げ、敷いたタオルに頭を乗せる。止血、いや、呼吸、止血
…止血が先。肺と心臓を圧迫した時に、血液が出過ぎないように。血液がなければ酸素は回らず、心臓マッサージの意味が無い。
ガーゼん取り出し、頭に巻く。止血バンドで止め、ダメ押しで包帯も巻く。
首を横にして、舌が軌道を塞がないようにする。心臓を一定のリズムで圧迫する。
「心臓ッ…動いてッ!心臓…動けばッ肺の水も咳で出る…はずっ!…肺もッ 圧迫されろッ…水ッ…出てきてっ!」
いくらやっても、心臓の音が聞こえない。これでは人工呼吸をしようが、酸素を送る器官が動いていないので意味は無い。
「動いてッ…動いてよぉっ‼︎‼︎」
どれぐらい経っただろうか。長い間していた。腕時計は1時間後を示している。虫も寄ってきている。
「…子供。ずっと見ていたの…?」
小さく頷く。泣きそうな顔で俯いている。
「…私も、この人も怒ったり…しないわ。ただ、疲れてるだけなの。一緒に上まで戻りましょうか。」
躑躅を抱え、子供と一緒にBBQをしていたところまで戻る。
火は弱くなり、網には黒い塊がこびりついている。
「ここから川上は高低差は少なかったはず。川上のキャンプ場から来たの?」
子供は頷く。
「…パパとママが心配してるわよ。お姉ちゃんは、お兄さんをお家まで連れて行ってあげないよいけないの。泣かないで戻れる?」
目を張らしながらも子供は強く頷いた。
「強い子ね。何か聞かれたら、『かっこいいお兄ちゃんが助けてくれた。お兄ちゃんも無事。』って言って。
泣かないで戻る事、お兄ちゃんに助けられた事、お姉ちゃんとの約束だよ。ほら、家族の元へ帰りな!」
子供はぐっと涙を堪えながら、川上へと走って行った。
「それじゃあ…私達も…帰らなくちゃね…。」
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病室で目が覚めた。肘から先と、腿から先の感覚がない。さらに視界も狭い。肩には点滴が付いている。顔には酸素ボンベと思われるものが。
「…胡蝶さん目覚めたんですね。ちょっと待っててください。担当医を呼んできますから。」
看護師は退出すると、医師と思われる人を呼んで来た。
「胡蝶桔梗さん。率直に申しますと、頭部の右側、右目、腕と足に後遺症が残ります。貴方は右側の脳があまり使えないと思ってください。」
ああ。だからか。右脳は記憶できる量が多く、左は少ないと言われている。記憶なんかが途切れ途切れだ。そして、右の脳は人間同士において顔を覚える時に使う。
こんなにも、脳内が『白躑躅』で溢れているのに、顔が一切分からない。具体的なことは何も分からないのに、ただ『白躑躅』が『良い物』という感覚しかない。
そうか。私はもう、目の前に白躑躅がいても気づけないのかもしれない。頭を独占するほどの人物にはもう会えないのかと思うと、心がとても痛くて、苦しくて。
この苦しみから逃れようにも、四肢が動かないのであれば。
ただ、自害もできず。苦しみながら、生かされていくんだな。
その思考に辿り着き、桔梗はただ、夢の中へと思いを馳せることしかできなかった。
おはこんばちゃ〜、みちをです。
どうでしたでしょうか。僕自身ホラーが苦手だったりするので、軽めのホラーという感じになったと思います。
わかりやすい伏線散りばめたのでコメントに書いていただけると嬉しいです。