なんでも欲しがる妹とあきらめてしまった姉の話
「そのドレス素敵! ダリアお姉さま、あたしそれ着たい! いいでしょ?」
エレナのカン高い声が室内に響く。
また始まった。
妹のエレナは私のものをなんでも欲しがる。
今日のターゲットは、昼食会に着ていくために贈られたモスグリーンのドレスだ。
「いいわよ、着てみたら?」
私が言うのが早いか、エレナはドレスをさっと手にとった。
「わあい! さっそく着ちゃおうっと」
大げさな声ではしゃぎながらエレナは服を脱ぎはじめた。
◇
ずいぶんあっさり譲ってくれたな。
このドレス、確か婚約者からのプレゼントじゃなかった?
お姉さまっていつもそう。
別に私はいらないからいいよって感じ。
なんだろう……そういう態度をとられると、なんだかあたしがすごくいやしいって言われてるみたいで嫌になる。
さっきまであんなに欲しかったのに、袖を通したとたんにドレスはなんだか色あせて見えた。
◇
「お姉さまだけずるい!」
はじめに言われたのは、確か降誕祭の朝だった。
私に贈られたクマのぬいぐるみを見たエレナが騒ぎだしたのだ。
可愛らしいぬいぐるみは少し惜しかったけど、エレナが騒ぐ方が嫌だった。
「いいよ、エレナにあげる」
「やったあ! これ、エレナのものだぁ」
あれから、服に、アクセサリーに、果てはケーキの上のイチゴまで、なんでもほしがる妹にいろんなものを譲ってきた。
「今度の昼食会、これで行こうっと」
エレナは鏡の前でくるりと回ると楽しそうに言った。
「え! 昼食会……来るの?」
あ、まずい。
エレナが途端に不機嫌そうな顔になる。
「なんで、そんなこと言うの?」
昼食会は婚約者であるアーネストから招待されたものだ。
バーベキューだし、ひとりくらい増えても問題はないだろうけど、エレナも結婚を控えた身だ。
男性が多く集まる場所にあまり行くべきではないのではないか。
「お姉さまの意地悪!」
それにしても、なんでこんなに声が大きいんだろう。
こんなに近くで話しているのに。
「ごめん、いいよ、一緒に行こう」
エレナはすぐに機嫌を直して鏡をのぞき込む。
「やった! バーベキュー楽しみ」
私のものをなんでも欲しがる妹。
まさか、私の婚約者まで欲しがるなんてことはないと思いたい。
◇
肉もワインも本当はあまり好きじゃない。
でも、人が集まる場所は大好き。
みんな楽しそうにしてるし、笑顔であたしに話しかけてくれる。
思いっきり巻いた髪は我ながら可愛いし、なんだか、今日はいいことがありそうな予感がする。
お姉さまはいつもと同じ、地味なドレスに、髪型もストレートに下ろしたまま、アクセサリーもつけてない。
婚約者に会うのに、そんなんでいいのかな。
まるで、お姉さまからとったドレスで着飾ってるあたしへの当てつけみたい。
「初めまして、アーネストです」
爽やかに笑うアーネストさまを一目みた瞬間に、体中に衝撃が走った。
「は、初めまして……エレナです」
緊張して、声がうまく出ない。
顔が赤くなってるのが自分でもわかる。
だって、こんなにかっこいいひと初めて見た。
あたしの婚約者と全然違う。
来月の結婚のことを思い出して楽しかった気分が少し沈んできた。
なんなんだろう……本当に、世の中って不公平だ。
◇
エレナは猫みたいに体を丸めて静かに寝息をたてている。
起きている間はあんなに騒がしいのに、こうやって眠っている姿は可愛らしい。
女たちが静かに眠る部屋を抜け出すと、階下から声をかけられた。
「昼寝しないのか?」
婚約者のアーネストだった。
「ああやって、集まって眠るのは苦手なの」
階段を下りながら言うと、アーネストは笑った。
「じゃあ、俺と寝るか」
「そのうちね、それより書斎を開けてよ」
この家の書斎はいつ来てもワクワクする。
アーネストの祖父が集めたという異国の本や古代の本はロマンのかたまりみたいだ。
「なんでお前に贈ったドレスを妹が着てるんだ」
夢中で本を選ぶ私の後ろでアーネストが不服そうに言う。
「しょうがないじゃない。あの子、欲しい欲しいって言い出したら聞かないのよ」
今日はこれにしよう。
砂漠の国を思わせる、幾何学模様の装飾が施されている本を手にとる。
「それにしても、もう少し着飾ってくれてもいいんじゃないか」
「地味な女は嫌い?」
私がゆっくりと振り返ると、アーネストはニヤリと笑った。
「大好きだ」
◇
目が覚めたらもう帰る時間になっていた。
夕暮れの中、馬車に揺られながら、思い出すのはアーネストさまのことばかりだ。
結局あいさつのひと言しか話せなかった。
なんでなんだろう。
世の中にはあんなにすてきな人がいるのに、なんであたしは10個以上も年上の成金と結婚しなきゃいけないんだろう。
◇
エレナは来月結婚する。
相手はダイヤモンド鉱山を掘り当てて莫大な富を築いた実業家だ。
たまたま立ち寄ったこの田舎町で、道案内をして二言、三言交わしただけのエレナをいたく気に入ったらしく、その日のうちに結婚の申し込みがきた。
結婚が決まってから、こんな田舎では見ることも叶わないような豪華なドレスやアクセサリーが次々に届いたけど、エレナは目もくれなかった。
そう、エレナが欲しいのは『物』ではないのだ。
ふと窓の外に目をやると、小さい女の子がクマのぬいぐるみを大事そうに抱えて家族と歩いているのが見えた。
◇
アーネストさまのお屋敷は歩いたらまあまあ遠かった。
途中で道に迷っちゃったし、やっとの思いでたどり着いたころにはもうへとへとだった。
「ごめんくださーい」
門を開けてくれたお手伝いさんが「誰?」って顔であたしを見る。
「どのようなご用件でしょうか」
まあ、すんなり入れてくれるわけはないか。
どうしようかな……まさか、アーネストさまにひと目会いたくて来たなんて言えない。
あ、そうだ。
「先日、昼食会に招待していただいたのですが、忘れ物をしてしまったみたいで……」
とっさによく思いついた。自分をほめてあげたい。
「こちらへどうぞ」
お手伝いさんはにこりともせずにあたしを通した。
「エレナじゃないか」
屋敷に入って2秒でアーネストさまに会った。
「アーネストさま!」
ちょっと待って、こんなすぐに会えると思わなかったから心の準備が……いやそれより、名前、覚えててくれたんだ、うれしい。
「どうしたんだ?」
「忘れ物をされたみたいで」
「忘れ物はもういいの」
お手伝いさんの言葉をさえぎってあたしは言った。
ふたりとも、「???」って顔でこっちを見た。
ああもう、ぜったい変なやつだと思われてる……でももう乗りかかった船だ。
「あたし……あたし、アーネストさまに会いに来たの!」
◇
裁ちばさみで真っ赤なベルベットのカーテンを切り裂く。
思ったより赤いな……でも、世界は広いんだし、どこかには赤いクマもいるだろう。
これをどうしたらいいんだ……胴体と、頭と、あと脚もいるのか。
ふぅーっと息を吐く。
先は長そうだ、少し休憩しよう。
エレナは朝から出かけているみたいで、家の中は静かだった。
◇
「ほどほどになさいませ」
お茶の用意をしたあと、なんだか含みのある言い方をしてお手伝いさんは部屋を出て行った。
「ええと、それで……なんの用?」
アーネストさまはちょっと戸惑ったような顔であたしに話しかける。
バシッと正装でキメた姿もかっこよかったけど、普段着でくつろいでる姿もやっぱりステキだ。
でも、なんて答えればいいのかな。
だって、用なんてないんだもん。
ただ会いたくて、アーネストさまのことを考えたらいてもたってもいられなくなって、気づいたら家まで来ちゃってた。
どうしよう……なにか言わなきゃいけないのに、目の前にアーネストさまがいると思ったら緊張してなにも言葉がでてこなくなっちゃう。
「なにか悩みでもあるのか?」
優しい声で言われてあたしは顔を上げる。
「ダリアには言えないことか?」
あたしは黙って頷いた。
「あの、あの、あたし……」
心臓の音がうるさいほど大きく聞こえて、なにをいってるのかもうわからなくなる。
「アーネストさまが欲しいの!」
言っちゃってから、恥ずかしくなった。
もしかして、すごく変なことを言ったんじゃないの?
「ほう」
アーネストさまはちょっと悪そうな顔で笑うと、椅子から立ち上がった。
◇
なんか、きれいな丸にならないな。
頭部になるはずのものを見ながら首をかしげる。
中身を入れればそれっぽくなるのかな。
もっと、裁縫を練習しておけばよかった。
家を継ぐためにはそんなこと必要ないと思ってた。
きっと、そうやって切り捨ててきたものの中に大事なものは沢山あったんだろう。
とりあえず手を動かそう。
赤くて分厚い布地はなかなか針が通らなかった。
◇
「俺が欲しいの?」
近い。
すごく近い。
アーネストさまがあたしの両肩に手をついて瞳をのぞき込んでくる。
ドキドキしすぎておかしくなっちゃいそうだ。
これから、どうなるの?
アーネストさまはふっと笑うとあたしの肩から手を離した。
「いや、ダメだろ」
アーネストさまはそう言ってソファの隣にドサッと座った。
「え、え?」
「ダメに決まってるだろ、妹なんていちばんダメだ」
い、妹じゃなかったら何が起こってたのかな……それでもまだ距離が近くてドキドキがおさまらない。
「それに……お前、結婚するんだろ? なんかダイヤモンド王みたいなのと」
それを聞いて、高ぶってた気持ちがすっと冷めた。
なんだか、一気に現実に戻ってきちゃった気分だ。
「お姉さまから聞いたの?」
びっくりするほど険しい声が出た。
「あ、どうだったかな……でも、この町では相当有名だぞ」
いきなりテンション急降下のあたしを見てアーネストさまは心配そうな顔になる。
「嫌なのか?」
「嫌って言うか……」
あたしは両手で顔を覆う。
「断って、もらえると……思ってた」
あの日、町でレストランの場所を聞かれて案内した。
会話らしい会話なんてしなかったのに、その夜に結婚を申し込まれた。
「家でね、お姉さまの方が大事にされてることはわかってた……でも、そんな……よくわからない人にうちの娘はやれないって、言ってくれると思ってたの」
でも違った。
両親はふたつ返事であたしの結婚を決めた。
あたしの気持ちもなんにも聞かずに。
「それで、なんか、本当にあたしのことなんて、どうでもいいんだなって、あたしのことを大事に思ってくれる人なんていないんだなって……思ったら、もう嫌になっちゃって」
お姉さまとあたしは何が違うんだろう。
両親から大事に思われて、アーネストさまから愛されて、なんでも持ってるのに、いつもなんだかつまらなそうな顔をしてるお姉さま。
「ずるいよ……いつも、お姉さまばっかり」
顔を覆っていた手に、温かい手のひらが添えられた。
優しくあたしの手をとると、アーネストさまはそっと唇を重ねた。
◇
エレナが欲してやまないものが何なのか、私は知っていた。
それはドレスでもアクセサリーでも、もちろんケーキの上のイチゴでもない。
でも、私は知らないフリをした。
知らないフリをして、エレナに物を与え続けた。
もちろん、それでエレナの空白が満たされることはない。
エレナは私のことを許してくれるだろうか。
◇
唇が合わさった瞬間、感じたことのないような甘い衝動が体の芯に走った。
そしたら、急に怖くなってきた。
これは、ドレスやアクセサリーを譲ってもらうのとは意味合いが違うのかもしれない。
このまま先に進んじゃったら、もう2度と、お姉さまの前に顔を出すことなんてできなくなっちゃうんじゃない?
「ご……ごめん、ちょっと、まって」
あたしの懇願は当然のように無視された。
「何言ってるんだ、今さら」
再び重なった唇の間から舌が優しく攻め入ってくると、もう全身に力が入らなくなっていた。
◇
初めて妹を見たとき、幼かった私は『それ』を人間だと認識しなかった。
赤黒くて、皮がダルダルしていて、獣のような生々しいにおいを放ちながらカン高い声で泣き叫んでいた。
その姿は妙にグロテスクで、目をそらしてしまったことを覚えている。
「大丈夫、あなたはまだまだ若いんだから……これから何人だって産めるわよ」
静かに涙を流す母に、誰かが優しい声で言っていた。
妹は、わりと長いあいだ妹だったと思う。
髪が生えそろって、やっと人間らしくなってきた頃、エレナと呼ばれるようになった。
◇
痛い、痛い、痛い。
苦しくて息が止まりそうになる。
もう嫌、こんなの嫌だ、もうやめて!
心はそう叫んでいるのに、口から出るのは全然違うことばだ。
「欲しいの……もっともっと……もっと欲しいの……」
あたしは、狂ってしまったのかもしれない。
◇
降誕祭の朝、プレゼントが用意されていたのは私だけだった。
エレナの誕生日を祝った記憶は一度もない。
食卓ではいつも学問の話に世情の話……エレナが何を言ってもあまり相手にされなかった。
ドレスもアクセサリーも、エレナに与えられることはなかった。
誰もエレナの話を聞かない家の中で、次第にエレナの声は大きくなっていった。
そのことに、気づかなかったわけじゃない。
ただ、エレナを哀れに思う以上に、私はうらやましかった。
この家から、この町から出ていくことができる妹のことが。
異国の文字が読めたって、古代の本が読めたって、この家に縛りつけられてどこにも行くことができない私と違って、自由なエレナが妬ましくて仕方がなかった。
「痛っ!」
指に思いっきり針が突き刺さった。
◇
また間違っちゃった。
あたしが欲しかったのはこれじゃなかったみたいだ。
涙を見られないようにアーネストさまに背を向けていたら、後ろから腕をまわされた。
生温かくて少し湿った肌が背中に触れる。
「ごめんな」
耳元で聞こえた低い声に体が反応する。
「どういう意味?」
腕のなかで寝返りを打ってアーネストさまをにらむ。
アーネストさまはあたしの顔を胸に押しつけるようにしてぎゅっと抱きしめると、髪を撫でながら静かに話しはじめた。
「俺はな、お前の欲しいものを与えてやることはできないんだ」
どくんと胸が鳴った気がした。
何が欲しいのかもわからないままに、なんにでも手を伸ばすあたしの浅ましさは、アーネストさまにはとっくにばれてたの?
「俺だけじゃない、それは、誰にも埋められない……友達でも、恋人でもな。残酷かもしれないけど、お前の人生では、きっと手に入らない部分なんだ」
なんでこんな急に哲学的なことを言い出したのかな……賢者タイムってやつ?
「ただな、それはお前だけじゃない、みんな何かしらの空白を抱えて生きているんだ。俺も……ダリアもそうだ」
「お姉さまも……?」
思わず顔を上げると、アーネストさまは優しい目で頷いた。
「ダリアがどんなに欲しくても、決して手に入らないものをお前は持ってるんだよ」
そう言ってアーネストさまはあたしの頬に軽くキスをすると、笑った。
「似たもの姉妹だな」
◇
この狭くて埃っぽい田舎町から、私は出ることが許されない。
まだまだ若かったはずの母は、それ以上子どもを産むことはなかった。
そしていつのまにか私は『かわいいお嬢さん』から『しっかりした跡継ぎ』に変わっていた。
「いつかお婿さんを迎えて、この家を継いでもらわなきゃね」
そう言われるたび、自分の人生が、ひどく窮屈でつまらないもののように感じた。
その頃から、本を読むようになった。
本の中の世界だけでも、好きな場所に自由に行けるような気がしていた。
同じようにこの田舎町に辟易して、女の子をひっかけて遊んでいたアーネストとは妙に気が合った。
◇
帰りはアーネストさまが馬で送ってくれた。
「いいか、お前が暴漢に襲われてたところを俺がカッコよく助けたってことにするぞ」
真剣に話すアーネストさまが面白かった。
「そんなの絶対バレるって、いいよ、なんか適当にごまかしておくから」
そう言ってあたしはアーネストさまの服をぎゅっとつかむ。
たぶん、アーネストさまともう会うことはないけど、あたしは今日のことは一生忘れないんだろう。
◇
エレナが帰ってきた。
騒がしく階段を登る足音がする。
あまりうまくできなかったけど、どうにか完成してよかった。
私はベルベットのクマを袋に入れると、エレナの部屋をノックした。
◇
部屋がノックされて心臓が止まるかと思った。
お姉さまがあたしの部屋に来ることなんて滅多にない。
もしかして、何か気づかれちゃった?
おそるおそるドアを開ける。
お姉さまは小さな包みを持って部屋に入ってきた。
「エレナ、あの、これ」
包みの中から出てきた物を見て、あたしは小さく悲鳴をあげた。
アンバランスに大きい頭に、いびつな形の手足がついているような……目? のところにはボタンがぶら下がっていて、真っ赤なそれからところどころはみ出ている綿には血が滲んでいた。
「何これ……特級呪物?」
「ち、違うわよ! クマよ」
お姉さまは恥ずかしそうに言うと、なにやら気持ちの悪い布のかたまりをあたしに手渡した。
「クマ?」
「私が作ったの」
「お姉さまが?」
思わず聞き返すと、お姉さまは頷いた。
「エレナに、何かプレゼントできないかと思って……」
あたしはじっと呪いのアイテムみたいな赤い物体を見つめる。
「あの、ちゃんと、言っておこうと思うの。その、エレナが私のことをどう思ってるかわからないけど、私はエレナのこと、すごく大事に思ってる。お嫁に行った先が嫌だったら、いつでも戻ってきたらいいから、ここはエレナの家だし……」
お姉さまが何やら一生懸命しゃべるのを聞きながら、ぬいぐるみのようなモノを見ていたら、急に涙がこぼれた。
「私はずっとここにいるから」
◇
よかった、ちゃんと最後まで言えた。
エレナはさっきからずっとクマのぬいぐるみを握りしめながら泣いている。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
できればありがとうって言ってほしいところなのに、いったい何を謝ってるんだろう。
あと、相変わらず声が大きい。
あまり仲がいいとは言えなかったけど、たった2人だけの姉妹だ。
こうやって思いを伝えられてよかった。
エレナは来月、結婚する。
エレナからのお願い。
ねえ、あたし、ポイントが欲しいの。
え? こんな辛気くさい話にポイントなんてつけるかよって?
じゃあ、リアクションでも、感想でもいいの。
ねえ、ちょうだい! いいでしょ!
最後まで読んでいただきありがとうございます。