こんにちは異世界召喚された勇者です
床に描かれた大きな魔法陣の輝きが薄れるのにあわせて、俺の身体の不審な発光も薄れ、石室内がより暗くなる。
なんてこった。これはどう考えてもあれだ。
異世界召喚。
嘘だろ。クラスのオタク女子の同人誌で召喚は嫌すぎる。もうちょっとこう、田舎の旧家の蔵にあったとか、近所の変わり者の家で見つけたとか、古本屋で老店主に勧められたとか、そういう導入であって欲しかった。
……母方の祖父母の家は大阪の十三の町中で、父方の祖父母は同居。近所は農地と建売が並ぶ住宅街。古本屋どころかスーパー内の本屋も去年閉店した生活環境で贅沢は言えないか。
起き上がって、恐る恐る通路の先へ様子を見に行く。
裸足じゃなくて良かった。学生服と同様に足元もベッドで寝ていた時には履いていなかったスニーカーだ。ちょっとシケっている気がする石の床を歩くにはありがたい。
「だから!勇者様を召喚しちゃったんですよう〜。これ私、討伐試練に出なきゃいけないんですか?そんなの嫌ですよぅ、ししょ~」
なにやら不穏な話をしている。
しかもコレ日本語じゃない。ないけど意味だけわかる。
洋画を字幕版で観ている感覚が一番近いだろうか。声も喋り方もオリジナルの異言語のものがちゃんと聞こえているが、脳内では日本語で話されたときと同様に意味が認識されている。口調がポンコツ女子キャラみがあるのは俺の脳内翻訳の認識バイアスか。女子の会話パターンのソースがフィクションに偏っている現実を異世界転移先で突きつけるのは止めて欲しかった。
もう少し様子をみようと思っていたが、声の主がいる部屋を覗いたところであっさり見つかった。
「いやーっ、結界出てきちゃってる〜!?」
そんな、人を水槽から出ちゃった金魚か、檻から逃げた猛獣みたいに……結界って、んなものありましたっけ?
くりっとした不思議な色合いの目をまんまるに見開いて悲鳴を上げる女子に、俺は敵意はないと示すために両手を上げてみせた。
「はわわわわ、こ、攻撃はダメ〜」
うろたえた彼女は、何を思ったのか、対抗するように両の手のひらをこちらに向けた。
手入れの悪いくすんだ色の髪、着ている寸胴ローブは色気とシャレ気から程遠い煮しめたような黒さのもっさりした毛織。ダメ方向に本格的な魔法使い女子がかざした両手の前の空間は、ヤバめな感じにうっすら輝き出し……。
「止めんか。バカモノ」
「あたっ」
後ろに立っていた顔の険しい女性に後頭部をひっぱたかれて、魔法使いっ子の手元の物騒な輝きは消えた。
ありがてぇ。
おばさん……いや妙齢の大人の女性様ありがとう。
彼女のひっつめにした黒っぽい髪には、前髪からこめかみにかけて白髪が入っている。うちの親よりは若そうだけれど何歳かわからない。この人が師匠なのだろう。貫禄というか風格がある。
服装は弟子と同じく黒一色だ。ただしこちらはやや上等。中身とベルトのおかげでワンピースっぽく見える。美魔女とは言いづらいが、タフで仕事できそうな感じだ。優しそうではないが頼りがいはありそうか。よし。
『すみません。ここはどこであなた方はどなたなのか事情を教えていただけませんか』
「ひゃー、しゃべった〜」
「言葉が聞こえるのか?おい、奴はなんと言っている」
あ、お師匠様は聞こえてないんですか。
あわあわしている弟子の顔を見ると、"あわあわ"が"あわわわわ"になった。不安しかない。
『えーっと、君の名前は?』
「マナ……って名を教えろって、師匠、これ答えちゃダメなやつですよね〜?」
「バカモノ、私にしがみつくな。召喚したのであろう。お前が召喚者として毅然と応対してやれ」
「そんなぁ」
「おい。すまぬな、勇者。少し待ってくれ、今このバカ弟子をなんとかする」
『あ、はい。よろしくお願いします』
お師匠様に召喚していただきたかったです。
§§§
少しどころではなく待つ羽目になり、その後のやり取りもすったもんだしたものの、俺はひとまず現状を確認できた。なんとか聞き出せたところによれば、俺は異世界に"勇者"として召喚されたらしい。
なんでも魔王出現の兆しだか予言だかがあって、偉い人が国の魔法使いに、これで勇者を召喚しろって、召喚術の文書の写しを配布したそうな。無茶苦茶だ。
とはいえ、なかなか成功例はなく、困った偉い人は配布範囲を広げて、とにかく魔法使いには全員試させろ!となったらしい。
「で……こんな田舎に引っ込んでいる魔女のところにまで回ってきたのだが、まさかこのヘッポコ弟子が成功するとは」
頭痛をこらえるようにこめかみを揉みつつお師匠様はぼやいた。わかります。このスカタン魔女っ子が何かを成し遂げるということ事態が想像できない。
「ううう、ひどい言われようですぅ」
木のカップを両手で持ってちょっと涙目になっている所など同情を誘う風情はちょっぴりあるが、お前がヘッポコなのは厳然たる事実だからな。半日以下の付き合いしかない俺でもわかるぞ。
「この生姜水、生姜入れすぎた」
涙目の理由それかよ。
「とんだハズレくじを引いたお主には申し訳ないが、これも運命と諦めてこのスカポンタンをよろしく頼む」
『はあ』
「私もできるだけの協力はするが、基本的に召喚者がなんとかせねばどうにもならないのは確かなのだ」
この勇者召喚の秘術という奴は、召喚した勇者を、さあ行って来い! と送り出すものではなく、召喚者が勇者を従えて魔王と対決しないといけないらしい。
フィジカル低めの魔法使いには酷な仕様だな、おい。
召喚された側としては、責任取れや、一蓮托生だ! と言いたいところなので悪い仕組みではないが、今回の様に当の召喚者がヘボすぎると困る。双方の命の安全のために切実に置いていきたいがそれはできないらしい。
「お主が実体を保てるのは、召喚者の魔力が及ぶ範囲のみなのだ」
なんと召喚勇者の身体は霊体的なものでしかなくて、召喚者から離れると幽霊のように透けて存在できなくなってしまうのだという。
「それに近づき過ぎても術者の影響を受けすぎて、その実体は保てなくなるから注意しろ」
試しに此奴に触ってみろとお師匠様に言われて、恐る恐る彼女の肩を突っつこうとしたら、なんと俺の指先が青白く光って炎のように揺らめいた。
『わあ』
「ひゃあ」
互いに大慌てで距離を取る。
接触はダメだ。接触は危険。
さらに検証したところ、適正な距離は30cmから2m程度までとわかった。これより離れると俺自身と召喚主以外の者からは俺の姿すら認識できなくなる。さらに離れようとすると、自分でも自分の存在がちょっと透ける感じが体感できた。これはひどい。
§§§
『これ、きっとさ、元は魔獣とかを召喚する術式なんだよ。だから召喚主に噛みついたり、引っ掻いたり、逃げて悪さしたりできなくしてあるんだ』
「ほへー、そうなんですかねぇ」
『ま、人間相手に使った時点で、そのセーフティは意味ないけどな』
適正距離内なら道具は使えるし、持った道具を召喚主にあてることはできる。俺は手に持ったブラシで、前に座らせた召喚主様の後頭部をポコポコ叩いた。
「あいた」
『もうちょっと手入れしろよ。お前の頭、櫛の歯どころかブラシすら引っかかって通らないじゃないか』
「ふぇーん」
『お師匠様が言ってただろ、髪には魔力が宿るって。ちゃんと手入れして、保有魔力上昇させて、俺の行動半径を広げろ!』
「あいたたた」
『あーもー引っかかる! これもう風呂入って洗うところからやり直せ!!』
とにかくこのマナという魔法使い見習いは、才能はあるくせに要領の悪い女だった。
『寝不足で回らない頭で座学なんかして身になるもんか、寝ろ!』
『ろくに飲み食いせずにフィールドワークに出るな。弁当を用意しろ』
飯はちゃんと食え。
だらだら夜ふかしするな。上質な睡眠は魔力の元だ。
身綺麗にしろ、姿勢を改善しろ、こきちゃない格好で背中を丸めて巣に潜るな〜。体内の魔力回廊がゆがんで循環が滞るぞ!(ってお師匠様が言ってた)
「勇者様は小うるさい」
『やかましい。つべこべ言うな。俺の存在はお前の魔力量に依存しているんだよ。お前がしゃっきりしてないとお師匠様にすら声が届かないんだぞ。ほれ、きりきり朝食を食え』
「ううう、今朝も美味しそう」
山奥の洞窟に隣接した山小屋というしょぼい住環境で、できるだけのことを俺はやった。
なにせこの身体になってから、寝食抜きで支障がなくなってしまったのだ。人間止めた感が凄いが、人が生きるために必要な労働はやり放題だ。水汲みだの薪割りだのパンをこねるだのといった地味に腕力が必要で疲れる作業をやってやる代わりに、召喚主のマナは修行に専念させて、効率の良いトレーニングを積ませた。
「勇者様、便利」
『便利言うな。俺はお前に使われてるわけじゃないぞ』
「でも私が主?」
『誰がお前のサーバントだ。家事労働をする奴を下僕とみなす意識を改革しろ。共同生活において面倒みられている奴と働いている奴なら、生きるための仕事に従事している奴のほうが偉いんだよ』
「そうなの?」
『食ったあとの皿を洗うやつと洗わない奴なら、洗う奴のが偉い』
「貴族は洗わなくて使用人が洗うよ」
『雇用関係の契約して給金払ってやってもらってるだけだろ。無償の好意による労働の分担を一緒にしちゃダメだぞ』
「好意……」
『誤解すんな。俺たちゃ好き嫌い無関係に一蓮托生の運命共同体なんだから。お前が死んだら俺も存在できないんだろ』
「でも、勇者様が消えても私は死なないような……」
『わかった。できるもんなら送還してくれ。できないんだろ?だったら早晩、お前は俺がいるという理由で魔王退治だかなんだかに行かされて戦場の露と消える羽目になるんだから、そこんとこ肝に銘じて、ちゃっちゃか修行しろ!』
生活改善の効果は外見がマシになる以外よくわからなかったが、とりあえずマナは三つ編みを結えるようになった。
前途多難