第零話 始まりの朝
暗い夜の町を、男が駆ける。
走る。走る。走る。
アテもなく、走る。
ただひたすらに、走る。
それは逃走だ。現実からの。
そして、自分からの逃走だった。
そんな夢を見たわけなのだが、無論寝覚めは最悪だった。
ふむ、と静かに一考して再び布団をかぶりなおして二度寝を慣行。
現在時刻は午前六時十八分。自身のように家と学校が近い高校生にとってはまだまだ慌てるような時間ではない。
先刻の最悪の寝覚めをリッセトしようとするのだが、そこで自室の扉が勢いよく開かれた。
「目覚めよ、我が兄上ーーーーー!!」
朝でありながら元気の権化とでも言わんばかりの叫びと共に眠るオレの身体に勢いよくボディプレスが放たれた。再び寝覚めは最悪だった。
「グハァ・・・!!」
あまりにも情けない悲鳴が漏れるのだがいきなり四十キロもの質量がのりかかってきたらこんな悲鳴も漏れるだろう。
完全に目が覚めて眼鏡を取り、うえに乗っかってきた重量の主を視認する。
黒曜石のような美しい黒髪をツインテールにした、十四歳という年齢を考慮しても小柄なかわいらしい少女である。
「唯華、おっまえなんて起こし方するんだよ!」
キレ気味でオレのかわいい妹、唯華を押しのける。
しかし肝心の唯華は押しのけられてもどこ吹く風で何のダメージもないようだった。
「えー。だって仕方がないじゃん。お母さんが朝ごはんつくり始めたんだから」
「・・・なら仕方ないか。朝めしはオレが作るって母さんに言っといてくれ」
即座に切り換えて身支度を開始する。
オレの母は悪い人ではないのだがどうも料理の腕が壊滅的であり、気まぐれで母さんが料理を作る日は毎回オレが代わるのが通例なのであった。
軽い身支度をして階段を降り、母と妹の待つリビングの扉を開ける。
「おはよう母さん」
「あ、おはよう惣麻―」
「・・・あれ、おにーちゃん私には?」
「お前はもう会っただろ」
すでに話は通っているようで、エプロンをつけたままのオレの母さんは台所ではなく食卓に座って朝番組を観ていた。
オレはエプロンを身に着けると台所に立ち、冷蔵庫を開けて中の食材を確認する。
ちょうど食パンが数枚あったので、先日クックパッドで読んだ新しいレシピを試してみる。
二十分ほどして食卓にオレの作ったフレンチトーストが並ぶ。
甘いものが好きな唯華は手をたたいて喜んでいるが、台所から降ろされたせいか母は若干不満そうだった。
とはいえ母が不機嫌になるのも常であり、オレが作る料理は毎回その不満をケアする程度の美味しさが求められてしまうのである。
三人でいただきますを言って朝食を食べ始める。
二人の表情を注視していると、新作ではあったがどうもノルマは達成したようだった。
「父さんは?」
食卓に現れないもう一人の家族の所在を訪ねる。
とはいえこれは形式的なものでありどこにいるのかはわかりきっていた。
「父さんは深夜に帰ってきて明け方に出たわよ」
母もオレのテンプレートの如き問いにテンプレートの如き答えで返す。
うちの父は詳細は知らないのだが研究職に就いているそうで大抵深夜に帰って日が昇る前に仕事に出てしまいのだ。
とはいえ家族をほっといているとかいう話ではなくて純粋に仕事が忙しいそうで、逆にどれだけ仕事で疲れていても時間があったらそのすべてを家族に費や
す人間でもあった。
「あ、そういえばお父さんからおにーちゃんにお土産だって」
そういって唯華はオレに小包を渡してくる。
「ふむ」
袋を破いて開けてみると中からはオレが最近ハマっているゲームの最新グッズが入っていた。
父は仕事が忙しくなかなかオレ達に構えないからか、このような様々なお土産を買ってくる。
唯華のほうも土産に蒼いリボンをもらったみたいで、そのリボンで嬉々として髪を結んでいた。
朝食に使った食器を母に預け、オレは高校へ行く準備を始める。
唯華はオレを起こしに来た時からすでに中学の制服を纏い、学校へ行く準備を済ませていたそうでのんびりと朝番組を眺めていた。(観ていた、ではない。あくまで朝番組を観ているのは彼女にとって暇つぶしなのである)
流石にリビングで着替えるわけもなく、自室に戻って高校の制服である白いシャツと黒のブレザーに袖を通す。
そして洗面所で手を震わせながらもコンタクトレンズを装着。
コンタクトデビューからもう二年近く経つのだが未だにこの瞬間は慣れない。
寝癖がわずかに付いた髪をセットしてようやく学校の準備が完了した。
このコンタクトも髪型も高校デビューで始めたもので、最初に見せた唯華からは「なんか、おにーちゃん、プレイボーイっぽい」と不評ではあったのだが、二年も経った今では最早見慣れた姿になっていた。
「じゃあ、行ってきます母さん」
「いってきまーーーす!」
「はい、行ってらっしゃい」
母に別れを告げて唯華と共に家から出る。
もはや目をつぶっていても通える通学路。
曲がり方を曲がっても転校生とぶつかりなどしないごく平凡な通学路である。
「唯華は今日の夜食べたいものとかあるか?」
「ん、えーとね・・・ハンバーグ!!」
「む、ハンバーグか」
唯華はオレの作るハンバーグ(ただのハンバーグではない。我が家で出るのは肉の中心にとろけるチーズを仕込んだチーズINハンバーグなのである)が大好物であり、失念していたが唯華に夕食を聞いた時点でハンバーグが出るのは当然の理なのである。
「ねー、おにーちゃん!おねがいー!」
見やると唯華はハンバーグハンバーグ連呼しており、だんだん井戸●潤のようになってきた。
「わかったよ。じゃあ、今日の学校がんばれたら、今日はハンバーグってことで」
その言葉にパアアアアという擬音がどこからともなく流れてくるほど顔を輝かせる。
「やったやったやったー!絶対だからねおにーちゃん!」
そう言いながら唯華は別れ、中学へと走り去っていった。
オレはポリポリと頬をかき、高校へと歩き始めた。
これがオレの、夜劫惣麻の日常である。
妹っていいよね・・・(ホリミヤの沢田とか、デアラの琴里and真那とか・・・)