碧と陽翔と記憶喪失
自分では助けられない。
即断した陽翔が119番に連絡して、冷静に場所や時間、溺れている人数、通報している自分の名前などの質問に答えると、五分と経たずして陸から救急車が、海から海上保安庁の船が到着。
運よく碧はすぐに見つかったが意識はなく、救急車に乗せられて近くの病院へと運ばれた。
これが、三週間前の出来事。
「助かった。陽葵、さん」
「お姉さまでしょ」
「助かった。姉貴」
「………まあいいわ。退院したばっかりだから、ゆっくりしなさい」
「ああ」
居間のソファに座った碧を置いて、陽葵は台所へと向かった。
陽葵の住んでいるマンションにて。
溺れた後遺症か、何かよほど衝撃的なことがあったのか。
碧は記憶喪失になった。
ただ、すべてではない。
モデルのアオとしての記憶、世間の常識は覚えていたが、モデルではない時間を過ごした碧や姉の陽葵を含む家族のことは何も覚えていなかった。
一人っ子で両親とは死別していると記憶が作り出されていたのだ。
(私を忘れるなんて。記憶が戻ったら覚えていなさいよ。碧)
ふふふふふ。
陽葵は不敵に笑いながら、台所にいた陽翔を見た。
碧は陽翔のことは覚えていた。
一目惚れした相手として。
陽葵は陽翔にお願いされた。
碧の意識が戻って記憶喪失だとわかったその日に。
記憶が戻るまで、碧が安心できる陽葵のマンションで一緒に暮らすことをゆるしてほしい。
陽葵はそう願い出てくれた陽翔に頭を深く下げた。
ありがとう、よろしくお願いします、と言って。
(………陽翔君。ごめんね)
お茶を持って居間にいる碧の元へと向かう陽翔の、自分よりも大きくなった背中を見つめて、陽葵はマンションを後にしたのであった。
(2023.11.17)




