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私のデウスエクスマキナさん  作者: ゆきは なつき
2/4

「九頭竜桜花」

夕暮れにさしかかる駅前の繁華街。

雑踏の中、優美に分け入っていく歩く、長身痩躯をスタイリッシュなスーツに包む青年。


彼女の名は「九頭竜桜花(くずりゅうおうか)」。


そう、注意深く見れば、“青年”が“彼”ではなく“彼女”だとわかることだろう。

中性的、ややもすれば男装の麗人とも称せる容姿を、彼女自身は面白くとさえ思えど、コンプレックスに感じたことはない。

ただの一度も。

それほどまでに彼女の人生は祝福されたものだったからだ。

生きたい、こうありたいと描いた道を、多少くらいはブレつつも、満足して歩いて、三十路に至る。


さて、ほのかな笑みを湛えつつ、手荷物は小振りなハンドバッグひとつ。

居酒屋の敷居を跨いだ桜花を待っていたのは、

「九頭竜さん!」

「お!桜花キターッ!!」

「遅ぇよ!待ったぞ!!」

中学時代の同級生たちから数多浴びせかけられる歓迎の言葉。

「久しぶり!みんな!」

よく通るアルトボイスで、旧友にして級友たちへと応える。


最後に会ったのは大学二年生、10年の歳月を経ても印象がさして変わらないのか、みんなの名前はすぐに個々の思い出とともに浮かんできた。

…在籍した全員でないことが残念でならないが、私は空いてる席に腰を下ろし、一夜の時間旅行に興じることにした。


素面の者はだいぶ少なくなっているようで、溶け込むためにも桜花は早々にグラスの一杯目を注文するが、届くのも待たずに何人もの同級生たちが集まってきた。

「九頭竜~俺と結婚してくれェ~」

昔と変わらず坊主頭の山口が隣に座ってにじり寄ってきた。

すでに相当飲んでできあがってるらしく、顔が茹でている。

「おいおい、君既婚者だろう。結婚の通知を送ってきたのを忘れたのか?」

「いーけないんだーいけないんだー。おーくさーんにーいってやろー」

無論酒の席の冗談だと、私もみんなもわかっている。


ずるずると引きづられていった山口と交代で、クラスのムードメーカーだった杉町が隣に座る。

小脇には“なじみのある”雑誌が抱えられている。

「桜花ァ、聞いたぜェ。今“ジャンピョン”の編集者なんだって?スゲェな」

桜花の表情が誇らしげに綻ぶ。

“週刊少年ジャンピョン”、近年中心読者層が少年から移しつつあるが、今でも広い世代で知名度は高い。

「あぁ、その通りさ」

「すごーい!桜花は漫画をつくるのが得意なフレンズなんだね!」

「なぁ、誰担当?教えろよー」

「穂積先生と十伐先生だよ」

「オイオイ、言っちまっていいのかよ」

「まぁ、このくらいならね。作品のネタバレとか編集部の内情とかはダメだよ」

「心配すんな。ガキじゃあるまいし、そこはわきまえてるよ」


他愛ない和やかな身の上話などで盛り上がる宴席は、桜花にとって実に居心地がよく、楽しいものだ。

わずかにノイズが入るのは、対面に座る、顎髭をたくわえた久住のひとことによってだった。


「…そういや、葛原いねぇな」

「!……」

グラスを持つ桜花の手が止まる。

そんな彼女の挙動に気づかずか、他の同級生が会話を引き継ぐ。

「あ~マンガ家になる~とか言ってたあいつね~」

「デビューしたって話聞かないし…お察しかな?」

外見のよく似た棚部さんと綿辺さん。

仲の良さは相変わらずか。


誰が結婚しただの、海外に移住しただの、話題はすぐに移ったが、私には“彼”のことが引っ掛かったままだった。

楽しい時間は早々と過ぎ行くもので、惜しみながらも居酒屋をみんなとともに出て、再開を約束して別れた。

 


ほろ酔いの身でゆっくりと酔客の間に間に歩く。

その行く先に、明らかに私を待ち構える人影があった。

彼我の距離が互いに手を伸ばせば届くものになったところで、私の方から声をかけた。

「葛原!」

同窓会では一時名があがっただけの、しかし私にとっては縁の深い人物。

中学時代の部の仲間であった葛原武造(くずはらたけぞう)であった。

脇にキャンバストートバッグを抱えて飲み屋街に立つ姿はいささか異様である。


数秒の俊巡の後、葛原は口を開く。

「よぅ…九頭竜。…ちょっと時間あるかい?」

「いいよ。私も会いたかったよ」


私たちは同窓会会場とは別の店に入る。

酒がメインでないことは察するので、席に着くや簡単な注文だけ済ませた。

私にとっての一次会でそれなりに飲んではいたが、込み入った話につきあえる程度に素面を保ててる自信はある。

彼が大事そうに抱えているトートの中身には、すでに見当がついていた。


「…近くまで来たのに、どうして同窓会に顔を出さなかったんだ?皆、気にしてたぞ」

「そりゃどーせ、話のネタ程度だろ。いないのがお前なら大騒ぎだったろうけどな」

そう吐き捨てる葛原の浮かべる、片方に引き攣った笑みは、酷く投げやりで自嘲に満ちて、私に溜め息を起こさせる。


「まぁ、いいよ。“今はまだ”、同窓会なんて行ってもいい笑い者。恥を掻くだけだ。…なぁ九頭竜、こいつを見てくれねぇか?」

「これは…」かくして予想…いや、期待通りのものがテーブルに現れた。

厚みをもった紙の茶封筒。

衆目を窺う素振りを葛原は見せるが、無論、法に触れるようなものは入っていない…はずだ。


中身の正体を察しつつも、彼自身の口から聞くのが礼儀と、私は微笑で続きを促した。

「やっと投稿する自信のあるもんが描けたんだ!編集者のお前に…い、いや、他ならない九頭竜にぜひ見てもらいたいんだよ!」

興奮する葛原の目は血走っているが、私は気に留めない。

いや、むしろ理解すらある。

私と、彼と、…“ボクら”にとって、物語の創作は青春そのものだった…。

遅ればせながら、心が高揚していくのがわかる。

「そうか…諦めてなかったんだ。うん、光栄だ。読ませてもらうよ」


何度も剥がして閉じたらしい封シールは簡単に剥がれ、桜花の手に90枚の原稿の束が滑り落ちる。

「…ととっ」

酒を除け、一度拭いたテーブルの上に大切に置いてから、一枚目を手に取った…。



     *     *     *



「見ろよ、九頭竜。サクっと描いてみたぜ!」

憚ることなく視聴覚準備室に葛原の威勢のいい声が響く。

その両手は40枚の原稿が挟まり、紙面の可愛くない猫が存在を大いに主張している。

描き手の趣味100%。

拙く、とても人前に出せる域の代物ではない。

…が、ここ、彼ら東米中学漫研部の部室には、桜花と葛原、久住と国栖の四人の部員しかいない。

“人前”ではない。


ボク、九頭竜桜花の慧眼は即座に彼の作品の本質を言い当てる。

「ははぁ、一目見てわかったよ。サバイバルパニックホラーだな」

「違ぇよ!」

「どう見てもほのぼの日常系だろ」

葛原と久住の連名で否定されてしまった。ぐぬぬ…。

「なんだ、ゾンビでも出てくるかと思ったよ」

「まぁ、そういう斜めに外した展開もアリっちゃアリかもな」


和やかな空気で交わされる、持ち寄る趣味の創作を肴にした談義と雑談。

創設者の先輩は卒業し、後輩はいない。

桜花たちが卒業すれば、部は自然消滅するだろう。

だがそれでもいい。

少なくとも桜花はそう思っていた。


満ち足りた時間。

たとえ“今”が、未来がどれほど輝かしいものであったとしても、あの中学時代の代わりにはなるまい。

30歳となった現在の桜花は想う。


「ねぇ、やっぱり葛原くんはマンガ家が夢なの?」

「ん?なんだ唐突だな」


あの日は国栖が、葛原の言を借りるが、唐突に重大なテーマを放り込んできた…と思う。


「んとねー、言い出しっぺのアリスは――××××」

「ん?コレ、マジのトーン?…おれは――××××」

「なるほど、含意が広いな。ボクは――××××」

「意外だな。俺様は―――××××」


…10年以上も昔だからだろうか、この辺りの記憶は霞がかっている。

大事な思い出だというのに…。

久住の夢をテーマに、なぜか議論が白熱したのは確かだ。

それでボクは―…



     *     *     *



追憶から醒めると、葛原の原稿を私はいつの間にか読了していた。

意識せずに嘆息が漏れる、悪い意味でだ。

葛原というやつは、ポーカーフェイスを気取っていて、その実わかりやすい。

私が読む間、絶えず体と視線を揺らし、原稿を置くタイミングを待ち構えていた。


「ど…どうだ?色々言ってくれ!直すところ直したら持ち込みしようと思うんだ!デ、デビューできたら…その…お前に担当についてもらえたらスゲェ嬉し…」

「無理だね」

自分に酔う葛原の言葉を、私は断ち切った。

「……え?」

「直し以前の問題だ。およそプロの域には程遠い」

「ど、どの辺がまずいんだよ!?」

「まず作画の方だけど…」

「絵がビミョーなのはわかってるよ!中の下ってところだろ?だから話の方で…」

「下の中、くらいだよ。厳しいことを言うけど、…むしろ、話づくりの方が深刻だ。正直、コピー&ペーストのような異世界転生テンプレハーレム展開なんて傷食気味なんだ。アニメなら一話Aパートで切るよ」

「題材被りは仕方ないだろ?今やどのジャンルも飽和してるんだし…」

「それは正論だ。同じ食材でクラシックな料理でも、作り手が一流ならすばらしい味になる。と・こ・ろ・で、君はこの読切を連載にするイメージはあるのかい?」

「あ…あぁ…」

「そうか。しかし、この雛型の時点で世界観が揺蕩って矛盾を起こしている。主人公の言動もブレブレで、ヒロインたちがこいつのどこに惹かれるのかわからないよ。詰めを怠ったまま連載を始めたりしたら空中分解するぞ」

「そ、その辺はストーリーが進む中でちょっとづつ明かされていくんだよ。冒頭から設定の全てを読者に開示するなんて駄作じゃんよ」

「……そうとも限らないさ。それに、物語の地盤が固まっていて小出ししていくのと、何も固まってなくて連載中に“拵えて”いくのとでは雲泥の差だ。…どのくらいのプロットを?」

「……ノート一冊」

「……ハァ…。悪いけど、この作品からも君自身からも、10年分の熱意を感じられない!趣味にとどめるか、すっぱり諦めるかした方がいい。これは編集者というより、友人としての言葉だ」


彼我の間に重い沈黙が降りる。

ヒートアップしてしまった。

周囲の席から側耳を立てる気配を感じるが、かまわない。

こんなことは、作家と担当の意見がぶつかることは、打ち合わせでは日常茶飯事だ。


葛原は様々な感情に焦がれ、伏し目がちに歪む表情で言葉を絞り出す。

「お前まで…お前までそんなことを言うのかよ!!“俺”を通して色眼鏡で作品を見るんじゃねぇよ!何も知らねぇくせに!」

「気づいてないのかい?君は今、自分の言葉で矛盾を起こしているぞ」

「そんな正論はいいんだよ!くそ…くそぉ…ッ!見返してやらなきゃ…いけねぇのに…!」

葛原はとうとう突っ伏してしまい、不明瞭な、恐らくはこの場にいない誰かへの恨み節を零すばかりになった。


かつて埋めた夢の詰まったタイムカプセルを、掘り出してみればパンドラの箱。

そこに眠っていたそれは、失望。


彼はもはや漫画家の卵ではない。

だが、友人である。

言葉は選ぼう。


「…そんな気持ちで描かれるキャラクター達が、私は不憫でならないよ。はっきり言おう、中学生のころ部室で見せてもらった猫のマンガ…あちらの方が、これより余程面白いよ」

置き土産というよりは捨て台詞のようなそれを落として、二人分の会計を置いて、桜花は席を立つ。

その間、葛原は一度も顔を上げなかった。

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