大賢者の食事事情
「! 旨いなこれ!」
一口飲んでそう言った後、アリスは話す時間も惜しむように夢中でスープを口に運ぶ。
食事をしながら異世界に行く方法の詳しい説明をすると言ったくせに。
でも。
気持ちの良い食べっぷりに悪い気はしなくて、つい口元が緩む。
それは何年かぶりのまともな食事だからというわけではなく、実際の味の評価だとタケルには自負があった。
自分もスープを口に運んで、しっかり出汁の利いた滋味深い味に満足する。
材料はタケルがここに来るまでに食べていた干し肉の残りと、来る途中で見つけた野草と、アリスが溜め込んでいた香辛料などの調味料。
それだけでここまでの味が出せるのは、タケルの料理の腕があるからだ。
でも、それには理由があって。
「タケル君は料理が得意なのね」
食べることが出来ない賢者の書だけど、アリスの様子でよほど美味しいのだと、感心した声をあげる。
「いや、得意ってゆーか。・・・なんか必然的に?」
言ってしまえば養母の影響なのだが、あんまり自慢できる話でもないので言葉を濁す。
「あぁ、異世界人は舌が肥えてるからな」
スープをあっという間に平らげたアリスがニヤリと笑う。
やっぱりこれもバレバレか。
もう、驚きもしない。
「そうだよ。養母さんは味にうるさくてさ」
もともとこの世界に渡ってからのナミは、タケルに会うまでずっと旅をしている生活だったらしい。
タケルを育てるためにしばらく定住することもあったが、タケルが旅についてこられるようになると、二人で一緒にいろんな所を旅した。
そういう道中で、ナミはお金が乏しくても、どうしても食べるものにだけは妥協が出来なくて。
高い金を払って旨い料理を食べるような人だった。
結果、タケルは家計のために必然的に料理の腕を磨くことになり、特に安い食材でも旨くするのが得意になったのだ。
「異世界ってのはこちらより文化が発達してるからな。それは食文化もだから、他の事は我慢できても食には拘る異世界人は珍しくないよ」
まあ、それはナミの言動を見ていたからわかる。
それ自体は別にタケルだって仕方ないと思う。
だけど。
「じゃあタケルも幼い頃から旨いもの食わせてもらって、舌が肥えたのか?」
訊かれて嫌な汗が出る。
「いや・・・養母さんは料理が苦手だったから」
というか、家事全般あまり得意じゃなくて、その中でも料理の腕は絶望的だった。
なのに旨いものに拘るからいろいろ面倒で。
結果、タケルがやらざるを得なくなっただけなのだ。
ナミの口に合う料理を試行錯誤して作ってるうちに、タケルの料理の腕も自然とレベルアップしていった。
おかげで、そこそこ人に自慢できるくらいにはなったわけだけど。
「ふうん。苦労してるんだな、お前も」
手ずから食後のお茶を淹れて一息ついてる姿に、ちょっとイラッとする。
確かにナミの生活能力は微妙なレベルだった。
けど。
「お前も人のこと言えないだろうが」
アリスはギクッとして目を反らす。
「明日はあの部屋を片付けるぞ」
「いやぁ、私は別に困ってないし・・・」
「・・・なんだって?」
ニッコリと笑って聞き返す。
「いや、なんでも」
ごまかすように引きつった笑みを浮かべるアリス。
タケルはアリスの優位に立てて少し溜飲が下がる。
そう、食事にする前にひと悶着あったのだ。
***************
「なあ、腹減らねーか?」
昼過ぎからアリスにさんざん調べられて、さすがに疲れて腹も減る。
納得いかなくても大賢者の従者になってしまったのだし、今さら急いで異世界に行く方法を聞いたところで、アリスの協力がなければ不可能なのだろうから、タケルは慌てても仕方なと腹を括ったのだ。
だったら、取り敢えず腹ごしらえをして休みたいと言うのが正直なところ。
なにせここに来るまでは緊張の連続だった。
人狼の能力を最大限に発揮して、断崖絶壁の谷を越えたり、魔物や魔獣が棲む森では出来るだけ気配を絶って、人狼の本能とも呼べる危機察知でやり過ごしたり、とにかく神経が張り詰めっぱなしだったのだ。
それに加えてアリスの相手で、人より丈夫でタフな人狼でもさすがにクタクタだった。
「えーと、やっぱりお前は食事が必要だよな」
「・・・は?」
意味がわからなくて、変な間と声が出た。
どこか困ったような顔でこちらを見上げてくるアリス。
しばらく意味もなく見つめあってしまった。
「ごめんなさいねぇ、タケル君。アリスは食事が必要ないのよ。だから、ここには満足な食料も料理する道具もないの」
フォローするように、賢者の書が言って、その意味を理解するのにまた数秒かかった。
食事が必要ない?
はあ!?
理解して目を剥くと、アリスは照れたように笑って。
「私は人として生まれたが、今ではそこらの魔物以上の魔力を持ってるからな。とっくに人の範疇を超えてるんだよ」
その言葉にゴクリと息を呑む。
この世界では魔力の強いものが長命であるのは、普通の事だ。
ちなみに人狼であるタケルも普通の人間よりは長生き・・・というよりは年をとらないらしい。
魔力も一般人よりも多いが、そもそもそういう体質のようなものなのだ。
ナミが人狼について調べて教えてくれたことだ。
そしてナミを含む異世界人も強力な魔力を持っているため、長命である。
他にも大魔法使いと呼ばれる人物など、一般人の倍も生きるような人間も実際に珍しくない。
アリスは伝説にもなるような大賢者だ。
その存在はかなり昔から知られていて、不老不死なのだと言われていた。
だからといって、その姿が少女なのはさすがに若すぎだろって思ったけど、アリスの存在感に大賢者であることは納得せざるを得なくて、そのことに最初はビビったりもしたけど。
話してみれば、そこまで人間離れしてる感じはなくて自然と受け入れられていた。
なのに。
人の範疇を超えてるんだと言って、自嘲するように嗤うアリス。
なぜだかイラッとした。
「わかった。いいよ、道具も材料も自分のがあるし、料理も俺がするから。ただし」
イラッとしたけど、理由は自分でも良くわからないし、それをアリスに向けるのも違うと思ったから、意識して笑顔を作って。
「お前も食え。必要ないだけで、食べられないわけじゃないんだろ?」
なのになぜだかアリスはビクッとして。
「あ、ああ。食えるけど・・・」
「あと、水くらいはさすがにあるよな? 使いたいんだけど」
「うん、こっち」
部屋の奥の扉に案内される。
けど。
「あれ? 開かないな??」
何かに引っ掛かったように、少し開いただけでそれより動かない扉。
「あ、アリス。そっちは!」
エリー姐さんがちょっと慌てたような声を出すのと、アリスがうわっと叫んで転ぶのが一緒だった。
ドサドサと何かが崩れる音。
もぅっと埃も立って、つい後ずさる。
埃が落ち着いたのを見計らって、倒れたままのアリスに手をのばす。
首根っこ辺りを掴んで引っ張りあげてやった。
アリスに乗っかっていた本がバサバサと下に落ちる。
「大丈夫か?」
「・・・うん、大丈夫」
「アリス、忘れたの? そこはこの前仕入れた本、取り敢えずって言って積み上げたでしょう?」
「・・・あ、そうだった。あっちの文献で違う解釈の糸口見つけて、こっちに応用できるなって思って・・・後で読もうと思って忘れてた」
「早く片付けないとダメよってあれだけ言ったのに」
呆れたようなエリー姐さんの声。
って言うか、この埃の量を見るに結構な時間が経ってるように思えるんだけど?
「あ、向こうに台所があるんだよ」
じっと見ていただけなのになぜかアリスは慌てたように、その部屋の先にあった別の扉を指差す。
食事の必要がないのに台所がある理由は、この家は普通に建てられていた民家を、アリスが魔法でそのまま移築したからなのだと、やたらと早口で説明してくれた。
まあ、確かにこんな辺鄙な場所に一から家を建てる方が大変なので納得ではある。
でも、ずっと使っていない台所って・・・。
想像以上の光景がそこにはあった。
積もりに積もった埃、張られたクモの巣にも目に見えるほどの埃が。
水瓶の蓋も酷く積もっていて水があるように思えない。
更には扉を開けた勢いで舞った埃が、窓から差し込む夕日の光を反射して、逆にキラキラと美しく輝いていた。
・・・コレをどうしろと?
呆然としていると、アリスが慌てたように。
「あ、すぐ使えるようにするから」
言って手を翳すと大きめの魔方陣が空中に現れ、パァッと部屋中が光に満たされる。
光が消えた後、台所はピカピカの状態になっていた。
水瓶の中も確かめると綺麗な水が満ちている。
これはなんだろう? たぶん、服を洗濯する魔法の応用か? いや、そんなレベルじゃないような? ってか、魔力の無駄遣いすぎじゃね?
「これで存分に料理ができるよな」
どこかやりきった感のあるアリスの台詞に、プツッと何かが切れたような気がした。
「アリス。掃除とか片付けって、魔法じゃなくてもできるって知ってるか?」
「え? ・・・そりゃ、もちろん」
「じゃあ、さっきの部屋の掃除と本の片付けは魔法無しでできるよな?」
「え、いや・・・」
「できるよな?」
ニッコリ笑って言うと、なぜかアリスは怯えたように何度も頷いた。
「じゃあ、片付けは明日な。俺も手伝ってやるから。今は料理できるまであっちで待ってろ」
アリスに背を向けて料理を開始する。
台所を出ていきかけたアリスが思い出したように戻ってきて、香辛料などの調味料を数点出してきたので、それも料理に使う。
調味料などは、収納空間という異空間に物を保管できる魔法でしまっていたものを出してきたようだ。
空間魔法はかなり上級レベルの魔法で一般的じゃない。
もし使えても量は大きくてもリュックひとつ分くらいが妥当だ。
維持やその他に魔力もかなり使うから、普段使いするようなものではないのだが。
やっぱり、大賢者のそれは規格外だ。
聞けば、タケルの契約の首輪も、破れた詫びに出された服も収納空間でしまってあった物らしい。
いつ使うかもわからないものを何個もしまっているようだし、容量も維持に使ってる魔力もどれ程のものか。
異次元すぎる大賢者の魔力。
それを知ってもタケルはイライラするのを止められず、干し肉にダンッと力任せにナイフを突き立てたのだった。
***************
「なあ、エリー。どうして笑顔で怒っている人間ってあんなに怖いんだ?」
「そうねぇ、やっぱり抑えつけたものが弾ける時が一番怖いからじゃないかしら?」
「なるほど」
アホみたいなコソコソ話が聴こえてくる。
ふむ、抑えていたつもりだったがバレバレだったらしい。
タケルはアリスが手ずから淹れてくれた食後のお茶を口にして、小さく息をついた。
このお茶もアリスが収納空間魔法で出したティーポットとカップと茶葉で、お湯は魔法で直接ポットに入って、後は茶葉の抽出時間を待ってカップに注いだだけというもの。
食事は必要なくても、茶を淹れて飲むことは好きなのか、どうやら日常的に行っているらしいアリスは、人が止める間もなく流れるようにそれらを用意したのだ。
ちなみに、食事が始まる前に足りなかったタケル用の椅子も魔法で出してきた。
もう、呆れるしかない。
というか、全てを魔法で行うのがアリスにとっては日常なのだと理解させられる。
いや、だからこそ人としてダメだろう。
どうせしばらくは一緒にいなきゃならないんだから、ついでに教育し直してやろうとタケルは心に決めたのだった。
「で、異世界に行く方法なんだが」
食後のお茶を終えて、居住まいを正したアリスがようやく本題に入る。
「まず、行くための条件が幾つかあるんだが・・・」
そして、結局その方法を知ったタケルは、翌日、約束していた掃除もそこそこに、大賢者と賢者の書と一緒に旅立つことになるのだった。
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タケルは家事スキル全般高め設定なんですが、料理の腕ばかり強調されちゃう・・・たぶん他はアリスが魔法でなんとかできちゃうからだと思います。