賢者の書
「で、なにが知りたいんだ?」
さっきと同じ質問。
尻尾と耳を引っ込めたら、途端に残念そうな顔をして、ちょっとぶっきらぼうな口調だ。
「えーと・・・」
タケルは口ごもる。
目的のために、知りたいことがあって大賢者に会いに来たのだから、訊きたいのは山々なのだが、この大賢者に伝えたらなにか怖いことが起きそうな予感がして。
タケルは自分の本能と呼べる直感には絶対の自信があった。
この場所にも、それに従って魔獣や魔物に出会わないように、細心の注意を払ってきたからこそ辿り着けたのだから。
それに。
「あら、可愛いお耳が隠れちゃって残念ね」
そうしゃべっているものが気になって仕方がない。
それはものすごく分厚い本だった。
テーブルの上に無造作に置かれた本。
それで殴られたら普通に凶器になり得そうな分厚い装丁の美しい本。
そう、美しいのだ。
臙脂のビロードの外装に、角は擦れないようにだろう銀色に光る金属が嵌められ、表紙の中央には美しくカットされた紅い石。
ルビーだろうか? それにしてもその大きさは目を見張るものがある。
色も濁りの無い透明で深い紅。
その石の価値はどれ程のものか。
詳しくはないタケルでも、なんかヤバいくらいのものだというのは想像がつく。
しかも。
「あら? 私に見惚れているの? 可愛い坊やね」
そう、その石がさっきからしゃべっているのだ。
その口調は妙齢の女性という雰囲気。
いや、そんなのはどうでもいい。
なんで石がしゃべってるんだ!?
何かの魔法?
いや、精霊が宿っているとか?
でも、そんなのは聞いたことがない。
そもそも精霊はこんな流暢に人間と同じようにしゃべったり出来ないものだ。
無遠慮に凝視してしまう。
「エリーが気になるのか? 彼女は世間的には賢者の石・・・いや、今は本の形態だから賢者の書だな。そう呼ばれているものだよ」
賢者の書!?
確かに聞いたことがあった。
大賢者について調べていたときに。
人類の叡知をまとめた書物。
ありとあらゆる知識が書き記されている本。
しかし、実際に目にしたものはなく、その存在は眉唾だと言われていた。
実在することが明確だった大賢者に比べたら信憑性に欠けるから、存在自体ただの伝説だろうと思って気にも留めていなかったのだけど。
まさか実在するなんて。
もしかしたら、賢者の書が読めれば自分の目的を達成できる糸口が見つかるかもしれない。
大賢者に訊くより安全な気もするし。
しかし。
「エリアーナ・クラウディアよ。よろしくね」
エリーって呼んでねと、明るい口調で自己紹介をされて、冷や汗が出る。
うん、やっぱりしゃべる石・・・いや、本の方がヤバい気がするな。
「あら? 今時の子は挨拶もまともに出来ないのかしら。名乗られたらどうすればいいのか教えてあげないといけないのかしら、ねぇ?」
続いた少しトーンが下がった声に。
「俺はタケル・シンドウ。16歳です!」
ビビって、つい訊かれてもいない年齢まで告げていた。
うん、ヤバい。
大賢者も賢者の書も同じくらいヤバいって本能が告げている。
マジで逃げたい。
けど、絶対に逃げられないのもわかっている。
それに、どうしても大賢者に訊きたいことがあった。
それを訊くために、危険な目に遭ってまでこんなところまで来たのだから。
逃げている場合じゃない。
大賢者が普通じゃないのなんて当たり前だ。
だからこそ、特別な力を持っているということなのだから。
「大賢者、俺に異世界に行く方法を教えてくれ!」
思ったよりも強い口調になった。
「異世界? お前がか?」
驚いたように聞き返されて、やっぱり大賢者にも無理なのかと思って落胆する。
今までその目的を誰かに告げる度に、無理に決まっていると嗤われてきた望みだ。
異世界、その存在は古くから知られていた。
なにせこの世界には結構な頻度で異世界人が現れるからだ。
現れた異世界人は突然の異世界渡りに驚くが、直ぐに順応して、その能力を発揮するものが多い。
そういう人物ばかりが渡ってくるのだ。
そして、魔力が多く、強靭な肉体を持つものばかり。
異世界の知識を役立てて活躍するものも多く、この世界のどの国にも属さない有望な人材として、各国で争奪戦になることもあるくらいだ。
つまりどこに現れても異世界人は優遇されることが多い。だが、それでも故郷に帰りたいと願うものは数多くいて。けれど、故郷に帰れた異世界人は今までに一人もいない。
こちらに来ることは出来ても、向こうに行くことは出来ない。一方通行なのだろうというのが、世間の常識だった。
「お前は異世界人ではないだろう?」
頷いて目を伏せる。
そう、タケルは生粋のこの世界の住人だ。
だからこそ、異世界人ですら帰ることの出来ない異世界に行くことなど無理に決まっていると、願いを口にする度、人に嗤われてきたのだから。
「なぜだ?」
けれど大賢者は嗤ったりせずに訊いてきた。
意外な反応に、伏せていた目を向けるとものすごく愉しそうなキラキラした紅青の瞳とかち合う。
この反応はもしかして。
「可能、なのか・・・?」
信じられない思いで見つめ返すと。
大賢者は後ろにあったベッドに、跳び上がるようにしてボフッと音を立てて腰を降ろして。
「そうだな。不可能じゃないぞ」
少女の姿をした叡知に満ちた大賢者は、ふてぶてしくも自信があると如実に語るような満面の笑みで頷いたのだ。
「俺は・・・俺を拾って育ててくれた養母さんの故郷に行きたいんだ」
諦めかけていた道に急に射し込んだ希望の光に、つい言うつもりの無かった目的を口にしてしまっていた。
「養母? そうか異世界人に育てられたのか。ああ、だからタケルか、妙な名前だと思ったが、その養母は日本人だな? そうだろう!」
訊いているくせに確信めいた口調で捲し立てる。
そして、その全てが正解だから、やはり大賢者は恐ろしい。
「あらあら、人狼の子を育てるなんて、その異世界人も変わった子だったのねぇ」
賢者の書の言葉にもギクリとする。
今までの流れでバレバレだとは感じていたけれど。
こうも全てを確信した口調で言われると、全てを見透かされているようで、身体の震えが止まらない。
タケルは人狼とか狼男と呼ばれる獣人だ。
だけど、産んだ親は普通の人間だったらしい。タケルは所謂先祖返りなのだ。
しかも、人狼は既に滅んで久しい種族で。実の親には驚き気味悪がられて捨てられた。
それを拾って育ててくれたのが、異世界人のナミ・シンドウだった。
そう、異世界の日本という国の出身で。
そこでハタッと気付く。
「大賢者は異世界にも詳しいのか?」
それは全く想像していなかった。
此の世の全てを知る者とは訊いていたが、さすがに異世界は未知の領域ではないのかと。
「詳しいって程じゃないが、今までに幾人かの異世界人とは会ったことがあるし、その時にいろいろ話して、向こうの世界の事もまあまあ知っているから、この世界の住人の中では一番知識はあるだろうな」
私は知識欲の権化だからな、と。
なぜか自慢気に胸を張る。
なんだか想像以上の領域に達しているらしい大賢者に、驚きを通り越して呆れたような気持ちになり、なるほどと意味もない相槌を打つしかできなかった。
「そうだ、日本人なら本当の名前はシンドウ・タケルだろう。漢字はどう書くのか知っているのか?」
ぴょんっとベッドから降りた大賢者は、本棚の抽斗からペンと紙を取り出して、さあ書けと言わんばかりに差し出してくる。
好奇心に溢れたキラキラとした眼差しで。
漢字って・・・。
ここまで来ると驚きもしない。
諦めの境地に至ったタケルは、養母に教わった漢字を丁寧に紙に書き記した。
『進藤剛』
「タケル、あなたの名前の字にはね、強くて丈夫で困難に打ち克つっていう意味があるのよ」
書いていて、ナミが名前の漢字を教えてくれた時の言葉を思い出す。
「本当はゴウとかツヨシって読み方の方が普通なんだけど。タケルの方がカッコイイかなって」
そもそも漢字が難しくて、更には読み方が幾通りもあるというのがわけがわからなくて、実際のところ言っている意味は良く理解できなかったのだけど。
ナミの故郷ではそうやって名前を考えるのだと教えてくれた。
子供の将来を願って名付けをするのだと。
実の親に捨てられ、人間ですらない俺を、本当の息子のように育ててくれた。
強くて優しい人だった。
「なるほど、剛・・・良い名だな!」
大賢者の明るい声に感傷に浸っていた心を引き戻される。
名前をほめられて、じわりと湧く感情は照れくさくも誇らしい気持ち。
自分が偶然にもナミに拾われ、息子になれたことは、どんな神に感謝してもしきれない。
だけどナミはもういない。
そう、だから俺はナミの最期の望みを叶えるために、異世界に行くことを決めたんだ。
そのために、誰に嗤われても、どんな危険な目に遭ったとしても諦めずにここまでやって来た。
だから、どうか。
「お願いします。異世界に行く方法を教えてください!」
タケルはここに来て初めて大賢者に深々と頭を下げた。
少し書き溜めているので、しばらくは更新頻度高めです。