第2話 魔狼
突如として現れた得体の知れない何かがすぐそこにいる恐怖と緊張から、体高2メートルはあろうかという魔狼たちが、殺気立って警戒した。
空間を行き来できる魔法を使用できる、逃げることが最善ではない、と群れは瞬時に判断し、円の外周を徐々に狭めていく。
群れの序列最高位であろう一際大きな1匹が一気に中心へと駆け出した。
大きな口と牙を見せつけるように突進し、中心に到達したとき、その魔狼は困惑した。
気配はこの赤ん坊一つ。
赤ん坊を注視し他の魔狼に自身の周りへの警戒を一声吠えて促す。
また何かがいきなり現れたときのために。
赤ん坊は泣き止まない。
しばらくたって大きな魔狼が警戒を解く。
つられて周りの魔狼も警戒をやめ中心に向かっていく。
『こいつは一体何者だ。人族か?このような矮小なものを見るのはこの森では久方ぶりだが。』
この魔狼の群れは森の中でも強者の部類で、他の魔狼の群れも圧倒する存在であるにもかかわらず、手を出さないでいる。
大きな魔狼は、生き延びてきた経験や知恵から、ある程度の言語なら操れるまでの知能を持っていた。
その魔狼が目の前にあるものが過去のどのような事柄よりも奇特なことにただ狼狽えていた。
『こいつには手を出すな。周囲を警戒しつつここを離れる。』
大きな魔狼が小さく吠えて赤ん坊から遠ざかっていく。
ただ1匹、周囲の魔狼と逆行して赤ん坊に近づく魔狼がいた。
『おい、何をやっている』
大きな魔狼が威嚇するようにその魔狼を睨んだ。近づいたのは雌の魔狼だった。
その雌から片時を離れないようくっついている小さな個体が2つ。子供の魔狼のようだ。
『何をしている!早く行くんだ!』
別の雄の魔狼が吠える。
『この子は私が面倒をみる。』
雌はただ一言吠えて赤ん坊に寄り添い、赤ん坊に乳を与えようとした。
赤ん坊は雌の腹の方に、匂いのする方に顔を向け、泣きながらまさぐり、直後泣き声がおさまると同時に鼻息を荒くしながら乳を吸う音が聞こえてきた。
また泣き出さないところをみると、ちゃんと母乳は出ているようだ。
『何を言っているのかわかっているのか。』
大きな魔狼が雌に牙を剥き出しにして問う。 雌は何も答えない。
『そのようなものを連れていては、狩りはおろか寝る間も無くずっと警戒をしていなければならなくなる。それでも連れていくというのならば、この群れから抜けてもらうぞ。生まれた子供らは我々で面倒を見る。』
大きな魔狼が2匹の子供を連れて行こうとする。
しかし子供の魔狼たちは従わず、連れて行こうとしても激しく抵抗されてしまう。
大きな魔狼は、せっかく生き残った自身の子供を傷つけることを恐れ、無理やりに連れて行こうとはできないでいた。
『どうにかしろ。』
大きな魔狼の威圧にも動じず、雌は乳をあげ続けている。
『くっ、勝手にしろ。』
大きな魔狼は威嚇をやめ全てを諦めたように雌たちから離れていく。
他の魔狼たちも大きな魔狼に従いついていく。
大きな魔狼が序列二位の雄に一声呟くように吠えた。
やがて群れは姿を消し、3匹と1人になった。
この雌は、亡き子供たちを人の子に重ね、この赤ん坊を見た時から、群れから何をされようとも育てる決心をしていた。
雌の子は5匹いた。
出産のタイミングを狙い、飛来してくるものによって瞬時に3匹の子供を失った。
久々の子供に嬉々として警戒がほんの一瞬緩んだ隙の出来事であった。
いつの間にか眠っている赤ん坊を見て、雌が目を閉じて何かを念じた。
魔法陣が雌の目の前に展開し、地面に同じように魔法陣が映る。
魔法陣から蔦が伸び絡み合い、見る見るうちに籠のようなものが出来上がる。
子供たちは籠ができるや否や、柔らかい葉などを籠の底に敷き詰めていく。
雌は牙を立てないよう優しく咥え、赤ん坊を籠の中に入れた。雌は籠を咥え、2匹の子供たちを連れて赤ん坊と出会った場所を後にした。
クレイブは一連の出来事を、固唾を飲んで見守っていた。
雌が立ち去った時初めて、唇を噛み締め泣いていることに気がついた。