第八章 ランニング『黄金騎士』
「速いな」
そう言ったチェーンラッカーは、左腰に佩かれた長剣に右手を伸ばした。
手甲の残る方の手だ。
柄に指をかけ、しかし、
「!」
また風切りが鳴り、それが剣を抜こうとしたチェーンラッカーの右手を弾いた。
断たれてはいない。ただ、その表面に掻いたような傷が残る。
「……」
彼女が手を掲げ、穿たれた傷痕を見た。
ぐっ、ぐっ、と幾度か手指を開閉し、
「……生意気だな」
そう言って、黄金の騎士が一歩を前に踏んだ。
俺は、彼女の戦いを見る。
騎士の速度は、二歩目から最高の風に乗るものだ。
体を前傾し、足を土草に食わせ、走り、渦に沿って回る。
彼女は霧の中の変異ゴブリンを目に捉えようと、首を巡らせた。
「――」
まるで波間を潜るイルカのように、ゴブリンは霧の中を泳ぐように移動する。
「……『ボルテクス』」
暫定的に名付けた『ボルテクスゴブリン』が、霧の闇の中からまた顔を出した。
すると、
「――」
霧の表面に飛沫を立て、『ボルテクス』がチェーンラッカーを挟んだ逆の渦に移動した。
『波』を渦に沿って渡ったのか。
否、
「……直線距離を飛んだのか……!」
騎士の甲冑から、乱暴に打ち鳴らしたような金管楽器の響きが生じた。
胸のアーマーに一つ、また傷が乗る。
騎士が笑い、
「ははは、参ったな。全く見えない」
「笑ってるぞ……」
「笑ってるねあの女……」
呆れよりも恐怖を強く感じるのは正しいのだろうか。
騎士は、
「パワーは無いようだが、成程。これは一角のパーティであっても遅れを取る」
言って、走りながらもまた剣に手を掛ける。
また弾かれ、
「ふーむ。敵対行動を予見して予防してくるのか」
言ってる間にも、『ボルテクス』が波を渡って不可視の攻撃を繰り出してくる。
二つ鳴り、ラッカーの胸アーマーの端が断たれて地面に転がった。
「!」
今度は四回連続し、篭手の表面を覆うプレートが丸ごと落ちた。
「地道だな」
軽く言うが、確実にダメージを蓄積されているのは間違いなくラッカーの方だろう。
明確な傷こそ負っていないが、金属アーマーを削るほどの勢いは相応の衝撃。
溜まれば折られるし、受ければ砕かれる。
と、
「――」
不意にラッカーが、頭を右に捻った。
何もないところで、急に、だ。
――何を――。
だが、その直後だ。
「!」
彼女の顔横。
そこにある髪が一房、強風に巻かれたように踊った。
俺はその事実に、驚きをそのまま口にする。
「避けたのか!」
今まで見えぬままに受けていた攻撃を、その発生前に察知し、回避したのだ。
それがどう言う事なのか。
その答えを騎士が、
「なんか避けれた」
答えじゃなかった。
「イラッ……」
アトリが擬音で抗議を入れると、騎士が言う。
「まあ、私の『職業』に関するものだ。致命傷は受けない。相応の対価は必要になるものだが……」
だが、
「……それは『払い終えて』いる。故に」
言うと、ラッカーがまた右手を剣の柄に伸ばした。
掌が開かれ、掴みの五指が動く。
だが、
――予防の一撃が来るぞ!
思うが、
「――」
彼女が動いたのは、そこまでだった。
開かれた指はそのまま握られ、篭手を纏う密度高い拳になる。
裏拳として振られ、風を切り、
「!」
その道中に、『予防』を撃ちこみに来ていた『ボルテクス』を巻き込んで殴りつけた。
彼女がやったことは簡単だ。
要は、『予防』の攻撃を更に予見して、受ける代わりに拳を振るった。
ただそれだけだ。
「――」
肉を打つ音が響き、鋭い角度を描いて『ボルテクス』の体が吹き飛んだ。
霧に帰ることが出来ず、地面を全身で掘削して一メートル強の体が幾度も捻転する。
した。そして、
「――」
動かない。
だが、
「……これで終わりなら、複数の高等級冒険者が不覚を得ることなどなかっただろう、な」
その言葉が示す通り、周囲を巡る霧の渦は未だ晴れていない。
それがどう言うことかと言えば、
「!」
チェーンラッカーが、弾かれたようにして動きを放った。
彼女が動いた。
飛ぶように、あるいは飛び込むように身を振って、同時に両腕で上半身を庇う。
右腕で顔を。
左腕で胸を守るように構えを作った。
そこへ、
「――!」
楽器の奏で。
音律のスコア。
百を越えるような重奏が、金管の響きを唄った。
騎士のスカートを覆うプレートが千切れ、板状の装甲を繋げていたパーツもひしゃげて宙を舞った。
肩を覆っていたアーマーが潰れ、一瞬の後に耐えかねたようにして弾けて落ちた。
首の後ろを守っていた襟状のパーツが根元に何かの穿ちを受け、穴を開けた。
穿ち、削れ、断たれ、
「……!」
金に輝く頭髪が風と衝撃に舞い、後ろに垂れていた編み髪が解かれて宙を踊った。
それは、
「……新手!」
それも、一体や二体ではない。
あの『ボルテクス』が一度にどれだけの回数、攻撃行動を起こせるかは解らない。
仮に五回だとして、
――二十体以上……!
それを示すように、『渦』の表面に幾体もの影が沈んでは浮かぶ。
笑い声に似た異音と、『霧』を渡る水音。
そして尚も連続する金の鎧を削る攻撃音が、場を占めて支配する。
ラッカーが剣に手を伸ばした。
だが、先程の数倍もの回数と威力に担保された攻撃がその動きを阻害する。
肩から先が吹き飛んでしまったのではないかと言う勢いで、彼女の腕が金の鎧と共に跳ね上がった。
更には、
「!」
取ろうといた剣とその鞘にも、攻撃の重奏が襲い掛かる。
懸架帯が弾け、剣が鋭い風切りを乗せて舞った。
武器を失い、
「!」
ラッカーの頭が、右から左に打突を受けた。
その勢いも消えぬうち、逆側からの猛攻が見舞われる。
彼女の顎がかち上げられ、衝撃の強さに足先が浮かぶ。
腹。
背。
上腕に受けて体が『く』の字に曲がる。
また背。
脚に受けてバランスが崩れた。
落ちようとする体を支えるように腹が打たれる。
鎧を打つ金管の音に、肉を掌打する低音が混じる。
袈裟に打つ。
逆に弾く。
唐竹に激が入り、
「――」
突牙の一撃が、正面から鳩尾に入った。
そしてその全てが、一度に複数の衝撃を見舞う殴打の重ね撃ちだ。
「……ナイト、あの女……!」
「……流石に保たないぞ……!」
致命傷は避けられる、と言っていたが、どこまで信用できるスキルなのかも解らない。
それに、例え『あれら』の打撃が致命傷でないのだとしても、受け続けるには限度もあろう。
故に、
「ナイト!」
「……!」
求めの叫びに、俺の手が懐に伸びる。
『ゲートドライバー』。
英雄の力。
救世の資質。
だが、
「……?」
思いと同時、それが来た。
「――」
咆哮。
空に、影が差した。