第四章 出し惜しむ『正義』
と、その時だった。
「なんだてめぇコラ!」
怒号と共に、何かが割れる音と困惑したようなざわめきが喧騒に混じってきた。
そちらへ視線を向ければ、何やらホールの真ん中の方の席で男が二人、互いの襟首をつかみ合っていたのが見える。
片方は肩を出したタンクトップの作業員風の男。
もう片方は、鎧を着けるジョイントパーツ付きのベストを着た、
――組合員、か。
町の中で働くなら、鎧を着ける必要はない。
で、あるなら、彼は町の『外』やダンジョンで何かしらの仕事に就いている『冒険者組合』のメンバーなのだ。
「あいつは……」
「確か今日、商隊の護衛をしてたトコのメンバーだな。等級は……三か」
若さから言えば、冒険者としてはそこそこの有力株、と言うことだ。
彼と襟首をつかみ合う作業員の方が、言う。
「無職無職ってうるせえんだよ! こちとら朝から汗水流して働いてんだろうが!」
「『職業持ち』以外なら『無職』だろうが! あー言葉狩りかよ怖ぇ怖ぇ――」
その言い争いは、
「……よく居る『職業持ち』至上論者?」
「そう言うレベルでもねえだろう。馬鹿の挑発に馬鹿が乗ったってだけだ。ほっとけ」
ムジカの言う通り周りの人間もそう大事だとは思っていないようで、気にせず食事を続けたり、いいぞー、と言って煽ったりしている。
「いや、俺はいいんだが……」
言ってまたジョッキを傾けていると、
「……ナイト!」
店員にカラんでいたはずのアトリが、息せき切ってこちらに戻ってきた。
叩き付けるように両手を机に張り、
「……!」
何か、縋るような瞳で俺の目を覗き込んできた。
俺は言う。
「……ダメだぞ」
「なんで!」
アトリが、殊更に顔を近づけて俺と視線をかち合わせてきた。
眉を歪めた表情が俺のそれに重ねる勢いで差し出される。
――近い……。
顔もそうだが、机に突っ伏すような姿勢で俺をねめつけてくるので、
――胸が……。
双丘が一組、机に乗せられて波を成すように形を変えている。
化粧も香水もしていない癖に良い匂いがするのは何故なのか。
何なら先程の『ボルケーノ』のせいで汗染みが服に残っていてそれが鼻を突いてくるはずなのだが、全く不快なものがない。
これが自分のものだったり、男相手であるならこうはならないはずなのだが。
――いや、汗ソムリエしてる場合じゃなくて……。
「おい、ムジカ……」
助けを求めるように傍らを見るが、
――こいつ……。
いつの間にやら椅子を反対に返し、これまたいつの間にやら俺のジョッキを片手にして先程の喧嘩を肴にしていた。
「ほっとけ、て言ったのは誰だよ……!」
「俺じゃねえ」
普通に嘘をつくな。
しかし、
「……ナイト! ねえ……!」
そう言って、アトリがまるで懇願するように語気を強くする。
否。ように、ではなく、それは正に懇願だ。
つまり、『変身』してあの喧嘩を収めたい、と言うのだ。
彼女が言う。
「正体だったら、うまく隠す! バレないようにやるから!」
「……アトリ」
俺は、諭すように応じる。
「解ってるだろ? お前の『アレ』は、こんなことのために使う力じゃない」
成す正義に貴賎はない。
だが、『戦う場』は選ばなければならない、と言うのが俺の考えだ。
「……お前が戦えば『怪我じゃすまない』だろ。て言うかどうやって収めるつもりだ?」
「正義で!」
具体策は。
と、そのような事を言い合っていると、
「……おや、何やら騒がしいな」
女性の声と共に、俺の目の端に金色の輝きが映った。
それは金属の光沢。
鈍く光るマットな照り返しを持つ、合金の煌きだ。
即ち、鎧。
今酒場へ入ってきたその持ち主は、
「ちょっと失礼」
喧嘩を繰り広げていた二人の横を、ただ通り過ぎた。
だが次の瞬間、
「――!」
作業員と組合員、二人の体が天地を返し、その頭を床板に打ち付けていた。