五.アマテラス、完全武装で襲来す
スサノオの行く手に天上世界、高天原が見えてきた。
地上のいかなる場所とも異なる、荘厳かつ清浄なる、いと高き所。三貴子の一柱たるスサノオをしても、近づきがたい雰囲気を醸し出している。
(ここに……姉上がいるのか……)
スサノオの足取りは自然と重くなる。
母に会う為とはいえ。母の言葉に従う為とはいえ。
高天原の神聖なる空気は、どうにも自分に不釣り合いのような気がしてならなかった。
(もっとも、オレに高天原をどうこうしようなんて意思はねえ。
きっちり話し合えば、分かってもらえるハズ……だよな……)
程なくして、地上世界と天上世界の分かれ目となる、清らかな川にぶつかった。
天安川と呼ばれ、有事の際には八百万の神々が集うという。
スサノオは我が身ながら気づいていなかったが、彼の内に潜む兄ツクヨミは警戒していた。
(スサノオは全く気にかけていないだろう。己が周りを蠢く暴風が、心の不安を反映して一層勢いを増している事に。
生まれた時から『そういう』体質だったのだ。だからそれが当たり前の事となってしまっている。
他の神々には、斯様な荒ぶる力を備えし者などほとんどいない。スサノオは己の力が異常だとさえ思っていない――)
高天原に向かう道中、海は荒れ、地は裂け、草木は吹き飛び、生き物は恐れて逃げた。
その様は天津神たちにはどう映るだろう? 彼にその気がなくとも、恐ろしい侵略者にしか見えぬのではないか。
果たして、ツクヨミの懸念は現実のものとなった。
きりきり、きり――
対岸から奇妙な音が微かに響く。弓の弦を引き絞る音だ。
『――スサノオ。跳べ』
「へ?」
ツクヨミの鋭い警告にも、スサノオは間の抜けた声を上げるのみ。まるで注意を払っていない。
勢いよく風を切る音が、天安川に響いた。スサノオの頭上に火のついた矢が迫っている――その数三つ!
「しまっ――」
警告なしに矢を射かけられるなどと、夢にも思わなかったのだろう。
突然の出来事に、スサノオは回避するどころか身動きすらできず硬直してしまう。
『まったく――世話の焼ける!』
ツクヨミはやむを得ず、己の神力を行使する事にした。
刹那、スサノオの左眼が――金色の光を宿し、縦長の不気味な瞳孔に変化する。
矢の勢いは凄まじく、あわやスサノオは火だるまになるかと思われたが。
スサノオの肉体に到達する寸前、不意に三本の矢の動きは止まった。
「!?」
『呆けている場合じゃないぞ、スサノオ。とっとと避けろ』
我に返ったスサノオは慌てて飛び退った。
するとそれを待っていたかのように、矢は再び動き出し、先刻までスサノオの立っていた地面に突き刺さる!
河原の一帯はたちまち赤熱し、球状に膨れ上がって破裂。恐ろしいまでの高温に達し、どろりと焼けた石が周囲に飛び散った。
「うおッ……熱ちちッ!?」
どうにか直撃は避けたものの、飛び散った焼けた石が蒸気を発し、空気を熱してスサノオをひるませる。
ツクヨミは最悪の事態を回避した事で安堵した。昼間であるため、神力を使えば使うほど消耗は激しい上に補充も利かない。スサノオの周囲の暴風に伴い、分厚い雲が天を覆っているのだけが救いか。
「何だよアレ……今一体、何が起こったんだよッ」
『分からないか、スサノオ? あれだけの熱を持った矢を扱える者は、高天原広しと言えども一柱しかいない』
もうもうと上がった蒸気が晴れ、対岸に見えし人影があった。
きらびやかな鎧を纏い、弓を構えている女神。髪飾りや両腕に無数の玉飾りを身に着けている。
何より特徴的なのは、女神にも関わらず男がするような角髪を結っている事と。
背中や両の腰に、凄まじい数の矢を入れた筒を幾つも携えている事だった。
全く以て雄々しき武士の如きいでたちであったが、それでも顔は神々しく、憂いに満ちた表情ながらも美しい。
その正体は――
「……久しぶりね、スサノオ。ここに来るまでの様子、ずっと見ていたけれど。
やっぱり天津神の言う通り、高天原の平和を脅かしにやって来たのね!
とても悲しい事だけど、弟の罪は姉である私の罪。せめてもの情けとして……高天原の主神にして太陽神たるこのアマテラスが、あなたを成敗してあげるわッ!」
高天原
天上世界。太陽神アマテラスが統べる高く尊い都であり、ここに住む神々は天津神と呼ばれる。正確な位置は諸説あり。
最高神であるアマテラスですら農作業をしている辺り、ちゃんと地面のある高台ではあるようだ。