五.最高潮(クライマックス)★
大挙して押し寄せる禍津神たち。しかしツクヨミとタケミカヅチの鬼神の如き立ち回りに、一柱とて社に侵入できる気配がない。
業を煮やした天空の暗雲──オオマガツヒは、凄まじい咆哮を上げた。
ヴオオオオオオオオ────!!!!
すると今度は目だけでなく、鼻や口からも大量の黒い泥が滴り落ちてきて、濁流はにわかに勢いを増した!
増援を得た地上の泥の塊──ヤソマガツヒは、さらに多くの顔を産み出しながらツクヨミ達に殺到してくる。
「黄泉の神ほどではないが……いちいち悪趣味な攻撃方法だな」
『呑気に言ってる場合かツクヨミ! 敵の数がさらに増えやがったぞッ』
呆れ気味のツクヨミの感想に、内なるスサノオが焦りの声を上げた。
さらに増えた泥土の悪神どもは、掛け値なしに百万柱に匹敵する物量となりつつある。
こうなってくると問題は、いかにツクヨミ達が素早く動き回ろうが、全ての敵を退けきれなくなる恐れにあった。
『四の五の言ってる場合じゃねえ! オレを表に出せツクヨミ!』
「――平気なのか?」
『今、他の天津神たちはウズメちゃんの舞踏に夢中だ!
ちょっとくらい顔出したってバレやしねーって!』
月の神もそれが道理と納得したのか、即座に「魂」の入れ替えを行った。
輝く銀髪は縮み茶色がかった黒髪に。金色の瞳は鳶色の入った黒き瞳に。透き通るような白い肌も、健康的に焼けた少年神のものに――三貴子が一柱にして、暴風を司る神スサノオの姿である。
「行ッくぜェ禍津神どもッ!」
解放感と高揚感。スサノオは久方ぶりの大暴れとあってか、喜々として感情を昂ぶらせ、荒れ狂う大風を纏い――泥土の群れに向かって神力を解き放つ!
社にあと百歩まで迫っていたヤソマガツヒたちはたちまち吹き飛び、散り散りになり、遥か彼方へ旅立っていった。
「へっへん! どうだ!」得意げに鼻を鳴らすスサノオ。
(――あれがスサノオ殿の本気か)
同じく戦い続ける軍神タケミカヅチは、神剣に雷を纏わせ敵を薙ぎ払いつつも――三貴子の底知れぬ力に驚嘆していた。
(今はまだ小神だが……将来彼か、彼に連なる子孫が高天原にとって脅威となるやも知れぬな)
一抹の不安と懸念が、最強の雷神である彼の脳裏によぎる。
しかし今はそんな考えに煩わされている暇はない。高天原の守護者にして優れた兵卒でもあるタケミカヅチは、軍令に従い最善を尽くすだけだ。
(なれば――我が神力も余さず発揮せねばなるまい)
タケミカヅチは神剣を地面へ放り捨てた。
彼の力の源たる、火や雷とは――固体が液体、気体と変じて後、さらに上の段階で発生する電離体である。
高天原最高の鍛冶神によって鍛えられた十拳剣を以てしても、彼の本気には耐えられないのだ。
「ふウウウウウウッッ……!!」
雷神は大きく息を吸い込み、己の右拳に雷の神力を纏わせ……禍津神の只中へと叩き込んだ!
ドウッ────!!
熱。放電。穢れを浄化する凄まじい陽の気の作用により。
タケミカヅチ周辺、十間(註:約18メートル)の大地にいたヤソマガツヒの眷属は跡形もなく消失していた。
これでも長時間の戦闘のため消耗した状態であり、周辺への被害を考慮し威力を抑制した一撃である。タケミカヅチの雷神としての実力が伺えよう。
(流石は最強タケミカヅチ。この分なら――女月神の力に頼る必要はなさそうだな)
頼もしすぎる神々の戦いぶりに、ツクヨミは密かにほくそ笑んだ。
風神と雷神に加え、時間を操る月の神の加護まであるのだ。これほど心強い戦力もそうはいないだろう。
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ウズメの舞は当曲(註:舞楽の曲の中心となる部分)に入った。
これまでの流れで、彼女の舞神としての力は増し、ツクヨミの存在を認識した事で最大となった。
当曲に入る上で、これ以上最適な体調はないと言えるだろう。
速まる節奏。燃え上がる旋律。激しくなる舞踏。
ウズメは舞えば舞うほど、疲れるどころかいや増す陽の気を糧に、熱狂して踊り続けた。
激しく舞った結果、彼女の衣装は肩から脱げ、乳房どころか上半身が露になってしまっている。
居合わせる天津神、国津神共々、ウズメの神憑りの舞踊に自然と顔もほころび、その興奮度を上げていった。
(今、分かった気がする……『天衣無縫の極み』は、ひとつじゃない……!
黄泉の国で踊った時は、あたし独りで高みに達しようとした。それもまたひとつの形だけれど。
今は違う。皆の熱狂と陽の気で。子供が両手を伸ばして親の懐に飛び込むように、楽しい想像で……
目覚めしアマテラス様をお迎えするための、誰もが足を留め、目を奪われずにはいられないような。
一緒にその輪に入って踊りたくなるようなッ……
そんなもうひとつの『天衣無縫』を……!)
「楽しい」という言葉。元々は「手伸し」と書く。
子供が無邪気に両手を広げる様を表したものだ。
皆が楽しげに笑っている。ウズメもそれに釣られ、気分がさらに高揚する。
踊りもますます激しいものになっていき──
だが、すでに女陰の位置にまで脱げかかっていたウズメの衣装は、いつの間にか──地に落ちていた。
(えっ────)
ウズメは舞踏に夢中で全く気づかなかった。
激しく踊り続けたため、全身が火照っていた為もあった。
纏っていたはずの衣服が、すでに身体から離れていた。
熱狂していた神々も、この不測の事態に思わず息を飲み、沈黙していた。
健康的で均整の取れた美しき女神の肢体が、余す所なく衆目に晒されている。
周囲の様子に、ようやく自分の身に何が起こったのか、ウズメは気づいた。
(嘘、でしょ────うええええ!?)
ウズメは途端に羞恥心に見舞われ、激しく混乱した。
神々が沈黙していた為、踊りの動きも止まってしまった。
美しく舞い続けている限り、彼女は例え丸裸になろうとも成し遂げるつもりではあったが……動きの止まった今、ウズメは己の姿を単なる裸の女神としか認識できなかった。
このままでは不味い。宴の熱狂が損なわれ、せっかく集めた膨大な陽の気が霧散してしまうだろう。
(何か、何か方法は──ダメ、恥ずかしい。
こんな姿、皆に見られるなんてッ……!?)
ウズメは羞恥心の余り顔面を紅潮させてしまい、どうにか隠したいと思い──襷掛けしていた日蔭鬘に運よく引っかかっていたお面で顔を隠した。
それは、黄泉の国で彼女が作っていた──桃の木を使って彫った、オオゲツヒメの顔を見本にしたお多福の面である。
(あ、しまった。ついこのお面を……)
丸顔で、鼻が低く、額は広く、頬が丸く豊かに張り出した、滑稽なお面。
混乱の極みにあったウズメは、一糸纏わぬ姿のまま、無我夢中で顔だけ隠したのである。
美しい女神の顔が、一瞬で下膨れの面相に変化してしまった衝撃と落差で、茫然としていた神々は──
あはははははははっっっっ!!!!
けたたましく大笑いした。
その笑い声は、葦原中国全土に木霊したのであった。
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アマテラスは意識を取り戻したものの、足取りは重く、ふらつきながら岩屋戸の傍にもたれかかった。
(何だろう……すごく騒がしい……何をやっているのかしら……?)
岩に耳を当て、じっとそばたてるアマテラス。
大勢の神が熱狂している。どうやら宴を催しているらしい。
(わたしが眠っている間に、お祭りの準備を進めていたのね……
あの声は、高天原の皆よね。わたしに何の報せもなく、勝手に催すなんて……)
ずっと意識を失っていたアマテラスは、当然ながら自分の目覚めのための宴だという事実を知らない。
喧騒を耳にしている内に、孤独に感じた彼女は、どうにかして宴の様子を見たいと思った。
岩屋の出入り口はこの岩戸しかなく、外に出るには岩を動かすしかなかった。
アマテラスがその事に気づいた時、外から凄まじい爆笑の大音声が響き渡った。
ちょうど、ウズメが全裸になった事に気づき、慌ててお多福の面を着けた直後である。
アマテラスはますます、外を覗きたい欲求に駆られた。
(何? 何がそんなに笑えるの? 外で一体何が起こったってのよ!?
もう! 何なのよこの岩! 邪魔だわッ──)
この岩屋戸、以前はタヂカラオの怪力によって塞がれ、意識を失ったアマテラスを外界の穢れから守るために置かれた代物である。
黄泉比良坂の大岩同様、動かすのに男手千人の力は必要と言われた天岩戸が。
宴で極限まで高まった陽の気と、アマテラスの持つ神力によって──ほんの少しだけ動いた。
《 解説 》
お多福(江戸時代には「おかめ」)と称されるこの滑稽なお面の起源は、アメノウズメだとされている。
現代でこそ、この奇妙で可笑しさの残る造形は美しさの象徴ではないが、「お多福」という名称からも福を呼ぶ面として古来より親しまれてきた。
また「笑う門には福来る」という諺の語源でもあると言われている。
余談だがこの下膨れの造形は、平安時代の若い貴族たちにとって美男美女の象徴であり、おたふく風邪の事を「福来病」と称したほどである。




