二.宴の前夜、オモイカネはツクヨミに依頼する
ツクヨミ達が黄泉の国に赴いている間、高天原の神々もただ手をこまねいていた訳ではなかった。
「魂」を失ったアマテラスを蘇らせる為、必要となる儀式を行うべく――着々と準備を整えていたのである。
知恵の神オモイカネは海を渡り、故郷である常世国から、大勢の長鳴鳥(註:鶏の古語)を引き連れて戻ってきた。
常世の長鳴鳥は朝を告げるという。しかし今の彼らは一羽たりとも、呻き声ひとつ立てない。長き夜を耐え忍び、来たるべき時に備え力を蓄えているかのように、静かであった。
「オモイカネ様。お戻りになるのを心待ちにしておりました」
オモイカネの帰還を出迎えたのは、彼が最も信頼を置く二柱の天津神――コヤネとフトダマである。
彼らは大和国(註:奈良県)の天香久山に向かい、榊の木を手に入れるよう命じられた。
榊はその名の通り、神が宿るとされる霊験あらたかなる植物。二柱は榊を持ち帰り、アマテラスを模した神像を作り上げていた。
「コヤネ、フトダマ。お前たちも無事で何よりだ」オモイカネは二柱との再会を喜び、労いの言葉をかけた。
「無事とは言い難いですがね。今やアマテラス様復活の儀式の為、高天原総出で不眠不休の作業に駆り出されていますよ」
お道化るように答えたのはコヤネ。皮肉げな物言いにも関わらず、朗々たる美声である。
彼は祝詞の達神であり、持ち前の声で穢れを清める術に長けていた。
「何もしなければ、我らも死を免れませんからね。仕方のない事でしょう」
肩をすくめたのはフトダマ。会話しつつも手は素早く動き、見事な注連縄を編み上げている。
彼は手先が器用で、祭祀に必要な道具を作成する術に長けており、また太占も得意としていた。
彼らだけではない。鍛冶を得意とする職神たちにはおびただしい数の勾玉や鏡を作らせているし、その他の神々も天岩屋の会場設営の為ほとんどが出払っているのだ。
「――タヂカラオは戻ったか?」
「はい。ウズメ様と共に」
コヤネの返答を聞き、オモイカネはようやく安堵の溜め息をついた。
表向きタヂカラオは、韓国から戻る予定のウズメを出迎える為に高天原を離れたと、皆には説明している。
だが実際は罪神であるスサノオと共に、黄泉の国に赴いていたという事実は伏せたままだ。
それでも帰還したという事は、首尾よくアマテラスの「魂」を取り戻す事ができたという事。
(皆が一丸となって、アマテラス様の為に働いている。実に喜ばしき事だ。
儀式の準備が整い次第、八百万の神々を天岩屋に集めるよう手配しなければ――)
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『準備が整いつつあるようで、結構な事だ』
スサノオの囚われている社にて。
オモイカネはスサノオの内に在る、月の神ツクヨミと対談していた。
「貴方やスサノオ様のお力添え、大変感謝しております。
アマテラス様復活の儀式に必要な品は全て揃いました。ですが――」
『――必要な品は揃った。しかし、不要なモノも存在する……と言いたいのか?』
ツクヨミはオモイカネの言葉を遮り、彼の言わんとする懸念を代弁した。
知恵の神は月の神の不敵な態度に、思わず表情を強張らせてしまう。
「――ご存知でしたか。実はタケミカヅチの報告によれば、我らの儀式に呼応して『招かれざる客』たちが動いているようなのです」
オモイカネの言う「招かれざる客」。ツクヨミは大方の見当がついていた。
何しろツクヨミ自身、夜の海原で散々に相手し、共に荒ぶった者たちであったから。
イザナミが手を引いた今、黄泉の神々が妨害してくる事はあり得ない。
だが悪神の類は葦原中国にも存在する。彼らは禍津神と呼ばれる、人々に祟りや災いをもたらす者たちである。
『それで私にどうしろと? 我が肉体であるスサノオは、罪を犯しここを出られぬ身なのだぞ』
「意地が悪ィなツクヨミ。何頼まれるのか分かってるクセに」
さも可笑しげに問うツクヨミに、見かねたスサノオは思わず声を上げた。
「確かにスサノオ様はここを出る事は、本来であれば叶いません。
しかし貴方の中にはツクヨミ様がいる。夜の間であれば――その姿を取る事が可能なのでしょう?」
オモイカネは頭を下げ、縋るように彼らに依頼した。
復活の儀式の際、襲い来るであろう禍津神たちから――高天原の神々を守って欲しい、と。




