二.海原は荒れ、スサノオは海を追われる★
月夜の下、猛り狂う海の中心で――ツクヨミは踊っていた。
白く輝く銀髪が舞う。透き通った美しい肌がたゆたう。そして――その身に纏いし衣も、白き衣袴から闇色の御衣へと変わっている。
海神の一族はツクヨミの狂気の舞に同調し、無軌道に力を揮う。
吹けよ嵐。呼べよ嵐。荒ぶる心に身を委ねる快感が、過去を『読む』ウズメの心をも侵蝕していた。
ウズメの今まで培ってきた、常識や道徳が崩れ去ってゆく。
高天原の天津神としての良識が、ひどく不自由で馬鹿馬鹿しいものに思えてきた。
(嘘。何よコレ……伝え聞いていた話と違う……
海原を治めるように命じられたのはスサノオくんで、彼は役目を果たさず海を荒れ放題にしていた、ハズなのに……
海を荒らしていたのは……ツクヨミ様だっていうの……!?)
記憶は移り変わる。
昼間のスサノオの視線。うずくまり、荒れた海や枯れた木々の無様を、呆然と見つめている。
「――ツクヨミ。『聞こえて』るんだろう?」
スサノオがぽつりと呟くと……彼の中で眠っていた、もうひとつの『心』がざわついた。
「答えろ。何故こんな事をする? 父イザナギの命令に何故逆らう?
オレの努力を全て無駄にしやがって」
恨みがましい詰問に対し、ツクヨミは心底楽しげに言葉を紡いだ。
『それはお前が望んだ事だからだよ、我が弟』
「違う。オレはこんな――」
『違わないさ。お前は海原を治める事など望んじゃいない』
ツクヨミの甘く美しい声が――蜜のように抗い難く、酸のようにスサノオの心を侵していく。
『第一、父の言いつけ通りに治めたとして――その後どうなる?
海を統べる主神となるか? もしそうなれば、お前の”本当の望み”は二度と叶わなくなる』
「本当の望み」。その言葉を聞いた途端、スサノオの顔色は明らかに変わった。
『会いたいのだろう? 黄泉の国にいる母上に』
「…………!」
『夜に浮かぶ月によって、私は神力を得る。だがいかに我が力が増そうとも、肉体はスサノオ、お前のものだ。
お前が本気を出せば、このツクヨミの暴走などいつでも止める事ができたハズ。それをしなかったのは何故だ?』
スサノオは答えなかった。答える事ができなかった。
それを口にすれば――かろうじて踏み止まっていた理性も、消し飛んでしまう。そんな恐怖があった。
『荒れ狂う海の底に、母の姿を見たからであろう?
海の闇は黄泉へと繋がる。海神どもが暴れれば暴れるほど、死の力は増す。黄泉の門は大きくなる――』
スサノオは震えていた。兄の言葉は真実であり、父への反逆を意味する。
怯える弟に――月の神は今度は優しげに、囁くように言った。
『お前の寂しさは分かる。母上に会いたい――私とて同じ気持ちなのだ。
だからこそ、父の言葉に従うべきではない。
案ずるな。私も協力しよう。何故なら私もまた、お前の一部なのだから』
スサノオはがっくりとうなだれ、すすり泣いていた。
昼間だというのに、海は荒れ、木々は風に吹かれて枯れ、絶え間ない騒音が鼓膜を圧迫してくる。
『間もなく父が異常を知って、海へとやって来るだろう。
スサノオ。その時こそ己の感情を、素直な望みを。父にぶち撒けてやれ!
たとえ父に届かなかったとしても――お前の望みはきっと叶うだろう』
ツクヨミの甘言に、スサノオは答えなかったが……それは無言の肯定に等しかった。
やがて父イザナギが訪れ、荒れ放題の海を見て愕然とする。
イザナギはスサノオの怠慢を咎めたが、その理由を聞いてさらに驚いてしまった。
(何という事だ。会った事もない母イザナミに、ここまで焦がれていようとは……
このままスサノオを放っておけば、いずれ海の底へ身を投げ出しかねん……!)
かくして彼らは、海原の統治者として相応しくないと判断され、追放される事となる。