二十一.誓約(うけい)再び
「ツクヨミ……今更どういう風の吹き回しじゃ?」
イザナミは露骨に不信感剥き出しの声を上げた。
無理もない。これまでの黄泉の旅路、全てを否定し、仲間を裏切るような発言である。
「どういうも何も。母上は絶大な力を示された。
我々が束になってかかっても敵わぬほど、圧倒的にね」
ツクヨミは至極当然のように、飄々と言ってのける。
「ツクヨミ、てめェ……ここに来て、なんて言い草だよッ……!」
抗議の声を上げたのは、オオゲツヒメに介抱され、意識を取り戻したタヂカラオだった。
「ここまで死力を尽くして、皆で一丸となって戦ってきたじゃねえかッ……!
それをこの土壇場に来てッ……最低な事抜かしやがってッ!」
「――強がるのはいいが、タヂカラオ。
お前はどうしたいのだ? あくまで母上に逆らい、皆殺しとなり。
魂すらない亡者と成り果てるべきだとでも言うのか」
冷笑を伴った月の神の言葉に、怪力神も絶句した。
憤懣遣る方ないが、ツクヨミの言う通りだ。
今や自分たちの誰も、目の前の強大なる黄泉大神に抗う力は残っていない。
(それでもツクヨミなら――ツクヨミが戻ってきさえすれば。
何とかしてくれるんじゃねえか、って。思い込んでたけどよ……へッ。
そんな都合のいい話、ある訳ねぇか。
俺とした事が、スサノオと同い年の小神に、甘えちまうなんてな……)
タヂカラオが押し黙ったのを見て、ツクヨミはイザナミに顔を向けた。
「母上。あなたは力で己の正しさを示した。だが……
それでも我が弟スサノオをはじめ、皆は魂まで屈服した訳ではない。
我々が地上を闇と為す尖兵となるにしても、完全なる証が必要となると思うのですが」
「完全なる証――じゃと?」訝しげに問い返すイザナミ。
「そう。我らが母上の行いが正しく、いと尊き別天神らの思し召しであると示すため。
私はここで誓約を申し出る」
誓約。日本神話においてたびたび登場する、選択に迷った時に行う神頼みのようなものである。
大抵は誓約を行う前に、二者択一の条件を提示するのが一般的なやり方だ。
「今更ここに来て誓約とはのぅ。
そのような事をせずとも、ぬしらの負けはすでに決まったではないか」
「勝敗がすでに決まっていればこそ。誓約を拒む理由にはなりますまい。
よもや尻込みなさいますか? 母上は正しいのでしょう?」
悠然と言い放つツクヨミに対し――イザナミは哄笑した。
「ほほほ……何とも安い挑発に、小憎らしい屁理屈を述べたものよ。まァよい。
なればツクヨミ。いかなる条件にて誓約を行う気なのじゃ?」
母の問いに、ツクヨミはすらりと十拳剣を抜き放った。
先刻イザナミの腹を裂いたばかりであり、禍々しき穢れがまとわりついたままだ。
「かつて、弟スサノオが姉アマテラスと、天安川で行ったが如く。
我が神剣を我が歯で噛み砕き、この場にて『神産み』を行いまする。
それにて産まれし神が善なる神であればスサノオの勝ち。悪なる神であれば母の勝ちとしましょう」
月の神の申し出に、タヂカラオやオオゲツヒメのみならず、イザナミですらも驚愕した。
「戯け者がッ! 気でも違ったのかえ、ツクヨミや……
その穢れ切った剣を砕いて神産みじゃと? 無謀にも程があるわ!
ここには天安川のような、穢れを祓う清らかな川すらないのじゃぞ。
そのような誓約、結果は見えておる。九分九厘、悪しき神が産まれ――ぬしの身体も穢れに侵され、朽ち果てるであろう!」
「そ、そうだツクヨミ! 馬鹿な真似はよせッ」タヂカラオも警告した。
「イザナミ様の言う通りだ。分が悪い賭けなんてモンじゃねーぞ、そんなのよォ!」
「……全く。先ほどまで罵っていた相手を心配するのか、タヂカラオ」
ツクヨミはかぶりを振った。
「分の悪い賭けだからこそ、意味がある。我々は今、どう足掻いても勝ち目はない。
その状況を覆す為の誓約を提案するのだ。悪条件でなくば母上も納得するまい」
その場を、沈黙が支配した。
イザナミはふるふると震えていたが――やがて根負けしたのか「好きにするがええ」と吐き捨てるように言った。
(スサノオ、行くぞ。後悔はないな?)
直前。ツクヨミは内に在る弟スサノオに覚悟を訊いた。
『今更何言ってんだよ。ほんの僅かでも、姉上を救う手立てがあるのなら。
何よりツクヨミ。お前が考え抜いた末に決めた事なら――オレに異存はねえさ』
意を決し、ツクヨミは手にした神剣の刃に歯を立て……一気に噛み砕いた!
鋭い金属音と共に、十拳剣の刃は砕け、周囲に飛び散る。
どぐん、と心臓が激しく脈打つ音が聞こえた。
同時に「彼ら」の口の中で、黄泉の瘴気とイザナミの穢れが凄まじい勢いで荒れ狂った!




