十七.黄泉大神イザナミとの総力戦・其の四
スサノオとウケモチが、苦闘を繰り広げていた同じ頃。
食物の女神オオゲツヒメは、筍を食して気配を消し、動いていた。
(近くに穢れの気配はない……
敵の注意がスサノオ様たちに向けられている今なら、タヂカラオ様やウズメ様を救う好機)
蜘蛛の糸に囚われ、腐った土の中に埋められてしまった二柱だが。
オオゲツヒメであれば、彼らの居所を探る事は可能だった。
何故なら、黄泉に来てから毎日、彼女の生み出した食物による食事を彼らに振る舞っていたからである。
タヂカラオやウズメの体内に残っている五穀の「気」が、オオゲツヒメの神力に呼応して報せるのだ。
(……見つけたッ。二柱とも、そう深くまでは埋められていなかった……
これならわたくしだけでも、掘り返して復活させる事ができますわ)
オオゲツヒメは喜び勇んで、タヂカラオ達が埋まっている地面に向かおうとした。
ところが――彼女の足を、にわかに掴む「腕」があった。
「!?」
捕まれた足首を介して伝わる、おぞましくも冷たい「死」の感触。
イザナミの操る死者の手だ。
「……そんなッ! どうして……」
オオゲツヒメは腐った腕を振り払おうとしたが、腕の中からさらに腕が生え、瞬く間に千万腐手となって彼女にのしかかってきた。
「やはり。この者らを助けようと近づいてくると……思っておったぞ」
オオゲツヒメを拘束する無数の腕から、腐った肉塊が盛り上がって死者の上半身を形作った。
単なる屍ではない。圧倒的に漂う穢れからも、この死者が黄泉大神イザナミである事は明白だ。
「ぬしは食物を生み出す女神であったな? ずっと探しておったのじゃ。
小癪にも、イザナギの筍で気配を隠しておったようじゃが……
とうにその効果が切れていた事にも、気づかぬとはのう」
「イザナミ……様……どうか、お離し下さいませッ」
オオゲツヒメは必死にもがくが、無数の腕は彼女の全身にまとわりつき、肉を腐らせる為食い込んでくる!
「案ずるなオオゲツヒメ。すぐに離してやろうぞ。
もっとも、ぬしの玉の緒(註:生命の意)を完全に断ち切ってからじゃがなッ!」
イザナミは勝利を確信した。
黄泉の国の奥深く。オオゲツヒメさえ仕留めれば、スサノオ達は食糧源を失い、生きて地上に帰る術を失うのだ。
オオゲツヒメの身体は実に柔らかい。腐手が容易く奥深くまで侵入する。これで全てが終わる――
「…………! 何じゃ、これは……ぬしの身体、どうなっておるッ」
イザナミはようやく違和感に気づいた。
千万腐手にここまで蝕まれているのに。身体中を貫かれているのに。
オオゲツヒメは苦し気に呻いてこそいたが、全く生命が絶える気配はなく、どころか意識すら失っていない。
「黄泉大神たる吾の、全力の穢れをぬしに注いでおるのじゃぞ!
何故、生ける神である筈のぬしは死なぬ!? 何故、我が穢れに耐えられるのじゃ!?」
全身を腐乱した手に侵蝕されつつも……オオゲツヒメは会心の笑みを浮かべた。
「まあ、イザナミ様……我が生みの親でありながら。
わたくしがいかなる神であるか、お忘れになったのですか……?
わたくしは食物の女神。その力が本来は、いかなる本質を持っているのか。
食物を生み出す力を持つが故に、穢れに殺される事はないッ」
彼女の言葉を聞き、黄泉の女王は失策を悟った。
「ぬうう、ならば……大雷! この者をぬしの糸で――」
未だ遠くでスサノオ達と戦っている雷神を呼び寄せようとしたイザナミは、目の当たりにした光景に度肝を抜かれた。
大風に乗って、凄まじい速度でこちらに突き進んでくるスサノオの姿がそこにあった。
「今度こそ見つけたぜ、母上ッ!」
「なッ……スサノオ。何故ここに本物の吾がいると……!」
スサノオがイザナミを見つけ出す事ができたのは。
確実に殺す標的として、オオゲツヒメが狙われるだろうと予測した、という事もあったが。
最大の理由は、彼が頭に差した櫛に秘密があった。元は太陽神アマテラスの持ち物である。
(頭に差していた姉上の櫛……コイツがさっきから微妙に熱を帯び、光を発していた。
その光がオレの持つ十拳剣に反射していたが……その理由がやっと分かった。
姉上の「魂」に反応していたんだ! 母上自ら肌身離さず持ち歩いている、姉上の鏡が近くにある事を、教えてくれていたんだッ!)
スサノオの推測を証明するかのように――イザナミの下腹部から淡い輝きが放たれていた。
「そこだあッ!!」
スサノオは神剣を振るい、亡者の腹を切り裂く!
黄泉の女王の絶叫が響き渡り、中から覗いたのは……陽光の如く輝く、大きな鏡であった。