八.火の神カグツチとの戦い・其の一★
カグツチのイラストは、あっきコタロウさんに描いていただきました。ありがとうございます!
スサノオの目の前で、四柱の仲間たちが次々と泥の中へと沈んでいく。
「タヂカラオ! ウズメ! オオゲツヒメ! ウケモチ!」
スサノオは叫び、彼らに手を伸ばしたが――届かず。姿は見えなくなっていた。
と同時に、背後から強い穢れの臭いがした。スサノオは振り返った。
現れたのは、二柱の蝙蝠の貌を持った雷神を従えた、燃え盛る火に包まれた神であった。
「はじめましてだな、弟『たち』よ」
火を纏いし、荒ぶる神が口を開く。
「ボクの名前はカグツチ。火を司る神だ」
カグツチと名乗った神は、スサノオよりも背は低く、より幼い顔立ちである。
しかしその瞳は黒く濁っており、首には痛々しい傷跡がはっきりと残っていた。
火の神カグツチ。彼の誕生と死の逸話を、スサノオは知っている。
だから彼の名乗りは正しい。イザナギ・イザナミが「国産み」の際、数多に産みし「最後の」神、それがカグツチだ。
誕生した順番を考えれば、確かに彼はスサノオ達の兄に当たる。
(だがそんな事よりも――気をつけろスサノオ)
スサノオの身体の中から、兄である月の神・ツクヨミの声が警告する。
(私がお前の中にいる事、カグツチはすでに見抜いているようだ)
カグツチは無表情のまま、両手を広げて名乗った。
すると周囲の景色が一変し……仄暗い空間となり、地面の全てが熱を持った泥土と化していた。
「これはッ……!」息を飲むスサノオ。
「ここはボクの統括する地獄……『熱泥地獄』と呼んでいる」
カグツチは抑揚のない声で語り始めた。
「お前たちが足を踏み入れた地はすでに、ボクの地獄の一部と化していたのさ。
他の四柱には、それぞれ違う地獄へと落ちてもらったが……
特に神力の強い三貴子であるお前たちは、ボクが直接相手をするようにと……母イザナミからの直々のお達しでね」
ふとカグツチは、未だ棒立ちのままでいるスサノオに訝しげに言った。
「どうした? こっちはやる気満々だぜ? 早く戦いの準備をしたらどうだ。
怖気づいたか? それとも策でも練っているのか?
さっきから顔も出さない、挨拶もしないなァ――ええ? ツクヨミよ」
無表情な火の神は、スサノオの内に宿る月の神に、直接語りかけてきた。
それに応じるかのように――スサノオの左眼が金色に変わり、響くは艶っぽい女神のような声。
『今更だが、私たちは黄泉の国に攻めてきたんじゃあないし、姉上の魂を強奪しに来た訳でもない』
ツクヨミは平静に答えた。
『母上と交渉し、穏便に魂を返して貰えるなら、それに越した事はないからね。
……どうか、母上に取り次いではくれないか? カグツチ兄様』
ほんの僅か、沈黙が場を支配した後。
「あはははははは! それ本気で言ってるのかい? ツクヨミ!
スサノオもこいつと同意見なのか? おめでたい連中だ!」
カグツチは腹を抱えて大笑いした。
スサノオは憮然とした表情で、その様子を見据えている。
「……今更どころじゃあない、周回遅れの提案だ。もう話し合いなんて悠長な段階はとっくに過ぎてる。
ボクが何をしたかぐらい、お前らも知ってるだろう?
鬼界の山神を怒らせて噴火させ、世界を闇に閉ざしたんだ!
黄泉比良坂を見てきただろう? あそこにひしめいている亡者どもは、全部このボクが殺したようなもんさ」
さっきまでおどけた調子だったカグツチは、突如暗い情念を込めて凄んだ。
「……ボクはもう、とっくに覚悟を決めている。
母上の言いつけに従うって事は、生者であるお前らとの全面戦争だってね。
もう後戻りなんてできる状態じゃない。どちらかが滅びるまで、戦い続けるしかないんだよッ!」
火の神は声を荒げ、周囲の渦を巻く炎の力が強まった。
完全な臨戦態勢。凄まじい殺気を感じ……スサノオは油断なく身構えた。
「はッははは。それでいい、弟たちよ。
甘っちょろい台詞が聞こえたから、平和主義でも謳う腑抜けに成り下がったかと心配してしまったじゃないか。
ちゃんとやればできる神だって事を、証明しろ。
ボクを失望させないでくれよ……始めろ! 鳴雷! 伏雷!」
カグツチが両脇に佇む、蝙蝠貌の雷神二柱に命じると……彼らはおもむろに両手を広げ、十の指に鋭く燃え上がる炎を纏わせた。
だが次の瞬間、二柱の炎の爪は――スサノオではなく、主人である筈のカグツチの肉体を切り刻み始めた!
『!?』予想外のカグツチの行動に、二柱は驚愕する。
「何も驚く事はないだろう、弟たちよ!」
全身から大量の血をほとばしらせつつ、カグツチは哄笑した。
「ボクが産まれた時の逸話は知ってるよね? 母を殺した後、絶望した父イザナギの剣で首を刎ねられ殺された……!
その時のボクの血や死体から、様々な神が生まれただろう? ボクの肉体は火! すなわち活力! 命そのものだって事さ!
それは黄泉の神となった今でも変わりはない。但し穢れた血から生まれる神は、もれなく悪神の類になってしまうけどねェ!」
カグツチから飛び散った血は、周囲の熱泥にバラ撒かれ……そこから次々と、禍々しい穢れた神が現出する!
「もしこいつらに勝てないようじゃ、お話にならない。さあ、三貴子としての底力を見せてくれ!」