六.タヂカラオ&オオゲツヒメvs火髑髏・後編
オオゲツヒメは大豆を投げつけた後、気配を消し潜伏していた。
彼女生来の能力ではない。イザナギの加護を宿す筍を食し、その神力を得ていたのだ。
(まさか筍に、このような効果があったとは……)
筍を食べた途端、彼女の心を支配していた恐怖が嘘のように消え去った。
ひどく冷静で、周囲の状況を瞬く間に把握し、分析できている自分がいた。
そして己に穢れを持つ悪神から姿を隠す異能が、一時的に身についている事も理解したのだ。
ここまで晴れやかで冴え渡った気分は、彼女にとって生まれて初めての経験かもしれない。
(筍には心を落ち着かせる効果がある事は知っていましたが、ここまでとは……
感謝いたします、イザナギ様)
目を潰され、苦悶する火髑髏がバラ撒いた炎が足元を掠める。
だがオオゲツヒメは動じなかった。届かない事を知っていたからだ。ただ平静に、奴の炎がどの距離まで届くのかを把握した。
気配を消す力より、この沈着冷静になれる効果の方が今は有難い……とオオゲツヒメは思った。
(さっきまで恐ろしくて堪らなかったけれど……今なら、あの強大かつ穢らわしい敵にも立ち向かえる。
でもまずは、タヂカラオ様を救出しに行かなければ)
先刻まで慌てふためいていた自分はどこに行ったのだろう?
そう思えるぐらい、オオゲツヒメは正確に、無駄なく歩を進めていた。
タヂカラオが先ほど吹き飛ばされた血の池まで、足を取られる事なく進んだ。
「……タヂカラオ様。ご無事ですか……?」
オオゲツヒメが呼びかけると、血の池の端から気泡が上がり、偉丈夫の怪力神が顔を出した。
「オオゲツヒメこそ、無事だったのか。悪ぃ、ちっとばかし気を失ってた」
「ええ、イザナギ様の筍のお陰で。タヂカラオ様にも一切れ差し上げます」
彼女はそう言うと、薄く切った筍をタヂカラオに手渡した。
「今、火髑髏はわたくしの大豆で目を潰された状態ですが……いずれ見えるようになるでしょう。
そうなる前に、迎え撃つ体勢を整えなければなりません」
「そいつには全面的に賛成だが……作戦はどうしたもんかねぇ」
「説明する前に……まずは、ご覧になって下さい」
オオゲツヒメが指さした先には、巨大な異形の黒蛇が不気味に辺りを這いずり回っていた。
「あの怪物の本体……雷神の火雷様。目が見えずとも抜け目ありませんわね」
「……そうなのか?」
「絶えず動き回る事で、狙いを定めにくくしていますし、常に周囲に炎を散らす事で、わたくしの五穀を浴びないよう警戒もしています。
何より頭部は高い位置に留めたまま。タヂカラオ様といえど渾身の一撃を加えるのは困難でしょう」
「なるほど。いくら黄泉の腐れ神とはいえ、頭は切れるみてーだな。
まぁそもそも、俺の拳じゃあ奴の堅い鉄鱗に傷も入れられねぇんだけどよ。情けねえ話だが」
「大丈夫です。わたくしに良い考えがありますわ」
自嘲気味に肩をすくめるタヂカラオに対し、オオゲツヒメは微笑んで、具体的な作戦を話し始めた。
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火髑髏の目は見えるようになったが、それでもオオゲツヒメの気配は感じない。
(フム、さては……イザナギの筍ですか。
確かアレには、我らから気配を隠す力があるという話でしたねェ……)
しかしそれは、逃げる役には立っても攻撃に転じる術には成り得ない。
火髑髏は蛇の身体を八の字にくねらせながら進む事で全方位に警戒しているし、小さな雷を周囲に落とし火を付けて回る事で、オオゲツヒメの五穀の飛び道具も無力化させる事ができるのだ。
(仮に逃走するとしても、巨体である我と違い、彼らは血の池を避けながら移動しなければならない。
筍の効果が切れたが最後、あっという間に追いつかれておしまいです)
未知数であるスサノオにはカグツチが。
その他の連中には黒雷が向かっている。
彼らは最悪足止めで構わないが、食物の女神である彼女だけは取り逃がす訳にはいかなかった。
オオゲツヒメこそ、ツクヨミ一行の踵骨腱。
だからこそ彼女の押さえとして出陣する事、火雷は買って出たのだ。
火髑髏が血の池地獄の半ばを探索し終えた頃。
突如として地面を力強く蹴る音が聞こえた。
「うおおおおおおおッッ!!」
聞く者の魂魄を振り向かせずにはいられない、大音声の咆哮。
怪力の神タヂカラオが、いつの間に脱出していたのか。その姿を現して跳躍していた。
「そこにいましたかァ、タヂカラオ!」
己を引き裂こうと動いた無数の火と雷を躱し、タヂカラオは火髑髏の体躯の上に飛び乗ってさらに跳ぶ!
彼の見下ろす先に、怪物の巨大な頭蓋が映った。
「食らいやがれェッ!」
燃え盛る炎を物ともせず、髑髏の頭頂に鉄拳を浴びせるタヂカラオ。
だが先刻と同じく、やはり黒光りする鉄の外殻に傷ついた様子はなかった。
「無駄な事を……先ほどの失態を忘れたのですか?
貴方がいくら剛力無双といえど、我が鉄の鎧にヒビすら入らなかったのですよォ!」
「無駄かどうかは……やってみなきゃあ、分かんねえだろうがァッ!!」
タヂカラオは嘲る火髑髏に構わず、さらに連撃を頭頂部に見舞い続けた。
鍛え抜かれたタヂカラオの拳も、焼けた鉄を殴り続けた衝撃で傷つき、血を噴き出し……さらに熱によって傷口を灼かれてしまう!
(ぐぐッ……くっそ、さすがに痛ェなこいつは……
だがまだだ……もっと殴り続けねェと……!)
激痛を厭わず、拳を叩き込み続けるタヂカラオだったが……それもやがて止まってしまった。
「貴方には失望しましたよ、アメノタヂカラオ……
わざわざ気配を消してまで仕掛けてきたからには、何か策がお有りなのかと思いましたが。
そうやって馬鹿の一つ覚えで殴るだけですか? 全く無意味で愚かな行為だ!」
火髑髏は吠え、両腕を火傷まみれにして動きの止まったタヂカラオを尾で絡め捕えた。
「へへッ……生憎と俺は……この馬鹿力しか取り柄がねーもんでな……
……だがよ。全く無意味って訳じゃあないんだぜ」
「何ッ…………?」
不敵に笑みを浮かべるタヂカラオの言う通り。
彼の捨て身の連撃は無意味ではなかった。
確かに火髑髏の頭頂にヒビひとつ入る事はなかったが……度重なる拳の衝撃で、その頭部は地表近くまで下がっていたのだ。
「感謝いたします、タヂカラオ様……その『位置』ならば、わたくしの力でも届きますわ……!」
オオゲツヒメの声が真正面から響いた。
彼女が手に持つモノを見て、火髑髏は失策を悟った。
(なッ……今まで隠れていたと思ったら、こんな所にまで……!
そうか……我が頭蓋を砕くのではなく。我が動きを止め、ソレを届かせる位置に下げる事が目的だったのかッ)
苦し紛れにオオゲツヒメを焼こうと炎を吐き出す火髑髏。
だがそれは届かなかった。
「無駄です。貴方様の炎の射程距離は、先ほど見切っておりますわ」
オオゲツヒメが投げたのは、オオカムズミの桃の実だった。
かつてイザナギも黄泉の国を脱出する際に使った、わずか三個で千五百の黄泉軍を撃退した、恐るべき武器だ。
火髑髏の撒き散らす炎の波をかいくぐり、狙い過たず放物線を描いた桃の実は、見事に髑髏左上の眼窩の奥に突き刺さるように命中した!
ギギグゲエエエエエエエッッッッ!!!!
先刻目潰しした大豆などとは比較にならない、穢れを祓う力を纏った一撃。
火髑髏は頭の中に爆弾を放り込まれたに等しい衝撃を受け、これまでにない絶叫を上げのけ反った!
「死ぬほど痛そうな所、悪いが……俺からも駄目押しを贈呈してえ」
激痛に身悶える火髑髏に追い打ちをかけるように、タヂカラオがニヤリと笑みを浮かべ、髑髏の鼻腔に両足を引っ掛けて足場とし、逞しい右腕を素振りした。
「てめェら雷神は……高天原じゃあ、ヒメサマをコケにしてくれやがったよな。
俺って一度やられた事は結構、根に持つ性分みたいでなぁ……覚悟しやがれオラァ!!」
「ギヒイイイイイッッッ!?」
タヂカラオの満を持した、渾身の鉄拳による突き上げが……火髑髏の左の眼窩に食い込んだ。
オオゲツヒメの投げた桃の実がさらに頭蓋骨の中心に押し込まれ……次の瞬間、大爆発を起こした!