四.刻まれし過去(とき)を読む神、ツクヨミ★
「…………大丈夫かッ!?」
息せき切って駆けつけてくる二柱の男神。スサノオとタヂカラオだ。
しかしいざ辿り着いてみると、戦いとは縁遠いのどかな雰囲気である。呆気に取られていたものの……スサノオは心の中のツクヨミが、こっそり舌打ちするのを聞き逃さなかった。
タヂカラオは舞っている女神を見て、驚き声を上げた。
「……ウズメ! お前いつの間に、帰ってきてたんだ?」
ウズメと呼ばれた女神は、舞うのを止めた。
「つい三日前――よ。久しぶりね、タヂカラオ。
あたしが間に合ってなかったら、今頃この女神、危なかったわよ?」
そしてタヂカラオの隣にいるスサノオを見て……にんまりと笑って言った。
「随分可愛らしい子を連れてるじゃない? あたしにも紹介してよ」
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「危うい所を助けていただいて、ありがとうございます。
わたくしの名はオオゲツヒメ。食物を司る女神です」
オオゲツヒメは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
改めて見ると、ふっくらした身体つきが印象的な女性である。決して美しいとは言えないが、その微笑みはどことなく見る者を落ち着かせる雰囲気があった。
「別にお礼なんていいわよ!
危ないと思ってあたし、無我夢中で踊ってただけだし……」
対する礼を言われたウズメは、満更でもないのか照れ臭そうにぱたぱたと手を振った。
女神同士での自己紹介が終わった後、スサノオとタヂカラオら男神も同じく名乗った。
「へえ、スサノオくんって言うんだ。あたしはウズメ。よろしくね」
スサノオの目はウズメと名乗った女神の美しさ――とりわけその肢体に釘付けになっていた。
葦原中国は勿論、天上の高天原でも見た事のない、華麗で鮮やかな衣。彼女特有の癖なのか、話をする時に遠慮なく距離を詰めてくる為、顔が近い。しかも前屈みの姿勢ゆえか、健康的で形の良い胸の谷間が否応にも視界に飛び込んでくる。少年神たるスサノオは目のやり場に困るのだった。
「お、おう……よろしく。ウズメ……さん」
差し出された右手を躊躇いがちに握るスサノオ。
「こっちに戻るのはもう少し後の予定じゃなかったか? ウズメ」
タヂカラオが尋ねると、ウズメは心外そうに言った。
「そのつもりだったけれど……韓国にいても気づけるほど、巨大な暗雲が漂ってるじゃない?
だから無理を言って舟を用意してもらって、すっ飛んで来たのよ。
そしたら案の定……来る日も来る日も薄暗くて、お日様も全く拝めなくなっちゃっててさ。
本当に一体、どうしたってのよ……? アマテラス様の身に、何かあったの?」
ウズメの質問に、スサノオは表情を曇らせ俯いた。
タヂカラオもどう話すべきか、考えあぐねているようだ。
『――話しておいた方がいい、スサノオ』
不意に澄んだ声が響き渡ったが、その場にいた四柱のどれでもない。
だが声じたいは、スサノオの口から発せられたものである事はすぐに分かった。何故なら彼の左眼が金色に輝き――細長い不気味な瞳孔に変化していたからだ。
『私も自己紹介しておこう。我が名はツクヨミ。スサノオの兄であり……月を司る神だ』
「やはり……ツクヨミ様だったのですね! お久しゅうございます」
ツクヨミの名乗りに、オオゲツヒメはパッと顔を輝かせた。
(ツクヨミ……オオゲツヒメと面識があるのか?)
スサノオは顔見知りであるらしいオオゲツヒメを訝った。何故なら自分には、彼女との面識がなかったからだ。
(一体いつ、どこで? オレの知らない所で……)
更に不可解なのは、オオゲツヒメはツクヨミに対し、少なからず好意的な態度である点だ。
『生まれた時から』ずっと一緒にいるスサノオですら、ツクヨミが慕われるような状況を全く想像できなかったりする。
自分の『兄』を名乗る月の神の性格の悪さは、幼少の頃から嫌と言うほど思い知らされていた。
『これから私が説明する事は、地上を覆う暗雲の原因。
そして何故オオゲツヒメが、これほど多くの禍津神に襲われたのかに対する答えとなろう。
だが今は――時が惜しい。くどくどと言葉で語るより、我が神力を使った方が早い』
ツクヨミはそう前置きし、スサノオの左手を突き出した。
それは逞しい少年神のものではなく、透き通るような白く細い、女子のような腕であった。
『我はツクヨミ。三貴子が一柱にして、”月”を読む神なり。
月とは”暦”。万物に刻まれし記憶――夜闇に葬られし過去も、我が神力によって現とならん』
謳うように、囁くように……ツクヨミは己が力の理を紡ぐ。
『このスサノオと、我ツクヨミが記憶を――汝らにも”読ませて”しんぜよう。
真実を知りたくば。知る覚悟があるのなら……我が手に触れるがいい』
スサノオからの言葉はない。ツクヨミの行いを黙認しているのだろう。
ウズメとオオゲツヒメはごくり、と唾を飲み込んだが……やがて意を決したか、思い切ってツクヨミの手を取った。
「…………!」
「ッ!?」
すると即座に流れ込んできた。
ツクヨミとスサノオ。彼らの行いによって引き起こされた、この世界の惨状に至るまでの記憶が――
(序章 了)