ツクヨミの真意★
その後タヂカラオとスサノオは、高天原の警護の目を盗んで脱出した。
雷神タケミカヅチが守護している割には、いやにあっさりと脱け出せた所を見ると……オモイカネと示し合わせ、織り込み済みの話だったのだろう。
「そうだスサノオ。餞別代わりと言っちゃ何だが……これをやるよ」
高天原脱出後、タヂカラオが渡してきたのは、色鮮やかな櫛と十拳剣であった。
「この櫛、もしかして……」
「ヒメサマのだよ。天岩屋に運び込む時に……黙って失敬してきた。
お守りとしちゃ丁度いいだろ。ひょっとしたら、黄泉の国でヒメサマの魂を探す時に、役に立つかもしれねえ」
そう言われれば、拒む理由は無い。
スサノオは素直に、アマテラスが身に着けていた櫛を受け取り……頭に差した。
「はっはっは。知ってるかスサノオ? 櫛の受け渡しってなァ、夫婦になる事を受諾した証なんだぜ」
「ぶッ……何だよそれ! じゃあオレは、タヂカラオと夫婦になるって事なのか!?」
スサノオの素っ頓狂な声に、タヂカラオは笑いが止まらなかった。
「ンな訳ねえだろ。冗談だよ! 第一その櫛はヒメサマの物なんだし。
ま、スサノオも将来、好きな女神が出来た時にやってみりゃいいさ。またひとつ賢くなったな!」
笑いながらバンバンとスサノオの背中を叩く怪力神。手加減しているのかもしれないが、とても痛い。
「それから……お前さんの剣は、天安川の誓約の際に噛み砕かれちまったろ?」
「でもこれ、タヂカラオのだろ? いいのかよ?」
「問題ねえ。俺にはこの力瘤と拳があるからな!」
ニッと笑みを浮かべ、逞しく膨れ上がった上腕二頭筋を見せつける。確かに下手な武器より強力そうだ。
スサノオはタヂカラオの剣も有難く受け取る事にした。
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黄泉の国に向かう道中、禍津神らに襲われていたオオゲツヒメを助け、舞神ウズメと出会い、小さな神ウケモチも同行する事になった。
もう間もなく出雲国(註:島根県)に入る。黄泉比良坂はもうすぐだ。
(そろそろ到着……か。宜しく頼むぜ、ツクヨミ)
スサノオは、己の肉体の内側に潜む兄――月の神ツクヨミに呼びかけた。
しばらく押し黙っていたツクヨミだったが、やがて抑揚のない声で訊いてきた。
『……私を疑わないのか? スサノオ。
私は母上と共謀し、高天原でお前を嵌めたも同然なのだぞ?』
(今更何言ってんだよ。姉上が襲われた時、最後の最後でオレが助けに行く事を止めなかった。
それにオレが身動き取れなくなった時だって。密かに神力を使って、姉上の肉体を助けてたじゃねーか。気づいてないと思ったのか?)
機屋の戦いで、雷神の放った糸はアマテラスに届かなかった。
ツクヨミが「時」を操り、彼女を守った事は疑いようがない。
(ツクヨミは姉上を嫌ってたようだけど……いざとなったら、見捨てずに助けてくれた。
それだけで信じるには十分だ)
スサノオの素直な感情が気恥ずかしいのか、ツクヨミは不本意そうに答えた。
『勘違いするなスサノオ。私は今でもアマテラスの事は嫌いだ。
私は光差す昼の間は目が見えぬ。光も、暖かさも、昼に動き回る生き物も――全て気に入らん。
だから母上の誘いに乗った。世界が闇に包まれれば、さぞかし私にとって生き易くなるだろうと、思ったからだ』
しかし……いざイザナミの思惑通りに事が運んだ結果は、ツクヨミの想像していたものとは違っていた。
昼夜問わず空を覆い尽くす暗雲は、ツクヨミの力の源たる月の光すらも遮った。
『……ふと、思ったんだよ。
確かにこの世は、私にとって生き辛い。好ましくない事も沢山ある。
だがそれでも、全てが無くなってしまえば――寂しい。そう……思ったんだ』
「寂しい」。突き詰めてしまえば、ツクヨミの真意はごく単純だった。
スサノオはそれ以上、何も言わず――旅の仲間と共に歩き続けた。
(幕間・了)