三.オオゲツヒメ、食物を出す ※ただし色んな所から
「ちょっと、スサノオくん……大丈夫!?」
「あ、いや……うん、大丈、夫……」
ウズメに抱き着かれたせいで、窒息しかけていたスサノオはクラクラしながら言った。
何とか少年神の無事を確かめると、ウズメは今度は新たな疑問を口にした。
「事情は分かったけれど……あたしだけじゃなくて、その。
オオゲツヒメさんも旅に必要って、オモイカネちゃん言ったのよね?」
オオゲツヒメ。先の雷神二柱との戦いの折、襲われていた女神。
先程からウズメの隣に佇んでいるが、穏やかに微笑んでいるのみで、会話に参加して来なかった。
「それについては――私から説明しよう」
スサノオの口から、彼とは全く別の艶やかな声が響く。月の神ツクヨミだ。
消耗する神力を抑えるためか、外見に変化はないが――ツクヨミが喋るだけで、あどけなさの残る小神から、掴みどころのない神秘的な雰囲気が漂っている気すらする。
「オオゲツヒメ。貴女にもこのツクヨミの記憶を見せた。
我々はこれから、黄泉の国に赴かねばならない。
助力が必要だ――貴女の、食物を生み出す力が」
オオゲツヒメは「食物を司る女神」と名乗った。
今の葦原中国はどこも暗雲に覆われ、深刻な食糧不足に陥っている。
もし彼女の助力を得る事ができれば、道中の旅路で飢える心配は無くなるだろう。
それに黄泉の国の食物は、生きた人や神は決して口にしてはならないと言われる。
ヨモツヘグリと呼ばれしそれらは、食したが最後、死者の国の住人となってしまい……二度と地上に戻る事はできなくなってしまうのだ。
「わたくしは、よろしゅうございます」
オオゲツヒメはふっくらした顔に笑みを浮かべて答えた。
「ですが――我が力を見て、皆様は納得いかれるのでしょうか?」
穏やかではあるが、含みのある言い方。タヂカラオとウズメは怪訝そうな顔になった。
唯一事情を知っているらしい、ツクヨミだけは……愉しげに笑っているが。
「何だよ? 納得って……俺たちも天津神ではあるが、腹はもちろん減る。
食べ物が得られるなら、断る理由なんてねえよな?」
「そ、そうよ。オオゲツヒメさんが良ければ、あたしだって異存はないわ」
二柱の返答に、オオゲツヒメは寂しげな表情になった。
「では、タヂカラオ様。ウズメ様。どうぞご覧になって下さいませ。
このオオゲツヒメの神力――食物を生み出す様を」
オオゲツヒメは皆の前で、稲・小豆・粟・麦・大豆の五穀と、蚕を生み出した。
結果だけ見れば、救世主にも等しき素晴らしき神力。いずれの作物も人々の手によって作り出すには、多大な時間と労力が必要となる。
しかし――オオゲツヒメの力を目の当たりにしたスサノオ、タヂカラオ、ウズメは絶句してしまっていた。
蚕は食物神の頭から。稲は目から。小豆は鼻から。粟は耳から。麦は女陰から。大豆は尻から生まれたのである。
周囲の様子を見て、オオゲツヒメは……深々と嘆息した。今までずっと、似たような反応を見てきたのだろう。
彼女はこれまで食物を生む過程を人に見られた際、疎まれ、蔑まれ――時には殺されかけた事さえあった。
清浄なる高天原の天津神といえど、衝撃的であるには違いない。
心なしか彼女との距離が開きかけたその時、一歩前に進み出た神がいた。
「……どれ、これは美味そうだ。早速食べてみよう」
ツクヨミである。彼はそう言って、オオゲツヒメの生み出した小豆や大豆を手に取った。
もちろん肉体はスサノオのままだ。一部始終を見ていたスサノオは思わず声にならない悲鳴を上げた。
(ツ、ツクヨミ……! お前、コレ本当に大丈夫なんだろーなッ!?)
(何を戸惑っているのだスサノオ? 食物神の生み出した食べ物だぞ?
質も味も一級品なのは、過去に食べた事のあるこのツクヨミが保証しよう)
(オレ、そんな話初耳なんだけどッ……!? 一体いつ食べたんだよ!?)
(お前の意識のない夜の間に、ちょっとな。何だ? 兄の言葉を疑うのか?)
(だ、だってよ……その豆……オオゲツヒメさんの……あ、あそこからッ……!)
(仕方あるまい? 彼女は『そういう神力』を持った女神なのだから)
ツクヨミはどこに隠し持っていたのか、小さな土器を取り出し――慣れた手つきで火を起こし、大豆を煮た。
(心配するな。これらの食物は穢れてなどいない。
味覚だって、私とお前は共有しているのだぞ? 現状を考えろ。食わず嫌いをしている余裕などない筈だが?)
いかな実の兄の言葉だろうが、スサノオは心の奥底でどうしても拒否感が拭えなかった。
が――ごくりと生唾を飲む込むと、意を決し――手にした煮豆を一思いに頬張った!
「……う、ぐぅ……ん? あ、あれ……? う、美味ぇ!
塩も何も使ってないのに……こんなに美味い豆、食ったの初めてだッ!」
苦々しい表情が一転、嬉しそうに口いっぱいに入れるスサノオ。
「あらあら、それは……よろしゅうございました」オオゲツヒメは微笑んだ。
「ただ、お食事はもっとゆっくり。お腹が空いている時に掻き込むのは、危のうございますよ」
タヂカラオとウズメも呆気に取られていたが、空腹感には耐えられなかったようで。
すぐにスサノオと共に食事の列に加わるのだった。




