二.知恵の神オモイカネの言伝★
オモイカネからの言伝。そう言われウズメは迷わず紙垂を手に取った。
この時代の日本にまだ「文字」は存在しない。故に紙には意味を為す文言は何も書かれていなかったが――紙に触れた途端、ウズメの中にオモイカネの「意志」が流れ込んできた。
『――お久しぶりですね、ウズメ。直接お会いできないのが残念ですが……』
「!……オモイカネ、ちゃん……!」
オモイカネは高天原の「智」を象徴する天津神であり、集合知の神力を持つ。
懐かしき声が紙垂を通して脳内に直接伝わり――細面の、理知的な男神の姿を思い出し、ウズメは思わず目尻に涙が浮かんだ。
『貴女が葦原中国に戻ってきているのなら、頼まれて欲しいのです。
アマテラス様を救い、闇に覆われた地上と天上に光を取り戻すため――スサノオやタヂカラオ達に協力して欲しいのです』
オモイカネが言うには、事件後高天原は混乱を最小限に食い止める為、真実を隠蔽しスサノオを拘束したという。
『スサノオ様には申し訳ない事をしたと思っています。
ですが神聖にして中枢たるアマテラスの御殿にまで、穢れし悪神が侵入したと知れれば――高天原の威信に関わり、警護の長であるタケミカヅチの責を問わねばなりません。
タケミカヅチは軍神としては天津神最強の存在。もし彼を解任してしまえば、高天原の治安はより悪くなると判断したのです』
オモイカネの言葉は、高天原の未来を案じてのものなのだろう。
それでもウズメは、言い訳がましいと感じてしまった。実際に乱暴狼藉を働いたスサノオをダシにして、失態を誤魔化しているようにしか思えなかった。
『アマテラス様は表向き、スサノオ様の狼藉に心を痛め――天岩屋に閉じ籠もった、と皆には話しています。
そして天安川にて合議を開き――アマテラス様復活の為の手段を分析しました。
必要となるものは三つ。常世の長鳴鳥。香山の榊。そして――勾玉と大鏡』
海の彼方にある幻の地、常世国に棲むという、朝を告げる光を呼ぶ長鳴鳥(註:鶏のこと)。
その大木には神が宿ると言われる、霊験あらたかな香山の地に生える榊の木。
勾玉と大鏡は――いわゆるアマテラスの肉体と精神。奪われ黄泉に連れ去られた、彼女自身の「魂」。
『長鳴鳥はこのオモイカネ自らが連れてきます。私も一応、常世国出身ですからね。
榊の木も、信頼できる天津神たちを派遣し、伐採するよう言い含めました。
ですが……黄泉の神々に奪われた、アマテラス様の魂だけは一筋縄ではいかないでしょう』
アマテラスの魂の象徴たる大鏡の行き先は、死者の住まう黄泉の国。
穢れに満ちた、危険極まりない――文字通りの死地だ。
そんな場所に赴き、アマテラスを救い出せる者。余程の実力を備え、信頼できる者でなければ務まらないだろう。
「……そっか。それで……スサノオくんとタヂカラオが、選ばれたの……?」
ウズメはようやく得心がいったものの――その声は震えていた。
「ああ。表向きはスサノオは罪神として囚われ、俺が見張り役って事になってる。
でもよ、オモイカネは俺に『スサノオを見張れ』とだけ命じた。場所の指定は受けてねえ」
「え。それって、もしかしなくても――ただの屁理屈――」
少々強引な話にも思えたが、タヂカラオは豪快に笑って取り合わなかった。
「オモイカネにはちゃんと一言断っておいた! 心配いらねえ。
いざとなったら、このタヂカラオ様が責任を取れば済む話さ!
それにこいつは――スサノオ。お前さん自身の『意志』でもある。そうだな?」
水を向けられ、スサノオは一瞬気恥ずかしそうにそっぽを向いたが――やがて決心したのか、ウズメの目をまっすぐに見て言った。
「タヂカラオの言う通りだ。オレは――今のオレの望みは、姉上を救うこと。
ずっと考えた末、タヂカラオにも諭されて……分かったんだ。ふて腐れてる場合じゃねえって。
黄泉がどんなに危険だろうが、オレが罪に問われようが――前に進むべきなんだ、ってさ」
スサノオの決意を聞き、ウズメは感極まったのか……溢れんばかりの涙を流し、思いきり彼に抱き着いた!
「わぷッ!? ちょ……ウズメ、さ……!?」
「えらいっ! スサノオくん! 辛いのを我慢して、お姉さんを助けたい一心でここまで来たのね! 感動した!
うん、決めたわ! あたしもスサノオくんと一緒に黄泉路にお供するからっ!」
「え……でも……黄泉は……危けっ……」
突然の事態にスサノオも戸惑っている。ウズメの豊満な胸に遮られ、単に呼吸困難なだけかもしれないが。
「水臭い事言わないでよ! こう見えてもあたし、長旅船旅大得意だし、体力に自信あるほうよ! 戦いの心得だってあるんだから。
オモイカネちゃんに頼まれたからじゃない! あたし自身がスサノオくんを助けたいって思ったから、ついてくんだからね!」
「あー……ウズメ? 非常にありがたい申し出だし、こっちとしても拒む理由はねえが……
そろそろスサノオを放してやってくれ。この場で黄泉に直行させる気か?」
見かねたタヂカラオが助け舟を出すと、ようやくウズメは状況に気づいたらしく……慌ててスサノオから身体を放したのだった。




